忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

特撮最前線  ゴジラ③  精神の古層



 ゴジラには奇妙なところがある。ゴジラは南太平洋で古代恐竜が被爆した結果現れた怪獣である。にも関わらず、ゴジラは日本の大戸島に「呉爾羅」としての伝説が残っている。

 もしゴジラが被爆しただけの古代恐竜であるならば、大戸島の伝説は不要である。古代恐竜は被爆した後、直接、東京にくればいい。しかし何故か『ゴジラ』というテクストは、そのなかに不要とも思われる大戸島の伝説を入れているのである。これは何を意味しているのだろうか?
 心理学者ユングは、フロイトの個人的な抑圧記憶に対して、誰もが普遍的にもつ無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。それは意識の下にある『精神の古層』ともいうべき領域に結びついており、ユングは各地の神話の類似性などにその根拠を求めている。

 ゴジラが「近代の抑圧された意識」であるとき、それは「原爆」や「植民地支配」という『影』と結びついていると同時に、それは「近代以前の記憶」という時間的な「過去」へとも結びついている。その『影』と『古層』は、どちらも意識下にある点で同じ位相にあるのだ。
 先進国にとって「南島」が一種の抑圧された記憶であることは前に述べた。しかし南島は、日本にとっては植民地であるだけでなく、それ以上の意味をもっている。それは南島が、「日本人のルーツ」であるという側面である。

 明治以降、日本人のルーツ論は各領域で盛んな議論を見せていた。それは日本国内の外国人居留の問題や(内地雑居論論争など)、日本軍の侵攻計画などのアクチュアルな問題と結びつきながら展開していく。
 そのなかでも「南島」は、ポリネシア方面から日本人のルーツが北上してきたという説の原点にあった。例えば竹越与三郎の『南国記』は日韓併合の直前(1910年)に発表され一大ベストセラーになった。

 この竹越という人物は民権派マスコミである民友社の記者から帝国議会議員になった人物だが、民間史家の側面ももっており、それ以前にも日本通史である『二千五百年史』などの著作を書いていた。
 この『南国記』は当時、オランダの植民地であったジャワ島やインドシナ方面など旅行した紀行文だが、そのなかでは竹を用いた船や掛合歌など日本と南方の類似点を列挙し、日本人のルーツを南方から来たマレー系住民とし、天孫民族も南方渡来であるとしている。

 興味深いのは「南方起源説」が、同時に当時、論争されていた「北進論/南進論」に直接関わってくることだ。当時、日本が大陸と東南アジアのどちらに軍を進めるべきかで、大陸進出の「北進論」と東南アジア進出の「南進論」に分かれていた。
 竹越は「南方起源説」と、「南進論」を唱えている。というより、「南方起源説」は、「南進論」の理論的根拠であったといってもいい。例えば韓国併合に平行して現れたのは「日鮮同祖論」であり、それであるがゆえに「両民族は再び合流すべき」という形で、朝鮮半島への侵攻が正当化された。

 同じことが「南島起源説」にも言える。つまりそれは後の「八紘一宇」や「大アジア主義」「大東亜共栄圏」の母体である、「天皇の下の家族」という民族統合理念の原形と言っていい。竹越の『南国記』がベストセラーになったのも、そのような時代背景があったと考えられるのである。
 これをもっと学問的に有名にしたのは、恐らく民俗学の泰斗・柳田國男だろう。柳田はそれまで内地における「阻害された部族」である『山人』をキーワードにした民俗学を進めていたが、欧州渡航後はその理論基盤を「南方論」に変えた。その契機となった著作が、有名な『海上の道』である。

 これは柳田が沖縄旅行を基にして書かれた本と言われ、日本人の「精神の古層」を南島の習俗に求め、その民族起源のルーツを南方の海洋民族に求める著作である。
 このように日本における「南方幻想」には、西洋列強が南島に持つ以上の意味あいがそこに込められることになり、ゴジラはその錯綜した意味あいを象徴的に示すために『呉爾羅』として伝説化されなければならなかったのだと考えられる。
 
 このように『呉爾羅』が「精神の古層」を示すという意味あいで、それを東北で引き受けた怪獣がいる。『大怪獣バラン』に登場するバランである。
 バランは東北の、迷信深い原始信仰の残る山村に現れる。そこでバランは「婆羅陀巍(バラダギ)山神」として伝説化されている。このバランの出自について民俗学の赤坂憲雄は、東北の土俗信仰アラハバキ神との関連を指摘している。

 実は日本生まれの怪獣というのは、このバランと九州の炭鉱に現れたラドンしかいない。この二匹の怪獣が九州と東北という、大和王朝圏から遠ざかった、その周辺地域を出自をしていることは、それが「精神の古層」を象徴するという点でも興味深い。
 現在では様々な調査結果から、日本人のルーツは三通りで時代変遷をしてきたことが定説である。一番、古層にあたるのは南島ポリネシア方面から北上してきた部族で、これがいわば縄文人にあたる。

 その次に中国南部から弥生人、そして半島を経て大陸から大和王朝を築く部族が侵入してきただろうというのが一応の見方である(おおざっぱではあるが)。その最古層の部族が、新たな部族に侵攻を受けたとき周辺に逃れる。
 つまりそれが日本書紀などによく出てくる「夷」であり、東北部の土着部族である。ちなみにこの系統と見られるアイヌ民族と、南端に当たる沖縄人は遺伝的に極めて似てるということである。つまりこの「北端(東北)」と、「南端(南島)」に、日本という土地の『精神の古層』が残っているというわけだ。

 婆羅陀巍山神もそうだが、呉爾羅も単なる怪獣ではなく、記紀の神々が治める前の「荒ぶる神」の一種であると見なしていい。それは「日本」という限定された領域ではあるものの、人々が出世以前に持っている精神の古層、ある種の「集合的無意識」の形なのである。
PR

日々の事  タイムスクープハンター! 


 連休前に行けなかったロックの動物病院に行ってくる。体重は6.10kg。前回より100g軽くなったらしい、食べる量はちょっと増えてるくらいなのにな。群馬に行って散々、運動したせいかな? まあ「痩せすぎではないですね」と女医さんに言われたので別段気にしない。

 具合が悪くなったわけではなく、「チュアブル」というフィラリア用の薬をもらって検診をしてもらっただけである。このチュアブルはなんというか、ペティグリーチャムみたいな加工肉の塊みたいな外見をしていて、ロックは大好物だ。…どうも嫌いな子もいるらしいんだけど。よかった、ロックは好き嫌いがなくて。
 このチュアブルは蚊が出てくる前の季節から食べ初めて、身体に残ってる卵まで駆逐するらしい。凄い。このチュアブルに加え、首の後ろに「フロントライン」いう液薬を垂らす。これはノミ、ダニよけ用の薬なのだが、一度垂らすと汗線から一ヶ月間も薬が出続けて、散歩のときなどにノミやダニを寄せ付けないのだ!

 と、まあロック君の健康状態は全然よくて、丈夫すぎて困るくらいである。ま、それはさておき、表題にした『タイムスクープハンター』である!
 少し前に始まったこのNHKの深夜枠、歴史バラエティドラマが…めちゃくちゃ面白い!!! 連休の最後の日、以前に録画していたタイムスクープハンターのまとめて再放送した分を一気に見ていたのだが、あまりの面白さにひっくり返った。

 タイムスクープハンターは要潤の演じる未来の時間ジャーナリストが、過去に戻って歴史の表舞台に立たないような人たちの生活様態を取材する、というドラマ形式の番組である。
 今までに扱ったのは「忍者」「同心」「医僧」「飛脚」「リストラ武士」である。どれも時代劇などでおなじみに思えるが、実はその細かい生活様態は意外と知らないことばかりである。

 例えば「岡っ引き」と通常呼ばれる職種だが、実は同心に直接雇われている「小者」と、別の仕事で生計をたてつつ同心を手伝う「手先」との二種がいる。時代劇で見る同心の屋敷に一緒暮らしてるわけじゃない岡っ引きは「手先」である。
 「医僧」の回は正直、今までのどんな戦国ドラマより、合戦の悲惨さがよく判った。そもそも戦死した兵士達を往生させるために従事していた僧侶が、次第に医療まで施すようになったのが始まりらしい。『金創』と呼ばれる刃物傷を、針で縫い合わせ膏薬を貼り、布を巻いたりするのだそうである。

 最も感動的だったのは、加賀の大名飛脚たちの話だった。一年に一度、加賀藩は六月に江戸に「氷」を届ける。その氷を溶かさずに運ぶことに、自身のプライドをかけてその荷を運ぶのだ。
 しかしこの氷が半端じゃない。氷自体の重さが60kg、それを入れる長入れが40kg。合わせて100kgの重量のものを、前後の二人で担ぎ疾走する。加賀といえば富山県。富山から東京までの山越えありの道のりを、一班4人で前後の二班で運ぶのである。

 この100kgの荷物を人間だけの力で運ぶのに要する日数だが、なんと四日で運んでしまう! 通常の旅程で倍以上はかかるらしい。相手は氷、時間がかかれば中身は溶ける。なるべく少ない日数で運ぶために、昼夜も少しの休憩で飛脚たちは運ぶのだ。
 ドラマでは後半部の班の人間が酔っ払ったり捻挫したりで二人の欠員が出て、前半の班から二人が引き続きで走ったり、またそれに「一人前の飛脚」になれるかどうかを賭ける新人飛脚の意気込みなどが描かれた。

 この番組が面白いのは、今までにない細部のディティールにこだわった点だ。そして取り上げるのも歴史上の有名人物などではなく、その各時代の普通の人たちの生活の姿なのである。
 これは単純な言い方をすると、歴史ものの面白さというより、時代もの的な、あるいは民俗的な面白さだと言っていい。この番組、一人の人が脚本から演出まで手がけている。非常に凄いことだが、とりあえず毎週楽しみな番組である。
 
 

特撮最前線  ゴジラ②  南島からの来訪



 再び『怪獣学・入門!』から、長山靖生の「ゴジラは何故、南から来るのか」を取り上げてみたい。長山はまずゴジラ原作者である幻想文学者・香山滋の先行作家として、探偵小説家・小栗虫太郎を上げている。

 小栗虫太郎は『黒死館殺人事件』などが有名な戦前の探偵小説家だが、その一方で『人外魔境』のような冒険小説を書いている。この冒険小説の舞台になるのが「南方」で、その南方偏重は明治時代の冒険小説家、押川春浪や矢野龍渓にまで遡れるという。
 冒険小説の系譜は、ゴジラ製作当時に流行っていた山川惣冶の絵物語『少年ケニア』や、戦前から『少年倶楽部』で人気だった南洋一郎の『吼える密林』などに連なっている。ここでは日本の「勇敢な少年」が、南の島で大活躍する物語が人気であった。

 その直接的な先行者に、長山は明治の政治小説家・末広鉄腸をあげている。末広鉄腸はその小説のなかで、日本の漂流民の子孫がフィリピンの独立運動を援助し、その独立が達成されるとそれを日本国へ献上するという物語を描いた。

「それは国益をも織り込んだ環太平洋ユートピアの夢想だった。そこには白人による植民地支配からの解放という大義と、日本人による『指導』という名の支配が、何の矛盾もないかのごとく描き込まれていた」

 これらの事は僕が以前に『社会と人間  文明と野蛮』で書いたことでもある。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=975367757&owner_id=16012523 構図的にはなんら変わることはない。
 ただ注意すべきなのは、これらの創作物が決して「政策」として描かれたものではなく、あくまで普通に人気作品として描かれたことである。つまりここには大衆の幻想を満たす欲望があり、そのような意識で多くの日本人が「南方」へと視線を向けていたのだ。

 しかし実質、そこで行われていたことが植民地支配だったことは言うまでもない。その「指導」の背後に隠されていた「支配」は、南方から復讐に来るゴジラに姿を仮託する。それは抑圧していたものが跳ね返ってくる現象、「影」にあったものに「光」を当てる行為である。
 批評家・柄谷行人は夏目漱石の『彼岸過迄』の文庫本解説に、次のように書いている。

『十九世紀末の小説における探偵の出現が重要なのは、それがマルクスの経済学批判やフロイトの精神分析と平行していることである。たとえばホームズの推理は、決まってビクトリア朝のイギリスにおいて上品にすましかえった紳士たちの過去の犯罪(おもに海外植民地での)をあばきだすことに終わる。それはつねに歴史的な遡行なのである』

 ホームズの扱う事件は、その多くが植民地での事件を背景にした因縁物語であり、それは「文明の進歩」という光に抑圧された影の、荒ぶる力の噴出なのだ。そこには「光」の表層構造に抑圧された「影」が、勢いを増して噴出する様子が克明に描かれているのである。

 以前に『文明と野蛮』でも書いたことだが、文明国が未開国を啓蒙するという立場は、そもそも西洋列強が東南アジアに対してとった態度であり、日本の『南方幻想』はある意味ではそれを模倣したものである。ただし日本の場合には、「日本人の起源」問題がそこに絡み、西洋が単に「南島」を見る視線とはまた別の要素が絡んでくる。
 しかしそのような先進国の「南島幻想」が、植民地でなした行為の『うしろめたさ』と表裏一体であるなら、そもそも南島からやってくる怪獣というモチーフに、極めて重要な意味があることを考えなければならない。

 その最も象徴的な作品が、『キングコング』なのである。そもそも『ゴジラ』は、『原子怪獣現る』という映画と『キングコング』から想を得た作品であり、特に『キングコング』は基本的なプロットが酷似していると言える。
 つまり南島で発見された怪獣が、現代の都市にやってきて、都市を思うがままに蹂躙する物語、というものがそもそも受け継がれたモチーフなのだ。またそこで描かれる南島の野蛮住民の不可思議な宗教儀式などは、後年に作られた『モスラ』に描かれる南島住民の描写と極めて似ている。

 何故、ゴジラは南からやってくるか? の問いに、直接的には「キングコングがそうだったから」という間テクスト論的な答え方が、本当は最もふさわしい。しかしそれ以上に実は、そこにある種の無意識を共通して持つからこそ、『南方から来る怪獣』は共通表現となったのである。
 実は『キングコング』のさらに前に、この「南方から来る怪獣」を描いた作品がある。それはまさにシャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルが描いた『失われた世界』である。

 ここではイギリスの冒険家たちが、閉ざされた故に原始の時代を残存させる世界へと冒険する。そこで半猿人とも言える原始性を残す原住民達と戦い、銃を使った「理性の勝利」を遂げて帰ってくるのだ。その時に冒険家たちは、証拠として一匹の翼竜を連れて帰る。
 その巨大で怪異な姿に、文明社会の住人たちは誰もが驚愕する。その檻のなかの翼竜に、失神する婦人すら現れる騒ぎとなる。だが翼竜は檻に捕まっており、その巨大な力も文明人たちの支配下にあるのだ。

 だが文明社会の住民の思惑を超えて、その翼竜は大空高く舞い上がり逃げ出してしまう。そして翼竜はその後、姿を見せてはいない。

 

日々の事  ロック、大室公園でトモダチを見つける!



 都大会も無事に終わり、かねて計画していた群馬行きへ。別段、高速使わないので渋滞は関係なし。

 しかし、いつものように大胡のグリーンフラワー牧場に来ると、いつになく大勢の家族連れでにぎわってる。こりゃあ、リードを離してロックを遊ばせるのはムリかな、と思ったが奥の方はまだ充分に広いスペースがある。そこでロックと少し遊び、広い芝生を長々と散歩した。
 今日は都大会で頑張った奥さんの慰労と、昨日、長時間ひとりで留守番していたロックのご機嫌取りである。僕は完全に運転手とサービス係りに徹する。ロックは朝からはしゃぎすぎ。いつものように野菜を買ったら移動。

 今回は以前にも来たことのある大胡城跡を思い立って訪ねる。そもそも一番最初に群馬に来たのも、ここが目当てだった。
 大胡城というのは新陰流開祖、剣聖・上泉伊勢守信綱ゆかりの土地である。信綱はこの大胡城にいた大胡氏の流れで、すぐそばの上泉に移り住んでから上泉を名乗る一族が現れたという。残念ながら上泉城自体は現存していない。

 通常は「上泉」で通る信綱も、公家の言継卿という人が書いた日記『言継卿記』では、大胡武蔵守と呼ばれている。信綱の父の代に大胡氏が武蔵の国に移り住んだため、上泉氏が大胡城もおさめることになった。確か信綱も、一時期は大胡城の城主だったかと思う。
 この頃は信綱もまだ剣術家ではなく、一介の戦国武将である。まだ名前も「秀綱」で、長野家の配下だった。後年、長野家が滅んで武田信玄から仕官するように請われたのだがそれを断り、その際に信玄から「信」の一字を受けて「信綱」と称するようになったという話が残っている(真偽は判らないけど)。

 で、そんな剣聖に憧れてゆかりの地を訪ねてみると、荒れ放題でなんにもない城跡の様子に呆然。…というのが最初に訪れたときの印象だった。けど考えようによっては変に観光地化されてよるマシか。
 トンネルをくぐるとほぼ廃墟と化したような文化会館みたいな建物があり、その高台の敷地全体が城跡である。天然の丘を利用して作った山城で、石垣のようなものはない。北側には赤城山を臨み、東側には荒砥川という川が流れ、天然の掘となっている。

 周囲には空堀が残っており一段凹んだ堀が周囲を囲んでいる。階段を上がって天守閣跡に登ると、その外周をぐるりと土塁が包んでいる。かなりの広さはあるが雑草が生い茂り、辺りは緑に包まれている。
 ここに信綱が赤城山を臨みながら暮らしたのかもしれないなあ…などと思って北側を見ても、残念ながら天気は曇り。赤城山は裾野しか見えなかった。しかしこの高台からは周囲がよく見通せて、敵襲をすぐに察知できるだろうなどと思ったりした。

こちらがアルバム。http://mixi.jp/view_album.pl?id=31792571&owner_id=16012523

 大胡城を後にして、今度は南下し大室公園へ。ここは大室古墳群と呼ばれる前方後円墳がいくつも出土した場所を利用して作られた公園である。
 で、到着すると驚きである。ここも人が多い! 以前に来たときにはたたっぴろい公園に人っ子ひとりいなかったのに。恐るべし、ゴールデンウィーク。家族連れやワンコ連れが沢山いる。

 その中で驚いたのは、ブタさんを散歩させてる女性がいたことである。ワンコみたいに首輪をし、リードをつけて散歩している。黒い毛並みで体長はゴールデンレトリバー以上だろうか。
 しかし女性に甘えてズボンを引っ張ってみたり、立ち上がって前足をかけてみたりと実に可愛らしい。もしかしたらワンコ嫌いかもしれないので近付かなかったが、ロックとの2ショット写真を撮ってみたかった! 

 と公園内を散歩していると馴染みのあるシルエット。お、ジャックラッセル・テリアだ! 実はロックは同犬種に会ったことがない。いい機会だと思って近付いてみた。
 相手は家族連れで小学校高学年っぽいお姉ちゃんと弟くんのいる4人家族である。芝生の上で遊んでいたのだが、ロックを近づけて挨拶するとジャック飼い同士、ちょっと話が弾んだ。

 相手のコはカンクロウ君。2歳と3ヶ月くらいで、ロックよりちょっとお兄ちゃんである。カンクロウ君も「遊ぼ」モードだったが、ロックもカンクロウ君に興味津々。実に面白い。
 しかしカンクロウ君、ロックに負けず劣らず人なつっこい! それによく見たら、ロックと同じ立ち耳である。ジャックラッセルのスタンダードはたれ耳なので、ちょいと珍しい。

カンクロウ君の写真はこちら http://mixi.jp/view_album.pl?id=31796595&owner_id=16012523

「いやあ、実はジャックがたれ耳スタンダードって知らずに飼ったんですよ」と話したら、向こうの家族が笑っていた。ジャックは非常に人なつっこい犬種で人間が大好きである。僕に凄く近付きたがっていたが、ロックが嫉妬するのでほどほどにしておく。
 ご家族のご好意で写真を撮らせてもらった。カンクロウ君は同じジャックラッセル・テリアだけど、毛並みがちぢれて長毛の「ブロークン」というタイプである。ロックのようなストレートの短毛は「スムース」という。

 今までブロークンにはあまり興味がなかったけど、こうしてみると実に可愛い。いやあ、ジャックはやっぱりキュートだ。余談だけどジャックラッセル・テリアは、一部では『雑種ラッセル・テリア』とか飼い主の間で呼称されてるのだが、その意味は「雑種のように丈夫」である。 「ジャックは運動量が多いから大変でしょう?」と言ったら、むこうも頷いていた。活発で人なつっこく、いたずら好きで元気で頑丈なのがジャックの特徴。…ちなみに「ペット初心者は飼わないほうがいい犬種」の代表格である。知らんかったって、そんなこと。

 大室公園内ではその他、テリアのペアとかミニチュアダックス、シーズーなど様々なワンコにあった。…しかしふと妙なことに気付く。
 実はロックは近所のワンコとはあまり仲がいいとは言えない。ロックが「遊ぼ」モードで跳ね回るとうるさいらしく、また飼い主さんたちが「元気で可愛いわねえ」とか言うと、嫉妬してウ~とか唸るワンコが多いのだ。しかしこの大室公園ではロックが普通に他のワンコと馴染んでる。

 ふと思ったのだが、普段、広々としたところで遊んでるワンコたちは、フラストレーションが少ないのかもしれない。ロックが最も仲が悪いのは隣の柴犬リュウ君だが、彼は去勢犬で、普段アンニュイな感じなのにロックを見ると唸ってくる。
 特に小さい頃にそうやって威嚇されたからか、ロックが大きくなってからはロックも散歩に行くとき、「いいだろ~」みたいな顔をしてリュウ君の前を通り過ぎたりする。リュウ君の家は小さい子供が生まれてから手がかかるので、散歩が遅くなったり、リュウ君も一日外にいたりするようになったのだ。リュウ君も恨めしそうな顔でロックを見やる。

 うちはなるべく郊外の広い場所にロックを連れていくようにしたい。大室公園でも近くにワンコがいないことを確認して、またボールで遊んだ。しかし人が多くて、少し集中できなかったみたいだった。今度は連休とか外して来ような。美味しそうに水をゴクゴク飲むロックの顔がよかった。

 動画はこちら http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=16012523&video_id=6730258

 ひとしきり遊んだら、近くの日帰り温泉へ。湯質がよくてお気に入りの場所なのである。ゆっくり疲れをとったら、後は奥さんの祝勝会。いつものホルモン屋さんでホルモンをほおばる。ちょっと帰りは渋滞に捕まったけど、それほどひどくなくて帰った。

 今日は僕は休みだけど、実は奥さんは午前中仕事。ご苦労さんである(けど、GWは絶対に旅行できない日程だったな)。あ~、ゴールデンウィークも今日までか。けどまた仕事に読書に薙刀に、日々いそしむ普通の生活に戻るか。
 ひとまず今日のお休みを満喫することにしよう。 

 

武道随感  薙刀都大会を見学する。



 朝、5時半に起きてロックの散歩を済ませ、6時20分に家を出る。向かうのは薙刀都大会の会場、東京武道館。これは天井の「タマネギ」やコンサートで有名な九段下の「日本武道館」とは違う、足立区の綾瀬にある「東京武道館」なのだ。

 しかし遠い。遠すぎる。到着したのは9時30分頃。八王子から綾瀬は、方向的には真逆みたいなものだ。しかし薙刀はどうも、大きな催しなどはここで開催することが多いらしい。大変である。しかし大変なだけの刺激と収穫はあった。
 
 一応、報告しておこう。うちの奥さんは型演武、初・二段の部で3位入賞。いや、こりゃ驚いた! 実は今まで、奥さんの型をあまりマジメに見たことがなかったのだ。しかし意外にやるじゃないか、ダテに普段イバッてない(バシッ)。
 しかし残念だったのは、僕が以前に「気迫が凄い」と書いたIさんたちのチームが、型演武、三段以上の部で初戦敗退したことだ。しかも実はIさんが、今まで失敗するのを見たことがない、相手の薙刀を受払い損ねるというミスを犯してのことである。

 その部の優勝チームは、若い二人組みだった。確かに綺麗で気勢も充分だったけど、僕はIさんたちの演武がそれにひけをとるものとは思ってない(ひいき目じゃなく)。確かに若いチームの演武には速さと鋭さがあったが、壮年を超えたIさんたちの演武には気迫と柔らかさが同居している凄みがある。そこには無駄な力みを捨てた、よどみのない動きがあるのだ。
 しかしIさんほどの人でも、試合に臨んで緊張したり、焦りによって本来の「型」の意味から外れたりすることがあるのかと感慨をひとしおにした。「型」は手順を追うのではなく、来たものに応じる、というのが基本だからだ。それでも僕がIさんたちの演武を、いまだ模範としていることには変わりがない。
 
 また普段、僕が目にすることのない男子の防具試合というのも見た。そして思ったのは、「薙刀でも男が扱うと荒っぽくなるなあ…」という点である。
 女性は体も小さく腕力も弱いので、薙刀を全身で使い、相手を「斬る」。しかしなまじ男は力があるので「腕でふるい」、相手を「叩く」傾向が出るのだ。特にそれは、剣道出身者と一目で判る人数名に顕著に出ていた。

 恐らく剣道でも「斬る」ことを意識している人はそうではないだろうが、どうしても薙刀を身体から離し、小さな腕の動きで「弾くように」ポンと当てて「キェーィッ」と気勢をあげる選手が数名いた。
 しかし感心したのは、恐らく剣道なら一本入ってもおかしくないその打突を、薙刀の審判は「斬れてない」ものとして不十分と見なす点にある。逆に力は入れてないが全身の動きを伴う、スパンとした感じの斬りを一本に取るのが顕著だった。

 だがそれ以上に感心しなかったのは、「頭を傾げて面を避ける」動作である。確かにそうすれば、相手の面が綺麗に決まらないから一本にはならないかもしれない。しかしその外れた切っ先は、よくて袈裟切り、悪くて頚動脈を一刀両断である。こんなルール上の勝ちにのみ意味がある動きは、「武道的に」は全く意味がない。
 これは実は薙刀選手も数名やっていたことなので、防具試合に対する偏重それ自体の悪弊かと思われる。例えば脛と面が相打ちになり、脛が一本取るような場面が多く見られたが、真剣で考えれば片方は脛下がなくなるだけ。しかし片方は面を割られているのである。どちらが致命傷かは言うまでもない。

 防具による競技的な試合には注意が必要だ。本来の意味を見失っては、武道の本分を忘れてしまう。そんな事を考えていたら、閉会式のときに副会長とか紹介されたご婦人が総感として言った。
「薙刀は後ろの手が大事です。前の手で振るのではりません。特に男性のなかには、剣道のように短く薙刀をもって振ってる人が何人かいました。それに薙刀では体当たりもありません。それは薙刀から外れています。取り組む人は、よく考えるように」

 いや、ズバリと言ったものだ、凄いこの人。と、ひそかに感心した。帰り際、駅までの道を歩いてると、その髪を少し赤く染めたご婦人がシャカシャカと歩いている。隣で奥さんが、「あ、『先生』よ」と声をあげる。
 …え、あの人があの『先生』? おん年78歳の? ウソだろ。噂どおりの闊達な歩きである。素早い足取りで、どんどんと先へ進んでいく。と、目の前の歩行者信号が点滅する。すると『先生』やおら猛ダッシュ!

 …マジかい! 元気よすぎ。ちんたら歩いて信号待ちする若者を尻目に、先生は横断歩道を走って渡り、何事もなかったかのように歩いていく。
 『先生』は月に一度、金曜日の昼間の稽古にだけ姿を現すそうである。見たいなあ~、教わりたいなあ。有給とって休んじゃおうかなあ。

 なにはともあれ刺激の多い一日だった。学んだことが多くて書ききれない。それはいずれ徐々に。ちなみにロック君は、今日は12時間近くお留守番。いつもより長めに散歩をねだったのだった。  

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

最新記事

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R