ゴジラには奇妙なところがある。ゴジラは南太平洋で古代恐竜が被爆した結果現れた怪獣である。にも関わらず、ゴジラは日本の大戸島に「呉爾羅」としての伝説が残っている。
もしゴジラが被爆しただけの古代恐竜であるならば、大戸島の伝説は不要である。古代恐竜は被爆した後、直接、東京にくればいい。しかし何故か『ゴジラ』というテクストは、そのなかに不要とも思われる大戸島の伝説を入れているのである。これは何を意味しているのだろうか?
心理学者ユングは、フロイトの個人的な抑圧記憶に対して、誰もが普遍的にもつ無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。それは意識の下にある『精神の古層』ともいうべき領域に結びついており、ユングは各地の神話の類似性などにその根拠を求めている。
ゴジラが「近代の抑圧された意識」であるとき、それは「原爆」や「植民地支配」という『影』と結びついていると同時に、それは「近代以前の記憶」という時間的な「過去」へとも結びついている。その『影』と『古層』は、どちらも意識下にある点で同じ位相にあるのだ。
先進国にとって「南島」が一種の抑圧された記憶であることは前に述べた。しかし南島は、日本にとっては植民地であるだけでなく、それ以上の意味をもっている。それは南島が、「日本人のルーツ」であるという側面である。
明治以降、日本人のルーツ論は各領域で盛んな議論を見せていた。それは日本国内の外国人居留の問題や(内地雑居論論争など)、日本軍の侵攻計画などのアクチュアルな問題と結びつきながら展開していく。
そのなかでも「南島」は、ポリネシア方面から日本人のルーツが北上してきたという説の原点にあった。例えば竹越与三郎の『南国記』は日韓併合の直前(1910年)に発表され一大ベストセラーになった。
この竹越という人物は民権派マスコミである民友社の記者から帝国議会議員になった人物だが、民間史家の側面ももっており、それ以前にも日本通史である『二千五百年史』などの著作を書いていた。
この『南国記』は当時、オランダの植民地であったジャワ島やインドシナ方面など旅行した紀行文だが、そのなかでは竹を用いた船や掛合歌など日本と南方の類似点を列挙し、日本人のルーツを南方から来たマレー系住民とし、天孫民族も南方渡来であるとしている。
興味深いのは「南方起源説」が、同時に当時、論争されていた「北進論/南進論」に直接関わってくることだ。当時、日本が大陸と東南アジアのどちらに軍を進めるべきかで、大陸進出の「北進論」と東南アジア進出の「南進論」に分かれていた。
竹越は「南方起源説」と、「南進論」を唱えている。というより、「南方起源説」は、「南進論」の理論的根拠であったといってもいい。例えば韓国併合に平行して現れたのは「日鮮同祖論」であり、それであるがゆえに「両民族は再び合流すべき」という形で、朝鮮半島への侵攻が正当化された。
同じことが「南島起源説」にも言える。つまりそれは後の「八紘一宇」や「大アジア主義」「大東亜共栄圏」の母体である、「天皇の下の家族」という民族統合理念の原形と言っていい。竹越の『南国記』がベストセラーになったのも、そのような時代背景があったと考えられるのである。
これをもっと学問的に有名にしたのは、恐らく民俗学の泰斗・柳田國男だろう。柳田はそれまで内地における「阻害された部族」である『山人』をキーワードにした民俗学を進めていたが、欧州渡航後はその理論基盤を「南方論」に変えた。その契機となった著作が、有名な『海上の道』である。
これは柳田が沖縄旅行を基にして書かれた本と言われ、日本人の「精神の古層」を南島の習俗に求め、その民族起源のルーツを南方の海洋民族に求める著作である。
このように日本における「南方幻想」には、西洋列強が南島に持つ以上の意味あいがそこに込められることになり、ゴジラはその錯綜した意味あいを象徴的に示すために『呉爾羅』として伝説化されなければならなかったのだと考えられる。
このように『呉爾羅』が「精神の古層」を示すという意味あいで、それを東北で引き受けた怪獣がいる。『大怪獣バラン』に登場するバランである。
バランは東北の、迷信深い原始信仰の残る山村に現れる。そこでバランは「婆羅陀巍(バラダギ)山神」として伝説化されている。このバランの出自について民俗学の赤坂憲雄は、東北の土俗信仰アラハバキ神との関連を指摘している。
実は日本生まれの怪獣というのは、このバランと九州の炭鉱に現れたラドンしかいない。この二匹の怪獣が九州と東北という、大和王朝圏から遠ざかった、その周辺地域を出自をしていることは、それが「精神の古層」を象徴するという点でも興味深い。
現在では様々な調査結果から、日本人のルーツは三通りで時代変遷をしてきたことが定説である。一番、古層にあたるのは南島ポリネシア方面から北上してきた部族で、これがいわば縄文人にあたる。
その次に中国南部から弥生人、そして半島を経て大陸から大和王朝を築く部族が侵入してきただろうというのが一応の見方である(おおざっぱではあるが)。その最古層の部族が、新たな部族に侵攻を受けたとき周辺に逃れる。
つまりそれが日本書紀などによく出てくる「夷」であり、東北部の土着部族である。ちなみにこの系統と見られるアイヌ民族と、南端に当たる沖縄人は遺伝的に極めて似てるということである。つまりこの「北端(東北)」と、「南端(南島)」に、日本という土地の『精神の古層』が残っているというわけだ。
婆羅陀巍山神もそうだが、呉爾羅も単なる怪獣ではなく、記紀の神々が治める前の「荒ぶる神」の一種であると見なしていい。それは「日本」という限定された領域ではあるものの、人々が出世以前に持っている精神の古層、ある種の「集合的無意識」の形なのである。
PR