どうも重苦しいヘビーなことばかり書いていて、読んでくれてる人まで気が滅入っちゃうんじゃないかと少々心配である。どうなんでしょう?
しかし重たい話するのは今に始まったことではないので、何とも言えないが、以前とは雰囲気が変わってしまったと思ってる人もいるかもしれない。ただ書いてる本人は実は気が重くなるどころか、段々、軽くなってくるから不思議である。外部に出すというのは本当に治療効果がある。
しかしこの数日は虐待死した子供の事件などがあって、少々、苛立ちもあったかもしれない。報道では児童相談所によせられる虐待件数は、年間で4万件を超えるそうである。つまりそれだけの子供が、実際に虐待されているということだ。
ついでに言っておくと既婚女性の25%が夫からのDVを経験している。確率で言えば、4人に一人だ(ホントかな?)。北九州市と福岡市が、DVで非難している女性のために定額給付金の換わりになるお金を支給すると発表しているが、横浜市もそれに続く気配であるという。
これはDV男性の多くが、そのままストーカーに変貌することから生じる現象である。多くの重度DV加害者は、被害者が逃げ出すと執拗にそれを追いかけ、またシェルター等に非難しても脅迫メールを送ったり動物の死骸を送りつけたりするストーカーに変貌することが多い。
東京新聞の記事から。
「DVでは子供も被害者だ。父親の暴力を見せられて不安や恐怖、怒りの感情を持ちやすいところへ突然の転校。秘密を抱えた生活になる。つらい気持ちを吐き出せる場所も乏しい」
DV被害者の女性は着の身着のままで逃げてくる人が少なくない。定額給付金が僅かな額であるとはいえ、それはかなりの助けになる。しかし日本の社会制度は「世帯主」を基本とした父権中心主義でできているので、世帯ごとに支給される給付金はDV夫のもとに支給されることになる。その差し止めを元被害者が訴えるケースも出ている。
DVや児童虐待というのは遠い世界の出来事ではなく、ごく身近に存在するはずの問題である。そしてそれを最も考えなくてはいけないのは、多くの場合に加害者となる男性自身なのだ。
僕は男性というのはその社会的立場に応じて、弱者の立場を顧慮できるような「傘」になるべきだと繰り返し書いてきた。強者は強者としての自覚と責任をもち、人を守れるように強くあれ、というのがその目指すところだったのだ。
しかし考えてみれば、男性だって誰もがそんな風に人を守るほどの余裕があるわけではない。そのように他者に責任を取れる以前に、自分の身を守ることに必死な人も多いのだ。
僕はそういう事をほとんど失念しており、「男だったら、弱きを助ける」ということを無条件に責務だと考えていたフシがある。これは社会的な要請でもあるだろう。しかし考えようによってはこれは圧力で、その無言の圧力に不満が鬱積して加害が行われるという面もある。
『女性に優しく男には厳しく』も、少しは返上しようかと考えている。それが路線変更につながるか? …しかし見ようによっては、以前よりキツくなってるような気もする。考えものだ。…どうなんでしょう。
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