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日々の事  GW二日目(つまんない題だね)


 別になんという事もなく、寝て過ごした二日目。ああ、こうやって僕のGWは終わってゆくのであろうか…。

 しかしなんだか知らないが、凄く昼寝をする。昨日は日帰り温泉なぞ行って身体を伸ばしてきたが、今日はそのほぐれた身体の疲れをとってるようだ。
 朝は『シンケンジャー』見て『ディケイド』見て、『プリキュア』は見ずに、『ドラゴンボール改』を見る。いつもは『ワンピース』までは見ないのだが、今日はダラダラとワンピースまで見てしまった。

 ルフィクラスの船長が他にも2人いる。なんだか知らないヤツは仲間になってるし、白熊が拳法使ってる。…判らん。しかしルフィその他2人と海兵隊との戦いはひどかった。悪魔の実の特殊能力持ってるヤツらと、普通の人間の海兵隊との戦いは、たとえ相手が大軍でも戦力差がありすぎて勝負になってない。これじゃあ一方的な暴力だ。こんなんが、面白いんかな。
 ドラゴンボールは始まってからずっと見返しているが、逆に色んな意味で興味深い。ラディッツが悟空に命乞いをするシーン。「判った! もう地球侵略は諦めて帰る。だから見逃してくれ!」。いや、ダメだよ、悟空、騙されるよ! …とか思ってると、やっぱり騙される。

 いや、けど騙されるよ。この局面で実兄に(いや、そうでなくても)そう言われたら、シッポを持つ手も緩むだろうよ。僕もそう思う。けど、そこが甘さだ。ああ、悟空、どうしてそんなに甘いんだ、善人すぎる。
 けどそうだろうな、そう思うよ、悟空。甘くても人を信じるほうに傾いてしまうんだろう。けどそういう誠意が通じないことだってある。誠意を踏みにじっても勝利を得ることを優先する人間だっているんだ。その両者をリアルに描いてるところが凄い。

 興味深いのはピッコロの悟飯に対する態度である。まず武術を教えるのではなく、「六ヶ月生き延びてみせろ」という課題を与えるのが面白い。戦うことの前に、一人で生きる力と意志を身につけさせる。なるほど~、ピッコロ流。
 しかし悟空に対して「あいつは戦士としては強いが師匠としては甘すぎる」。いや、けどピッコロ、悟空が父親なら子供はいいが、ピッコロが父親だったら子供は絶対、曲がって育つぞ。「恨むんだったら、テメェの運命を恨むんだな。…このオレのようにな」。く~、そうなのか、ピッコロ!

 池波正太郎とか鳥山明のような優秀な作家というのは、本人の武術経験がなかったとしても、実に興味深い真実を描き出すことがある。例えば超サイヤ人になった後の孫親子の修行では、悟空は「超サイヤ人の状態に自分を慣らすんだ。まずはこのイライラした気持ちを抑えるようにする」とか言ってる。実に興味深い。
 それにトランクスがパワーだけをアップした変身をして、「オレは父さんも超えてしまったんです」と勘違いしていたり、当のベジータや悟空たちは、そんな事とうの昔に判っていたとかの描写も実にリアル。

 さらには超サイヤ人になれるのに、空が飛べないという悟天のアンバランスさも面白い。相対性理論は発表当時、『世界に三人しか理解できない』と言われていた。けど今は、高校物理くらいで習う基礎知識となっている。
 それに現代の子供はパソコンは使えても、その元になっている数学理論などは判らない。そういうアンバランスさっていうのは、現実に多々見られる現象だ。

 この頃の鳥山明って、どうしてこう鋭いことが描けたのだろう。それが「のっている」という事なんだろうか。実際に武術を知ってる人が書くと、ある意味では細部の技術にこだわりすぎて見落としてしまうような本質を、優れた作家は武術をやらずともその目で見極めて表現できる。その事自体が興味深い。

 あ、昼間はDVDを見ていた。石原さとみ主演の『フライング・ラビッツ』。合気道をやっていた主人公が、念願のキャビンアテンダントになる。しかしどういう経緯からか、企業所属のバスケチームに入部することになる、という物語である。
 いやあ、「合気とは人と争わない道」とか、「今を真剣に生きる心」とかいう『合気道の精神』を糧に、バスケに仕事に恋に頑張る女の子。…いいじゃないか、頑張る女の子。僕の弱いパターンだ。

 石原さとみって意外に可愛いな。この映画で初めてそう思った。…と奥さんに言ったら、「私は前から可愛いって言ってるじゃない」だと。そうか、ちょっと気付くのが遅かった。
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日々の事  GW一日目



 連休前の仕事が忙しくて、予定がズレた。本当はロックを動物病院に連れて行く予定だったのだが、帰りが遅くなってそれどころではなかった。まあ、検診して薬もらうだけだから、慌てる必要はないんだけど。

 今日は午前中は庭の草むしりなどしていた。うっかり奥さんに「うん、休みになったら手伝うよ」とか言ったのが運のツキ。ノビノビになった雑草を、かがんでせっせと引っこ抜く。
 暑いしキツいし、これは中々の重労働だ。普段は奥さんに任せきりだったので、大変だったろうと思う。もうちょっとマメに手伝うことにしよう、これからは(とかその場では思う)。

 で、昼ごはんを食べながらDVD『剣客商売 4thシーズン』を見る。『勝負』という一話。
 ある藩の武術指南役に選ばれた剣士がいるのだが、その条件が「秋山大二郎と立ち会って勝つこと」と出される。その藩は以前に大二郎を迎えようとしたのだが、大二郎に断られたのだった。大二郎はその立会いを父の小兵衛に相談すると、「負けてやれ」と造作もなく言われる。

 「お前が負ければその剣士は仕官が叶うのだろう、負けてやれ」というのが小兵衛の言い分。大二郎は妻の美冬にも「人助けですから」と言われるが、それにどうも納得できない。
 とその矢先、相手の剣士の妻である商人の父親に、金を出されて勝負を譲ってくれと頭を下げられる。聞けば相手の剣士は家の三男坊で、兄弟たちからはずっと邪魔者扱いを受けてきた。その上、商人の娘と結婚したことまで非難され、ずっと不遇の状況に甘んじてきたという。

 その妻も堪えてきた不遇さをやっと抜け出す機会が、今回の立会いだと商人はいう。大二郎はしかし金は受け取らず、約束もせずに立ち去る。そして立会いの日、大二郎は心に迷いが生じて、相手の剣士に一本を取られる。
 しかしその立会いの後、大二郎と相手の義父との接近が目撃されており、「金で勝負を譲った」との噂がたつ。その噂を聞きつけて、相手の剣士が大二郎を訪ねてくる。このような次第では、とうてい納得して仕官できない、仕官を辞退するとまで相手の剣士は思いつめている。そこに美冬の進めで、二人は再度の立会いを約束する。

 余人の見当たらない早朝、二人は木刀を交える。厳しい技の応酬の結果、大二郎は相手に再度一本とられる。「ここまでです。あなたの勝ちだ」と大二郎はいい、相手の剣士もようやく気持ちが晴れる。そして剣士として意気の通じた二人は、美冬の用意した朝餉を食べに肩を並べて引き上げる。
 しかしその場に目立たぬように、小兵衛は件の仕官先の家老たちを連れてきていた。勝負を陰から目撃した後、小兵衛は「仕官させようとした剣士を疑うとは」とチクリと相手を非難する。しかし剣士の実力に家老たちも納得する。

 相手の剣士も仕官が決まり、めでたく万事が済んだ後、小兵衛が大二郎に言う。「お前、最後の立会いは勝ちを譲ったな」と。大二郎は立会いで、ギリギリの間合いで、相手への太刀を外していたのだ。
 「それでよい。剣は人を活かすこともある」と小兵衛は笑う。そこにその冬最初の雪が降ってきた…。

 というのが、あらましである。ちょっと原作ではどうなってるかは判らない。しかし僕は、この話に非常に感心した。
 これに納得しない立場の人もあるかと思う。相手がどういう事情を抱える者であれ、精神誠意、全力で勝負することこそ武術家の誠意であると、そういう立場もあるだろう。そのような憐れみは、むしろ不敬であると。

 僕はしかし大二郎のとった行動を間違いだとは思わないし、武道の本筋でもあると思う。大二郎は本当に人を助けるため、守る時には迷いなく剣を奮う剣客である。真に必要なときに剣が使えれば、後は小さな勝負それ自体にこだわる必要はない。
 それに相当の技量のもの同士の立会いで、相手にも気付かれぬように勝ちを譲るとは相当の技量でないとできないだろう。大二郎は自分が相応の技量を持っていることを知っているので、「負けて名が下がる」ことを恐れたりはしない。小兵衛は「名前に傷がつく」という意見に、「そんな傷はツバでもつけとけばすぐ治る」と言ってみせる。

 むしろ自分がどれくらいの技量か自分でも判らずに、いつも他人と比較してなければ落ち着かない者より、よほど本質的なことを理解しているだろうと思う。そしてその落ち着きは、自分を真に見つめる修行のなかでしか出てこないだろう。
 現実的な局面における勝負というのは、勝てばいいばかりではない。勝たないほうがいい場合もあるし、むしろ勝ってはいけない時すらある。無論、どうしても勝たなければいけないときもある。それを見極めるようになることこそ、武道の本筋、と僕は思う。

 僕が大二郎の立場だったらどうするか? 僕はまだヘナチョコで、精一杯やったって負けるだろうから、全くいらぬ心配である。幸せなことである。
 
 

思索の道程  不遜な楽しみについて



 一応、この前の補足説明をしておこうかと思う。僕はサバイバルゲームには基本的な『不遜さ』が内包されていると考える。ただ僕は「不遜であるがゆえにやめるべき」とも、「不遜なものは存在すべきではない」とも言ってはいない。

 考えるのだが、もしサバイバルゲームが軍隊訓練なみの厳しい集団訓練の上に行われたとしたら、愛好者はそれを気軽に楽しめるだろうか? 戦場で人を狙撃するためには、罪悪感を抱かないために「敵をヒトと思わない」ことや、限界条件まで兵士を追い込む訓練がなされる。
 それは「自己と他者を凝視する」という武道の修行とは質的に異なるものであり、その意味で軍事訓練と武道修行を同列にはおけない。と同時に、サバゲーはそのような軍事訓練の過酷さを欠いた「模倣的な遊び」の域を超えない。

 別にこれは悪い意味で言ってるのではない。サバゲーがもし軍隊のような訓練を必要とするものなら、愛好者がそれを気楽に楽しむことはできないだろう。その『気楽さ』こそが、「不遜だ」と言ってるのである。
 と同時に、これはサバゲーを「スポーツである」とする捉え方にも言える。もしサバゲーがルールや装備の範囲を厳密に規定し、審判がいて、タクティスに卓越した監督がチームを率い、プロ/アマの組織構造が厳然と存在し、世界大会に国の威信をかけて戦い、負けたらスポンサーがつかなくなるような種類の『スポーツ』だったら…愛好者は真にサバゲーを楽しめるだろうか?

 僕の感覚ではサバゲーはスポーツではなくて「ゲーム」であり、野山を楽しめるのは副次的な楽しみでしかない。サバゲーの本質は、「戦争ゲーム」を楽しむという、『不遜さ』のなかにこそある。
 その不遜さを糊塗して他の理由でサバゲーを正当化しようとするのは、サバゲーの本質を見誤るばかりでなく、サバゲー愛好者のためにもならないのではないかと僕は思う。

 社会学者・宮台信司のオタク論を引用してみよう。
「それまでオタクってカテゴリーは日陰だった。『世界のダークサイド』という話を絡むと思うんですが、陰を好んで生きるやつがいる。そういう人は陰だからこそ、そこに生息しようとする。ところがそうした事件が起こると、メディアがそこに光をあてる。するとそうした連中は、そこが居場所じゃなくなっちゃうんですね。メディアが光をあてるから、さらにそこから裏側に回ろうとするわけです」

 僕は基本的にサバゲーというのは『陰』のものだと考える。戦争というのは誰もが知ってるように悲惨なものであり、一般市民はおろか、兵士にすらもPTSDのような重篤な被害をもたらすものである。
 しかし、である。それを楽しみたい、という不遜な欲望は存在しえる。欲望は禁止できないし、またその幻想上での楽しみすらも禁止することは、むしろいい結果をもたらさない。

 例えばホラービデオを見るから、猟奇殺人が起こる、というような言説が存在する。しかしそれについて宮台は次のような例を挙げている。

「アメリカでは、少年犯罪って年に大体二十万件近くある。日本の少年犯は、おそらく一万数千件でしょう。日本では窃盗が多いようです。残虐な犯罪、たとえば殺人に関しては、日本の少年の殺人って年に80件程度。アメリカでは一万五千件以上起こってる。
 ところがね、アメリカでは子供はホラービデオ見られないんですね。暴力ビデオも見られません。だけど少年犯は、日本の何十倍、何百倍も起こってるよ、っていうんです。
 全然、違うんですよ(笑)。日本はホラービデオ見放題で80件。向こうは見られないのに一万五千件以上なんです。普通に考えれば、ホラービデオが殺人の原因になるわけがない」

 僕は宮台信司の全体的意見には賛同しかねるところもあるが、社会的事実として「メデイアがかきたてる欲望が犯罪の引き金になる」という前提、そして、であるがゆえに「危険なものは表現を禁止すべきだ」という見解には賛同しない。
 無論、メディアに影響を受けた犯罪があるのは確かだが、犯罪の要因は家庭や周辺環境などの複合的要因から考慮すべきであって、メディアの影響はその実行方法についてのインスパイア元の一つにすぎない。殺意や暴力衝動の根源は、もっと別な場所からやってくる。

 幻想のなかでは全ての欲望が認められる。それが実行に移されない限りで。
 例えばアダルトビデオのなかで、女優さんの了解済みであるならば、痴漢行為や輪姦行為も認められる。それを見て欲望を満足させることも、別段、非難されるようなことではない。

 アメリカではポルノでもレイプ行為が表現を禁止されている。しかし単純な数字だけ比較しても、人口10万人あたりのレイプ発生率は、日本で1.2。アメリカではなんと37.0であり、日本の薬30倍である。
 『不遜な楽しみ』を禁止しても、結果はむしろ悪くなる。それはつまるところ、欲望の抑圧にすぎないからだ。抑圧された欲望は、どこかで発散口を求めていずれ噴出する。それが現実的な他者に危害を与える行為になるよりは、『不遜な楽しみ』は「不遜なもの」として、幻想的に、『陰』で楽しまれたほうがよい。

 しかし実際にレイプ被害を受けた人にとっては、「レイプビデオも地上波放送解禁にすべきだ」という意見、またその実行は苦痛でしかない。ある人にとっては欲望の対象でも、ある人にとっては極めて苦痛な深刻な精神的被害となりうる質のものがある。
 『不遜さ』が『陰』なのは、それが白昼堂々と公にできる質のものではないからだ。それは多くの人々の感性に違和感や苦痛をもたらす。またそうであるからこそ、それを嗜好する人々も存在する。それが『不遜である』という事の意味である。

 そういう意味でサバイバルゲームは自らの不遜さを自覚し、住宅街のようなところで楽しまないほうが、『陰』としての魅力を保てる。それは悲惨な現実である『戦争』を、ゲームとして疑似体験したいという「不遜な遊び」なのだ。
 自然の地形を読んで潜伏場所や相手のルートを推理し、息を潜め、『敵』が来るのを待つ…。何も知らずに『敵』が現れる。それを自分の愛用銃で狙撃する。緊張感、頭脳戦、体力勝負、そして勝利と達成感とチームとの一体感。…サバイバルゲームは確かに楽しめるだろう。それは日常や現実から離れた幻想空間だからこその楽しみだ。

 と同時に、それはリアルに戦闘行為のために訓練をする軍事とも、幻想ではなく、真剣に他者や自己と向き合う武道とも異なる、『不遜な楽しみ』だ。不遜それ自体は褒められたことではないかもしれないが、禁止するほどのことでもない。それはあくまで「幻想」だ。
 サバイバルゲームに必要なのは、その『不遜さ』の自覚であって、それを正当化する言説ではないと思う。法律に違反していなければ、望むことを何でもすればよいというのは、他者に対する寛容な理解のようであって、実は『不遜さ』を感じる他者に対しての理解や配慮が欠如している。

 無理に正当化するのではなく、不遜さはそれとして受け入れ、山奥のような人目につかない場所で、心置きなく楽しめばいい。周囲住民の冷たい視線を感じながら遊んでも、『不遜さ』に対する「後ろめたさ」ばかり増幅されて、欲望の幻想空間を楽しめないだろう。
 そういう意味で僕だって、サバゲーをすることがあるかもしれない。ただしそれは不遜さを内包したゲームとしてである。 

武道随感  武道について



 昨日、全日本柔道大会を少しだけ見ていた。優勝した穴井選手の柔道は、準々決勝、準決勝は非常によかった。果敢に攻め、相手の動きを見て華麗とも言える一本で勝っている。

 しかし決勝の棟田選手との試合はどうだったろうか? 有効を先取されてからの果敢な攻めには、気迫の強さを感じた。しかし、である。そこから有効を取り返した残り20秒、穴井選手は守りに入った。
 穴井選手はそれまで果敢に攻めていたので、判定に入れば勝てると踏んだのだろう。まともに組み合わず、時間切れを狙った。結果的には穴井選手の判定勝ちで優勝。そういう試合である。

 穴井選手は優勝に男泣きし、試合後のインタビューでは「勝ちにこだわった」と語った。東京新聞の記事では「勝てると信じるやつが勝つんだと分かった」と語り、篠原監督は「今日の穴井は最高。勝因は稽古量につきる」と語った。
 
 しかしどうも疑問が残る。「勝ちにこだわる」というのは、それまで「攻め」の柔道だったのに、『時間切れ』というルール上の利点を狙って「守り」に入ることか。時間最後まで自分の「攻め」の柔道に徹することが、「勝ちにこだわる」ことではないのか?
 穴井選手が最初から「守りが堅く」「相手に一本取らせない」タイプの柔道ならまだ判る。しかしルールの上でスタイルを変えるのは、「ルールに負けた」ことにはならないのか? それは「勝負に勝って」も、「自分に勝った」とは言えないのではないか?

 武道はゲームではない。その根本的な目的は自己をより高い次元に高めることであり、自己を厳しく見つめることである。相手に勝つというのは結果にすぎないし、目的でもない。相手からのルール上の勝利のために、自己の最高の研鑽結果を曲げるのは、過程と目的を取り違えている。
 そもそも最近の柔道の「両肩をつけば勝ち」というルールそのものが、武道の本質から外れている。両肩をつこうがつくまいが、実効性のある技で一本取れなければ、真の『武道的な』意味はない。共倒れした後に相手を巻き込んで背中をつけるような技に、何の意味があるだろう?

 「勝たなければ周囲が納得しない」とか、「オリンピックで金を取らなければ意味がない」というような暗黙の要請が柔道にはつきまとうだろう。選手はそれに応えることを要求される。
 しかしそのような周辺の外圧に対しても、真の武道を貫くような精神と認識力を備えることこそ、『武道』修行の本来の目的ではないだろうか。

 そのような武道の本質は、自己と他者の生命を凝視する場所にのみ存在する。そうでなければ大勢の要請に従って、簡単に他者を加害することになるだろう。それを後から正当化することや、仕方なかったというのは簡単である。
 しかし「勝てばいい」のは武道ではないし、「勝つための技術」も武道ではない。それはエゴのために他者の生命を顧慮する力をもたないものであると同時に、他者を抑圧する『自己に対しての責任』にも眼を逸らした営みでしかない。

 自己を貫きつつも、他者を顧慮すること。そのためにより高い自己を目指し研鑽することこそ、武道の営みである。僕が武術から武道に転向した意味があるとするなら、そこにのみ存在する。

 大分、遠ざかった…と、テレビを見て、ふと思った。僕の求めるものは、そこにはもうない、という事だけがよく判った。
  

特撮最前線  ゴジラ① 戦争映画として



 別冊宝島『怪獣学・入門』という本には、民俗学や宗教学、近代美術等の観点から怪獣映画を考察した論文が多く掲載されている。そのなかで一際、僕の興味を引いたのは、民俗学者・赤坂憲雄の『ゴジラはなぜ皇居を踏めないか』という小論と、日本近代史の長山靖生による『ゴジラはなぜ「南」から来るのか?』という論文である。

 昭和29年(1954)に公開された映画『ゴジラ』は、終戦からまだ10年経たない、戦争の記憶もまだ生々しく残る時代に公開された。前掲の赤坂論文では、ゴジラが南島から東京を目指して上陸しておきながら、皇居の前できびすを返し国会議事堂を破壊するさまを指摘した文芸評論家・川本三郎の文章を引いている。

「戦争で死んでいった者たちがいままだ海の底で日本天皇制の呪縛のなかにいる…。ゴジラはついに皇居だけは破壊できない。これをゴジラの思想的不徹底と批判する者は、天皇制の『暗い』呪縛力を知らぬものでしかないだろう」

 つまりゴジラとは、はるか南太平洋で国のために散っていた兵士達の霊魂の化身という事である。だからこそゴジラは「南」から来るのだ。ただしウィキペディアを見ると、このシーンがさらに別の角度から目撃されていることが判って面白い。

「そのような時代背景か、助監督として参加した梶田興治によると、ゴジラが国会議事堂を破壊したシーンでは観客が立ち上がって拍手をしたと語っている。
 (中略)
 そんな中、原作者の香山滋は、ラストシーンでゴジラがオキシジェン・デストロイヤーによって溶けて死ぬシーンを哀れに思い、一人座ったまま感極まって泣いていたという。主演の宝田明もゴジラにシンパシーを感じたと後に語っており、映画公開後には観客からも『なぜゴジラを殺したんだ?』『ゴジラが可哀想だ』という抗議の声があったという」

 あれほどの災厄をもたらしたゴジラに「可哀そう」という意見があったこと、そして国会議事堂の破壊に拍手が起きたことは非常に興味深い。少なくともゴジラは『単なる災厄』ではなく、間違いなく「戦争犠牲者の魂」を引き継いだ何者かだったことが意識されていたわけである。
 その意味では『ゴジラ』とは、明らかに「戦争映画」なのである。そこに語られていたのは太平洋戦争を終えた日本人の、戦争への回顧、その受容の物語なのである。

 『ゴジラ』の最初のシーンは、貨物船の乗組員が白熱する光を浴びて、船が炎上しながら沈没していくシーンで始まる。言うまでもなくこれは米国の水爆実験の被害にあった第五福竜丸事件(1954年3月。ゴジラはこの年の11月に公開)を喚起させるシーンである。
 この事件は唯一の被爆国である日本の、更なる傷痕として人々に刻印された。しかし実は日本のヒロシマ・ナガサキの原爆被害の実態というのは、長い間、国内でも秘密裏にされていた。京大の学生が日本で最初に、本格的な『原爆展』を開いたのは1951年のことである。実に終戦から六年も経過している。

 このデパートで開かれた『総合原爆展』は、10日間で3万人もの人が足を運んだという。しかしこれだけで原爆の知識が広まったわけでは無論ない。多くの人々は原爆や放射能、被爆者の実態というものを、まだあまり知らなかった。
 実際、『ウルトラセブン』(1967)で被爆者の会から抗議を受けて欠番となった『遊星より愛を込めて』を見ても、あまり「被爆者」の状況が理解されてるとは言い難い感触を僕自身は受ける。被爆星人が汚染された血液を交換するために地球人を襲うというストーリーは、放射能汚染の症状を軽く見積もりすぎているとしか言いようがない。

 実際、過去のアメリカ本土での核実験の写真などを見ると、兵士達が驚くほど近い場所でそれを見物している様子などもあり、「きのこ雲を見た」くらいの距離でも被爆か否かが問われる日本の感覚とは到底違っていたことが判る。正確な知識が広まったのは、結構、後になってからの話だ。
 しかしそのような時代において、ゴジラの最初のシーンの白熱光は、実に恐ろしいリアリティをもって描かれている。また島の一軒屋のなかにいて、巨大な稲妻が光ったかのように辺り一体が閃光に包まれる場面も、その『光』の持つ恐ろしさをよく描いている。

 この「光」の恐ろしさは、ゴジラが上陸し放射能火炎を吐くときにも徹底して描写されている。その最も有名な工夫は、ゴジラの放射能火炎を受けて、電線の鉄塔が融ける描写である。円谷英二はこれを撮影するために、ロウソクで鉄塔を作り、ドライヤー熱で溶かしたという。鉄の塊が凄まじい高温で見る見るうちに崩れ落ちていく様子が、その現象の尋常じゃなさを認識させる。
http://video.mixi.jp/view_video.pl?video_id=6678525&owner_id=16012523

 そもそも円谷英二という人は、戦前の東宝でミニチュア飛行機や戦艦による戦争映画を作っていた。特に『ハワイ・マレー沖海戦』では特撮監督としてその腕をふるい、真珠湾攻撃時の交戦の模様を見事に再現している。

 『ゴジラ』につらなるその後の東宝の怪獣映画は、ほぼ平行して作られていく東宝の戦争映画と兄弟関係にあると言ってもよく、その基本的な技術や製作法には共通のものがあると見てよいのである。例えば1965年公開の『太平洋奇跡の作戦 キスカ』などは、円谷英二の特撮が凄すぎて「実写か特撮か?」という議論まで起きたという。
 しかし『ゴジラ』にはミニチュア撮影の特撮以上に、大きく「戦争」の原体験というものを訴えるシーンがある。それは空中に張り巡らされた電線越しに、ゴジラの顔がにゅうと出てくるシーンである。

 それは終戦直前の1944年11月以降に、実に106回にもわたって空襲を受けた東京の空襲風景の再体験である。特に3月10日の東京大空襲は大きな被害を与えた。
 燃え盛る街並み、走りまわる消防車。そしてなす術もなく燃え崩れる街を見て、「ちくしょう、ちくしょう」とだけ呟く少年。災害の去った後に残る瓦礫の街並みと、狭い場所に集まる焼け出された人たち。…それらの全てがまだ生々しい記憶を残す戦争の傷痕を呼び起こす。

 しかしDV被害やレイプ被害などによる心の後遺症は、「本人の口から外部化される」ことによって初めてその傷が癒える。いわば『ゴジラ』とは、戦争を体験した日本人にとっての、その再体験のための外部化の物語なのだ。
 実際の空襲は、もしかしたら「ゴジラ」よりもその破壊力においては低いかもしれない。しかしそれを体験した人々の『心の現実』は、その破壊力と地獄絵図において事実以上の強度をもつ。ゴジラはその「心の現実」の姿なのだ。

 これはゴジラが「兵士たちの霊魂」であることと、どのように関わるだろうか。帰還兵たちはほとんどが、その戦争体験に対して口をつぐんだ。日本は終戦後、それまでの理念に手の平を返すように裏返して民主主義を唱え始める。
 では戦争で死んでいった兵士たちは、どのようにして浮かばれるのか。戦後民主主義は兵士たちの存在を『不問』にすることで成立した。その後ろめたさの心理に、ゴジラは復讐する。それは戦争が「なかったこと」であるかのように戦後復興を始めた日本に、その根本的な精神外傷の再体験を迫るのである。

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