再び『怪獣学・入門!』から、長山靖生の「ゴジラは何故、南から来るのか」を取り上げてみたい。長山はまずゴジラ原作者である幻想文学者・香山滋の先行作家として、探偵小説家・小栗虫太郎を上げている。
小栗虫太郎は『黒死館殺人事件』などが有名な戦前の探偵小説家だが、その一方で『人外魔境』のような冒険小説を書いている。この冒険小説の舞台になるのが「南方」で、その南方偏重は明治時代の冒険小説家、押川春浪や矢野龍渓にまで遡れるという。
冒険小説の系譜は、ゴジラ製作当時に流行っていた山川惣冶の絵物語『少年ケニア』や、戦前から『少年倶楽部』で人気だった南洋一郎の『吼える密林』などに連なっている。ここでは日本の「勇敢な少年」が、南の島で大活躍する物語が人気であった。
その直接的な先行者に、長山は明治の政治小説家・末広鉄腸をあげている。末広鉄腸はその小説のなかで、日本の漂流民の子孫がフィリピンの独立運動を援助し、その独立が達成されるとそれを日本国へ献上するという物語を描いた。
「それは国益をも織り込んだ環太平洋ユートピアの夢想だった。そこには白人による植民地支配からの解放という大義と、日本人による『指導』という名の支配が、何の矛盾もないかのごとく描き込まれていた」
これらの事は僕が以前に『社会と人間 文明と野蛮』で書いたことでもある。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=975367757&owner_id=16012523 構図的にはなんら変わることはない。
ただ注意すべきなのは、これらの創作物が決して「政策」として描かれたものではなく、あくまで普通に人気作品として描かれたことである。つまりここには大衆の幻想を満たす欲望があり、そのような意識で多くの日本人が「南方」へと視線を向けていたのだ。
しかし実質、そこで行われていたことが植民地支配だったことは言うまでもない。その「指導」の背後に隠されていた「支配」は、南方から復讐に来るゴジラに姿を仮託する。それは抑圧していたものが跳ね返ってくる現象、「影」にあったものに「光」を当てる行為である。
批評家・柄谷行人は夏目漱石の『彼岸過迄』の文庫本解説に、次のように書いている。
『十九世紀末の小説における探偵の出現が重要なのは、それがマルクスの経済学批判やフロイトの精神分析と平行していることである。たとえばホームズの推理は、決まってビクトリア朝のイギリスにおいて上品にすましかえった紳士たちの過去の犯罪(おもに海外植民地での)をあばきだすことに終わる。それはつねに歴史的な遡行なのである』
ホームズの扱う事件は、その多くが植民地での事件を背景にした因縁物語であり、それは「文明の進歩」という光に抑圧された影の、荒ぶる力の噴出なのだ。そこには「光」の表層構造に抑圧された「影」が、勢いを増して噴出する様子が克明に描かれているのである。
以前に『文明と野蛮』でも書いたことだが、文明国が未開国を啓蒙するという立場は、そもそも西洋列強が東南アジアに対してとった態度であり、日本の『南方幻想』はある意味ではそれを模倣したものである。ただし日本の場合には、「日本人の起源」問題がそこに絡み、西洋が単に「南島」を見る視線とはまた別の要素が絡んでくる。
しかしそのような先進国の「南島幻想」が、植民地でなした行為の『うしろめたさ』と表裏一体であるなら、そもそも南島からやってくる怪獣というモチーフに、極めて重要な意味があることを考えなければならない。
その最も象徴的な作品が、『キングコング』なのである。そもそも『ゴジラ』は、『原子怪獣現る』という映画と『キングコング』から想を得た作品であり、特に『キングコング』は基本的なプロットが酷似していると言える。
つまり南島で発見された怪獣が、現代の都市にやってきて、都市を思うがままに蹂躙する物語、というものがそもそも受け継がれたモチーフなのだ。またそこで描かれる南島の野蛮住民の不可思議な宗教儀式などは、後年に作られた『モスラ』に描かれる南島住民の描写と極めて似ている。
何故、ゴジラは南からやってくるか? の問いに、直接的には「キングコングがそうだったから」という間テクスト論的な答え方が、本当は最もふさわしい。しかしそれ以上に実は、そこにある種の無意識を共通して持つからこそ、『南方から来る怪獣』は共通表現となったのである。
実は『キングコング』のさらに前に、この「南方から来る怪獣」を描いた作品がある。それはまさにシャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルが描いた『失われた世界』である。
ここではイギリスの冒険家たちが、閉ざされた故に原始の時代を残存させる世界へと冒険する。そこで半猿人とも言える原始性を残す原住民達と戦い、銃を使った「理性の勝利」を遂げて帰ってくるのだ。その時に冒険家たちは、証拠として一匹の翼竜を連れて帰る。
その巨大で怪異な姿に、文明社会の住人たちは誰もが驚愕する。その檻のなかの翼竜に、失神する婦人すら現れる騒ぎとなる。だが翼竜は檻に捕まっており、その巨大な力も文明人たちの支配下にあるのだ。
だが文明社会の住民の思惑を超えて、その翼竜は大空高く舞い上がり逃げ出してしまう。そして翼竜はその後、姿を見せてはいない。
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