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思索の道程  モラル・ハラスメント被害者のタイプ



 マリー=フランス・イルゴイエンヌの『モラル・ハラスメント』から、モラルハラスメントの被害者になりやすいパーソナリティを引用してみる。

「モラル・ハラスメントの被害者は素直な性格で、人の言うことを信じやすい。相手が心底から破壊的な人間であるとは想像もできず、なんとか相手の行動に論理的な説明をつけようとし、もしそこに誤解があるなら、それを解こうとする。
『もし私がちゃんと説明したら、相手は理解して謝ってくれるにちがいない』。そう考えるのだ。これは別に不思議なことではない。モラル・ハラスメントの加害者ではない人間にとって、誰かがそれほどの悪意をもって他人を操ろうとするなどとは考えられないことだからだ。

 モラルハラスメントの加害者とは対照的に、被害者のほうは素直に相手の言葉を受け取り、そのうえで弁明しようとする。だが、素直な人間が警戒心の強い人間に心を開いたら、警戒心の強い人間の方が権力を持つに決まっている。加害者の方は被害者に心を開いたりはしない。攻撃を加えながら、ただ被害者を軽蔑するだけだ。
 いっぽうの被害者のほうは、特に最初のうちは加害者の行動に理解を示し、それに適応しようとする。もともと人を愛し、認める傾向にあることから、加害者を理解し、許そうとするのだ。
 『こんな行動をとるのはこの人が不幸なせいだ。私が安心させて、この状態から救い出してあげよう』。母親が子供を守るように、被害者は加害者を助けてあげなければならないと感じる。『このかわいそうな人を救えるのは自分だけなのだ!』そう思うのである」

「被害者は場合によってはかなり長い間、加害者のすることを受け入れている。だがそれは逆に被害者が活力にあふれているからだ。被害者は不可能なことに立ち向かい、このモラル・ハラスメント的な生活に意味を与えようとしているのだ。『私のおかげで、この人は変わるだろう』。被害者はそう思っている。これが活力にあふれた態度でなくてなんであろう?
 だが被害者がそう考えるというのは、それはある意味で被害者の弱点でもある。被害者は自分の力にいくらかの不安を感じている。劣等感をもっていると言ってもよい。だからこそ、死者を生き返らせるようなこの不可能な仕事に身を投じるのだ。これは一種の挑戦である。
 被害者は強い人間で、また能力にも恵まれている。だがそのことを自分に証明する必要を感じているのだ。被害者を惹きつける段階で、加害者はこの気持ちを利用する」

「モラル・ハラスメントの被害者になるような人間は、誰から見ても喜びにあふれ、幸福そうに見える。そのため人から羨望されることになりやすい。被害者になるような人間は何かを持っていることの喜びを隠せない。また幸福を言葉や態度に表わさずにいることができない。
 だが一般に私たちの社会では、そんなことはしないほうがいいとされている。そんなことをしたら、他人の羨望に身をさらすことになるからだ。私たちの社会では平等ということに高い価値が置かれているため、意識しようとしてまいと、羨望というものは羨望される側が引き起こすと考える傾向にある」

「モラル・ハラスメントの被害者になるような人々は、相手から誤解されたり、相手とうまくやれないことに耐えられない。そこでもしそんなことがあったと感じたら、それを取り返そうとする。また何か問題が生じると、さらに努力を重ねてへとへとになるまで尽くし、それでもうまくいかないと、罪悪感を感じてますます尽くす。
 その結果、心底疲れはて、いっそうの罪悪感を感じる。まさに悪循環だが、ともかく何かがあると『相手が満足しないのは自分がいけないのだ』『相手が攻撃的になるのは自分がいけないのだ』と考えるのである。
 この極端な罪悪感は失敗を恐れる気持ちからきている。こういったタイプの人々にとって、失敗や後悔は大きな苦しみを引き起こすからだ。

 またモラル・ハラスメントの被害者になるような人々は、それがたとえ根拠のないものであっても、他人からの非難に傷つきやすい。したがって、いつも自分のしたことを釈明しているのだが、加害者のほうはこの弱点をつき、被害者の心に疑いをもたせる。
 つまり『もしかしたら、自分は気がつかないうちに相手が非難するようなことをしていたのではないだろうか?』と疑わせるのだ。仮に相手の言ってることに根拠にないように思えても、被害者は最後には自分のしたことに自信がなくなり、『やはり自分が責任を引き受けるべきではないだろうか』と思ってしまう。

 加害者のほうはいつでも非難を他人に向ける。被害者のほうは非難をいつでも自分に向ける。加害者と被害者の関係は『非難』を中心にして完璧な形で成り立っているのだ」

「モラル・ハラスメントの被害者になるような人間には隠れた劣等感がある。この劣等感を被害者はほかのことによって埋め合わせているのだが、自分が過ちを犯したと感じると、その劣等感が表にあらわれる。だがその劣等感は被害者をそのまま悲しみとか倦怠感とかいった抑うつ状態にひきずりこむわけではない。
 被害者はむしろ、この劣等感からくる不安を解消しようとして、社会とつながりを持ち、まわりの人間に奉仕しようとする。それによって劣等感を埋め合わせようとするのだ。だが、被害者は同時に罪悪感を持ちやすい。
 そこでまた劣等感が表にあらわれてきて、それを埋め合わせるために何かの活動に従事する。モラル・ハラスメントの被害者が活力にあふれているのはそのためである。これはすべて被害者の前うつ的(メランコリック)な性格から来ている」

 …残念ながら、僕はこの被害者タイプのパーソナルにドンピシャである。それは被害者の幼少期における、抑圧体験から生じている適応戦略上の偏りが関わっていると個人的には思っている。実は加害者と被害者は、幼少期に抑圧体験を経たという点では似た資質を持っている。
 ただ一応、注意しておくが、僕は被害者だったというのではなく、完全なモラル・ハラスメント被害に合う前に逃げだした、というほうが実情にあっているかと思う。家庭内や職場等の、逃げのきかない場所でのモラル・ハラスメントは相当に辛いものがあると感じられる。
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