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特撮最前線  ゴジラ① 戦争映画として



 別冊宝島『怪獣学・入門』という本には、民俗学や宗教学、近代美術等の観点から怪獣映画を考察した論文が多く掲載されている。そのなかで一際、僕の興味を引いたのは、民俗学者・赤坂憲雄の『ゴジラはなぜ皇居を踏めないか』という小論と、日本近代史の長山靖生による『ゴジラはなぜ「南」から来るのか?』という論文である。

 昭和29年(1954)に公開された映画『ゴジラ』は、終戦からまだ10年経たない、戦争の記憶もまだ生々しく残る時代に公開された。前掲の赤坂論文では、ゴジラが南島から東京を目指して上陸しておきながら、皇居の前できびすを返し国会議事堂を破壊するさまを指摘した文芸評論家・川本三郎の文章を引いている。

「戦争で死んでいった者たちがいままだ海の底で日本天皇制の呪縛のなかにいる…。ゴジラはついに皇居だけは破壊できない。これをゴジラの思想的不徹底と批判する者は、天皇制の『暗い』呪縛力を知らぬものでしかないだろう」

 つまりゴジラとは、はるか南太平洋で国のために散っていた兵士達の霊魂の化身という事である。だからこそゴジラは「南」から来るのだ。ただしウィキペディアを見ると、このシーンがさらに別の角度から目撃されていることが判って面白い。

「そのような時代背景か、助監督として参加した梶田興治によると、ゴジラが国会議事堂を破壊したシーンでは観客が立ち上がって拍手をしたと語っている。
 (中略)
 そんな中、原作者の香山滋は、ラストシーンでゴジラがオキシジェン・デストロイヤーによって溶けて死ぬシーンを哀れに思い、一人座ったまま感極まって泣いていたという。主演の宝田明もゴジラにシンパシーを感じたと後に語っており、映画公開後には観客からも『なぜゴジラを殺したんだ?』『ゴジラが可哀想だ』という抗議の声があったという」

 あれほどの災厄をもたらしたゴジラに「可哀そう」という意見があったこと、そして国会議事堂の破壊に拍手が起きたことは非常に興味深い。少なくともゴジラは『単なる災厄』ではなく、間違いなく「戦争犠牲者の魂」を引き継いだ何者かだったことが意識されていたわけである。
 その意味では『ゴジラ』とは、明らかに「戦争映画」なのである。そこに語られていたのは太平洋戦争を終えた日本人の、戦争への回顧、その受容の物語なのである。

 『ゴジラ』の最初のシーンは、貨物船の乗組員が白熱する光を浴びて、船が炎上しながら沈没していくシーンで始まる。言うまでもなくこれは米国の水爆実験の被害にあった第五福竜丸事件(1954年3月。ゴジラはこの年の11月に公開)を喚起させるシーンである。
 この事件は唯一の被爆国である日本の、更なる傷痕として人々に刻印された。しかし実は日本のヒロシマ・ナガサキの原爆被害の実態というのは、長い間、国内でも秘密裏にされていた。京大の学生が日本で最初に、本格的な『原爆展』を開いたのは1951年のことである。実に終戦から六年も経過している。

 このデパートで開かれた『総合原爆展』は、10日間で3万人もの人が足を運んだという。しかしこれだけで原爆の知識が広まったわけでは無論ない。多くの人々は原爆や放射能、被爆者の実態というものを、まだあまり知らなかった。
 実際、『ウルトラセブン』(1967)で被爆者の会から抗議を受けて欠番となった『遊星より愛を込めて』を見ても、あまり「被爆者」の状況が理解されてるとは言い難い感触を僕自身は受ける。被爆星人が汚染された血液を交換するために地球人を襲うというストーリーは、放射能汚染の症状を軽く見積もりすぎているとしか言いようがない。

 実際、過去のアメリカ本土での核実験の写真などを見ると、兵士達が驚くほど近い場所でそれを見物している様子などもあり、「きのこ雲を見た」くらいの距離でも被爆か否かが問われる日本の感覚とは到底違っていたことが判る。正確な知識が広まったのは、結構、後になってからの話だ。
 しかしそのような時代において、ゴジラの最初のシーンの白熱光は、実に恐ろしいリアリティをもって描かれている。また島の一軒屋のなかにいて、巨大な稲妻が光ったかのように辺り一体が閃光に包まれる場面も、その『光』の持つ恐ろしさをよく描いている。

 この「光」の恐ろしさは、ゴジラが上陸し放射能火炎を吐くときにも徹底して描写されている。その最も有名な工夫は、ゴジラの放射能火炎を受けて、電線の鉄塔が融ける描写である。円谷英二はこれを撮影するために、ロウソクで鉄塔を作り、ドライヤー熱で溶かしたという。鉄の塊が凄まじい高温で見る見るうちに崩れ落ちていく様子が、その現象の尋常じゃなさを認識させる。
http://video.mixi.jp/view_video.pl?video_id=6678525&owner_id=16012523

 そもそも円谷英二という人は、戦前の東宝でミニチュア飛行機や戦艦による戦争映画を作っていた。特に『ハワイ・マレー沖海戦』では特撮監督としてその腕をふるい、真珠湾攻撃時の交戦の模様を見事に再現している。

 『ゴジラ』につらなるその後の東宝の怪獣映画は、ほぼ平行して作られていく東宝の戦争映画と兄弟関係にあると言ってもよく、その基本的な技術や製作法には共通のものがあると見てよいのである。例えば1965年公開の『太平洋奇跡の作戦 キスカ』などは、円谷英二の特撮が凄すぎて「実写か特撮か?」という議論まで起きたという。
 しかし『ゴジラ』にはミニチュア撮影の特撮以上に、大きく「戦争」の原体験というものを訴えるシーンがある。それは空中に張り巡らされた電線越しに、ゴジラの顔がにゅうと出てくるシーンである。

 それは終戦直前の1944年11月以降に、実に106回にもわたって空襲を受けた東京の空襲風景の再体験である。特に3月10日の東京大空襲は大きな被害を与えた。
 燃え盛る街並み、走りまわる消防車。そしてなす術もなく燃え崩れる街を見て、「ちくしょう、ちくしょう」とだけ呟く少年。災害の去った後に残る瓦礫の街並みと、狭い場所に集まる焼け出された人たち。…それらの全てがまだ生々しい記憶を残す戦争の傷痕を呼び起こす。

 しかしDV被害やレイプ被害などによる心の後遺症は、「本人の口から外部化される」ことによって初めてその傷が癒える。いわば『ゴジラ』とは、戦争を体験した日本人にとっての、その再体験のための外部化の物語なのだ。
 実際の空襲は、もしかしたら「ゴジラ」よりもその破壊力においては低いかもしれない。しかしそれを体験した人々の『心の現実』は、その破壊力と地獄絵図において事実以上の強度をもつ。ゴジラはその「心の現実」の姿なのだ。

 これはゴジラが「兵士たちの霊魂」であることと、どのように関わるだろうか。帰還兵たちはほとんどが、その戦争体験に対して口をつぐんだ。日本は終戦後、それまでの理念に手の平を返すように裏返して民主主義を唱え始める。
 では戦争で死んでいった兵士たちは、どのようにして浮かばれるのか。戦後民主主義は兵士たちの存在を『不問』にすることで成立した。その後ろめたさの心理に、ゴジラは復讐する。それは戦争が「なかったこと」であるかのように戦後復興を始めた日本に、その根本的な精神外傷の再体験を迫るのである。
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