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武道随感  薙刀初心者講習



 実はGW中は告知を出しての薙刀初心者講習会だったらしい。僕はそれより早い、中途半端な時期に入ったらしく、僕も一応「初心者講習を受けるという形に」するということである。一応受講が終わると、受講証明書がもらえるそうだ。

 で、今年は結構、初心者講習を受ける人が例年になく多いらしい。僕の言ってる火曜日に二人、他の曜日に三人で、僕を入れると計6人になるようである。
 初回の講習の日は群馬に行っていたので、僕は今日が初日。他の二人と初めて顔合わせする。一人は高校三年間の間、薙刀をやっていた経験者の女性。15年ぶりの復帰だそうである。もう一人は30代中盤の男性で、細身で顎髭なんか生やしてる。ちょっと目つきがよくない。

 この男性と少し話しをしたのだが、少林流の空手と、それから古流柔術の経験者だそうである。しかし柔術の方は先生が大学教授だったとかで忙しく、ろくに稽古にならなかったそうである。
 僕もまあ、何かと色々やってきているので少しそんな話もしたのだが、…どうも合わない。こんなこといきなり書いていいものかどうかとも思うが、どうも合わない感じを受けた。

 一番合わなさを感じたのは、その人の薙刀に対する学び方、態度に熱意が感じられないことだ。それまでの武術(特に空手の棒術)と比較しながら、ただ言われるがままに順を追ってるだけ。Kさんがより次のことを教えようとしても、「いや、ちょっと覚えきれないんで…」とか言って、教わるのを断ってる。
 教えてもらいたくても教われない時代があったというのに、教えようという相手に対して「結構です」とは何事だ。自分のペースで学習したいのかもしれないが、まず身体に通して、後から復習すればいいだけのことである。そもそもの熱意が、土台感じられない。

 もっとも気になるのは、「時間が空いてるのに素振りもしない」というその態度である。言われたことをやったら、後は手持ち無沙汰にボーッとしている。どんな武術だってそうだが、一人でやる素振り等の基本練習以上に重要なものなんてない。薙刀みたいなものになると家で振れないので、僕は練習時間の半分くらい使うつもりで素振りをしてる。
 他の武術の知識をもっていたり、比較をするのは構わない。しかしその「知識を持っている」ことを、「練習時間」と置き換えては、全く意味がない。その場合の武術知識は、練習しないにも関わらず自意識を育てるためだけの、方便になりかねない。

 しかしさらに気付いたのは、この男性が明らかに僕より、「正しい形」をKさんから教わってない、ということである。僕が一日目を終えたときには、もっと多くの事を習っていたし、より深い武道の精神性に触れることすら習っていた。
 しかしこの男性と合わせて型をやると、単に手順を習ってるだけで、全然「武道的な」ことの注意を受けてないのが判る。僕は「そういうことか…」と思った。

 薙刀は競技人口が少なく、特に男性の入門者は歓迎される。しかしそれでも、本人の熱意がなければ、教える側の熱意も削がれるのだ。それは比例して、表れるものである。僕は「これ以上教えるとあんまり早すぎるから、まだとっときましょう」とか冗談で笑われるくらい、Kさんから一気に教わった。
 いや、この男性も悪気はないんだろうけど…どうなんだろう? 結局、自分にとって損なだけである。それに、どれだけ色んな事を知っていたとしても、虚心坦懐に新たなものに向かい合い、発見する姿勢を持たなければ、素晴らしいポテンシャルのものも全くムダになろうというものだ。ようは自分の『学ぶ姿勢』である。

 この人が来週来るかどうか、またこれから薙刀をやるのかどうかは判らないが、別に興味はないので構わない。僕はそれより、初心者講習のためのパンフに書いてあった言葉にひどく感動した。

『最も大切なことは、なぎなたの本筋はこのような外見だけでなく、武道としての心のありようを、どのように受け継ぎ、次世代に繋いでいくかにあると思う。なぎなたが、今日まで連綿と伝えられてきたのは、表現する形とともに、そこに内在する精神が、老若を問わず、多くの人を魅了してきたからに他ならない。つまり、なぎなたの「術」から「道」への変化である。
 「道」を語るには、まだまだ未熟ではあるが、私自身がなぎなたを通して、自然と身に備わっていければと願っているのは、仁、義、礼の徳であり、和、淑、凛の心構えである。あらゆる人との関わりの中に自己の存在があり、それ故に他人を愛し、いつくしむことが「仁」。正義を重んじ、正しいことを正しいと言いきれる信念が「義」。相手を尊び、互いに認め合うところに、「礼」がある。
 そこに自らの慎みを加えることで「和」の心が実現され、なぎなたの修行を通して得られる「淑」は、うちに秘めた毅然さを大切にすることで、内面からおのずと香る品位である。そして「凛」は、そとに礼儀正しく、うちに徳正しくあれば、凛とした心からは凛とした姿が表れ、凛とした姿には凛とした心が宿るのである。このような高邁な境地には、一生をかけても到達するのが難しい』(全日本なぎなた連盟理事長 河盛敬子)

 「武術」から「武道」に移った僕には、ひどくズンと響いた言葉だ。こういう言葉は「形だけ」ではなく、薙刀の「実感」がこもっている。…なるほど、と思う。内面からおのずと香る品位…いや、実際、高段者の方々はなんとなく漂わせているものだ。「淑」も「凛」もだけど。
 僕もそういう境地を求めて歩みたい。と、目線だけは上に向ける初心者である。


 
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