別になんという事もなく、寝て過ごした二日目。ああ、こうやって僕のGWは終わってゆくのであろうか…。
しかしなんだか知らないが、凄く昼寝をする。昨日は日帰り温泉なぞ行って身体を伸ばしてきたが、今日はそのほぐれた身体の疲れをとってるようだ。
朝は『シンケンジャー』見て『ディケイド』見て、『プリキュア』は見ずに、『ドラゴンボール改』を見る。いつもは『ワンピース』までは見ないのだが、今日はダラダラとワンピースまで見てしまった。
ルフィクラスの船長が他にも2人いる。なんだか知らないヤツは仲間になってるし、白熊が拳法使ってる。…判らん。しかしルフィその他2人と海兵隊との戦いはひどかった。悪魔の実の特殊能力持ってるヤツらと、普通の人間の海兵隊との戦いは、たとえ相手が大軍でも戦力差がありすぎて勝負になってない。これじゃあ一方的な暴力だ。こんなんが、面白いんかな。
ドラゴンボールは始まってからずっと見返しているが、逆に色んな意味で興味深い。ラディッツが悟空に命乞いをするシーン。「判った! もう地球侵略は諦めて帰る。だから見逃してくれ!」。いや、ダメだよ、悟空、騙されるよ! …とか思ってると、やっぱり騙される。
いや、けど騙されるよ。この局面で実兄に(いや、そうでなくても)そう言われたら、シッポを持つ手も緩むだろうよ。僕もそう思う。けど、そこが甘さだ。ああ、悟空、どうしてそんなに甘いんだ、善人すぎる。
けどそうだろうな、そう思うよ、悟空。甘くても人を信じるほうに傾いてしまうんだろう。けどそういう誠意が通じないことだってある。誠意を踏みにじっても勝利を得ることを優先する人間だっているんだ。その両者をリアルに描いてるところが凄い。
興味深いのはピッコロの悟飯に対する態度である。まず武術を教えるのではなく、「六ヶ月生き延びてみせろ」という課題を与えるのが面白い。戦うことの前に、一人で生きる力と意志を身につけさせる。なるほど~、ピッコロ流。
しかし悟空に対して「あいつは戦士としては強いが師匠としては甘すぎる」。いや、けどピッコロ、悟空が父親なら子供はいいが、ピッコロが父親だったら子供は絶対、曲がって育つぞ。「恨むんだったら、テメェの運命を恨むんだな。…このオレのようにな」。く~、そうなのか、ピッコロ!
池波正太郎とか鳥山明のような優秀な作家というのは、本人の武術経験がなかったとしても、実に興味深い真実を描き出すことがある。例えば超サイヤ人になった後の孫親子の修行では、悟空は「超サイヤ人の状態に自分を慣らすんだ。まずはこのイライラした気持ちを抑えるようにする」とか言ってる。実に興味深い。
それにトランクスがパワーだけをアップした変身をして、「オレは父さんも超えてしまったんです」と勘違いしていたり、当のベジータや悟空たちは、そんな事とうの昔に判っていたとかの描写も実にリアル。
さらには超サイヤ人になれるのに、空が飛べないという悟天のアンバランスさも面白い。相対性理論は発表当時、『世界に三人しか理解できない』と言われていた。けど今は、高校物理くらいで習う基礎知識となっている。
それに現代の子供はパソコンは使えても、その元になっている数学理論などは判らない。そういうアンバランスさっていうのは、現実に多々見られる現象だ。
この頃の鳥山明って、どうしてこう鋭いことが描けたのだろう。それが「のっている」という事なんだろうか。実際に武術を知ってる人が書くと、ある意味では細部の技術にこだわりすぎて見落としてしまうような本質を、優れた作家は武術をやらずともその目で見極めて表現できる。その事自体が興味深い。
あ、昼間はDVDを見ていた。石原さとみ主演の『フライング・ラビッツ』。合気道をやっていた主人公が、念願のキャビンアテンダントになる。しかしどういう経緯からか、企業所属のバスケチームに入部することになる、という物語である。
いやあ、「合気とは人と争わない道」とか、「今を真剣に生きる心」とかいう『合気道の精神』を糧に、バスケに仕事に恋に頑張る女の子。…いいじゃないか、頑張る女の子。僕の弱いパターンだ。
石原さとみって意外に可愛いな。この映画で初めてそう思った。…と奥さんに言ったら、「私は前から可愛いって言ってるじゃない」だと。そうか、ちょっと気付くのが遅かった。
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