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破片群



 今回のカードはこんな感じ。

1、主人公=世界
2、過去=塔
3、近い未来=節制
4、対象=審判
5、援助者=死神
6、敵対者=恋人
7、大転換=星
8、結末=戦車

 これで考えたプロットは。


①SF  No.9

 ある日、友人から救助の依頼をされたメールを受ける惑星間連合弁護士の主役(世界)。弁護士はその昔、惑星文化学を大学内で学ぶ惑星文化学者だったが、その象牙の塔から出て各惑星の文化差異の知識を生かす宇宙の弁護士となったのだった(塔)。
 その惑星地誌学者の友人はある惑星に調査に出かけたが、メールによればその惑星の法に触れて裁判にかけられようとしているという(審判)。弁護士はその惑星が男女間で世界を分けていて、ポルノの持込が厳禁であることに思い至る。
 かくて友人を助けにいった弁護士は、その惑星に改めて降り立つ。そこでで出合った初老の婦人である監査官(節制)の話を聞いて、その星の現状を改めて知る。
 その惑星では地核エネルギーを採取する地核炉を開発し、そのエネルギーで人型ロボットを使役するようになった。また一時的な性転換による精子の採取にくわえた人工授精や養育機械の発達で、女性たちは男の協力なしに子どもを得られるようになった。かくてロボットを使役し、男を社会から追いやった女性社会が成立したのである。

 留置されてる友人のために、ポルノムービーは何の気もなしに持ち込んだものであり、他の星系では男女間の恋愛も普通だと説明する弁護士。しかし女性社会の代表監査官は、女性が男に服従していた原始の屈辱の歴史を想起させる原罪テクストとしてポルノを断罪。それを擁護しようとしてとして、弁護士も捕らえてしまう(恋人)。
 その留置された弁護士のところに一人の女性が。それはなんと女性に性転換処置をされた友人だった。実はこの世界では男を捕らえると女性に生体改造し、その社会に同化するという政策をとっていたのである。つまり刑は執行されてしまったのだった。
 いずれ弁護士もその処置を受けることになると明かす友人。そして友人は、なんとか弁護士を逃がそうとする。脱出機に乗って女性社会を脱出する弁護士。
 しかしそこに女性社会からの追っ手が。弁護士は女子社会の間惑星法違反の生き証人であり、どうしても同化するか抹殺するしかないのだった。だがその危機を、弁護士は男世界の傭兵達に救われる(死神)。

 傭兵に連れられた男社会では、男達は惑星の辺境で毒気を抜かれたように小さく暮らしている。生物学的な「メスの奪い合い」がなくなった男社会では無気力化が進行し、攻撃性も減少すると同時に向上性も失っていたのだった。
 テクノロジーは女性社会の方が数段進んでおり、男社会では性転換技術が発達していない。そのため卵子が不足するのを防ぐために定期的に女性を拉致する必要があるが、それを他の惑星系の傭兵に委託していたのだった。
 ともかくも一命を取り留めた弁護士は事の真相を間惑星検察に報告しようかと思い立つが、脱出前に友人に渡されたメールを見る。そこにはまだ男の姿の友人が、この惑星に巨大な地質変動が起きていることを告げるものだった(星)。
 やがて惑星全域を襲ったその巨大地震は、女性社会の地核炉を破壊するほど巨大なものであった。使役ロボットのエネルギー切れのチャンスを狙って、女性社会に傭兵達とともに攻め込む男軍。その混乱に乗じて弁護士は友人を連れ帰ろうとするが、友人は「もう男に戻るつもりはない」という。

 ただし、「女になったからには男と愛し合いたい」というのが友人の願望だった。友人は完全に女性社会である同姓社会に、ヒビを入れるためにわざと地震の情報を女性社会には報告しなかったのだった。
 かくてこの惑星に戦争が起きる(戦車)。それは男vs女の不毛な戦争だった。しかしその惑星を後にしながら弁護士は思う。「争いのなかから、互いを認める関係も生まれてくるだろう」と。



②ファンタジー No.10

 過去において「世界の塔」建設に従事していた奴隷(塔)。奴隷達は恐ろしい魔王(死神)に攻められた国々の人々が従事していた。その中で主人公は、ふとした事から塔建設の構造上の問題を指摘する。魔王はその主人公の才覚を見抜き、奴隷から家臣に取りたてる。主人公は名前を知られる賢臣となった(世界)。
 主人公は魔王に呼ばれ、「世界の塔」の財務管理を任される(節制)。しかし主人公は、そもそも「世界の塔」がなんのために建設されてるかが判らない。主人公はそれを魔王に尋ねるが、魔王は笑って応えない。
 その矢先、主人公は奴隷階級にある恋人から、魔王暗殺の計画を打ち明けら得れる(恋人)。主人公は魔王に心惹かれているためにその協力の依頼に応じきれない。恋人は逆に主人公を「一族の裏切り者」と罵る。
 やがて「世界の塔」完成の日がやってくる。しかし暗殺の決行もその日だった。主人公は魔王を狙う暗殺隊から、魔王を守ってしまう。暗殺者の除名を魔王に願うが、魔王はそれを保留する。
 主人公は魔王の信任を受け、側近となる。そこで明かされた「世界の塔」の本当の目的。「世界の塔」は航時魔法を満月の晩に使うための、一大構造物だったのだ(星)。
 そこで主人公は魔王の本当の目的を知る。それは航時魔法で過去に戻り、そもそもの長きにわたる民族紛争を事の発端から止めることが目的だったのだ。魔王もまた以前に親を戦争でなくし、奴隷として使役されたことがあった過去を持っていた。
 その魔王の戻れるかどうか判らない時間の旅に、同行するかどうかを尋ねられる主人公。主人公は魔王によって選ばれた精鋭軍とともに、満月の夜に時の旅へと旅立った(戦車)。

    *     *    *

 こんな感じ。「星」と「戦車」の二枚が大変だった。
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思索の遍歴  ロボットと人間 ①フレーム問題



 AIの専門家がコンピューター発達の歴史を振り返って、こう慨嘆したのを読んで驚いたことがある。

『AI実用化の鍵とは、なんのことはない、つまりはこの半導体素子の価格急落によるシステム規模の増大なのである。むずかしい理屈をこねるより、ともかく大容量記憶装置に膨大なデータを貯え、それを超高速で処理する。〔知恵〕より〔力〕で押しまくるのが、現在のAIテクノロジーの主流なのである。  』
 (『AI 人工知能のコンセプト』 西垣通 講談社現代新書)

 簡単にいえばAIを支える基本的な論理は単純で、その「量」が拡大しただけ、というのがその論旨であった。その基本的な論理と言うのは、現在のコンピューターにしても、それほど変わってないと思われる。
 現在のコンピューターの一般的な方式というのは、「エキスパートシステム」と呼ばれる方式である。これはデータベースを元に判断を下し実行する、という基本的な構造を持っているが、これの一般的な知識表現のモデルが「プロダクション・ルール」という論理形式である。

 これは単純に言えば、「もし~ならば~」である。このルールベースの部分が、「もしA1かつ、A2かつ、A3かつ……AnならばBである」というような条件付けとなる。コンピュターの「発達」というのは、この条件の「量」を増やしたものに過ぎなかった、というのが先ほどの記述の意味だ。
 何故、「~にすぎない」のか? この条件付けを無際限に拡大していったら、やがてコンピューターによる人工知能(AI)は、人間のような「理性」や「知性」、「意識」を持つに至るのではないか? AI研究者たちも、それを目指して頑張ってきた、という経緯が一部にはあった。

 しかしここに『フレーム問題』という、この条件プログラムの「論理的な問題」というものが取りざたされるようになった。これを社会学者の大澤真幸が、アメリカの哲学者ダニエル・デネットの著述を概要したものを取り上げてみて説明する。
 科学者たちがR1というロボットを開発した。R1は自らの予備バッテリーがしまってある部屋に行き、それを回収してくるという課題を出される。

 しかしこの部屋には時限爆弾も仕掛けてある。そこまで知らされたR1は、ただちにバッテリーを取りに行く。そしてその部屋のワゴンに、件のバッテリーが乗っているのを発見する。R1はその「ワゴン」を「部屋から出す」を実行し、バッテリーを救出しようとした。
 しかし残念ながらそのワゴンには時限爆弾も一緒に載っており、結局、爆弾は爆発。バッテリーも爆発し、R1は失敗した。R1はワゴンの上に「爆弾がある」ことを「知って」いたが、「ワゴンを出す」ことが「爆弾も一緒に出す」ということが判らなかったのである。

 そこで設計者は次なるロボットR1D1を開発する。R1D1は、「自らの直接の行為」の結果だけでなく、「自らは意図しない副次的な結果」をも推論できるように改良された。
 そこでR1D1はやはり部屋に行き、ワゴンの上にある爆弾とバッテリーを見つける。そこでR1D1は副次的な結果について、次々と推論を始めた。ワゴンを引くと車輪が回転する、その時には音も出る、ワゴンを引き出しても部屋の色は変わらない等々…。そうこうしているうちに、時限爆弾は爆発してしまった。

 さてそこで設計者はロボットに、「関係ある結果」と「関係のない結果」を区別し、その関係のない結果を「無視」するというプログラムを施した。この新しいプログラムを施されたR2D1も、また部屋へ向かう。
 しかし部屋に入った途端、このR2D1は何も行動を起こさない。何故か? 実は何千もの「無視すべき結果」を演繹しているうちに、どんどんと時間が経ってしまっているのだった。そしてやはり時間切れで、爆弾は爆発してしまう…。

 この童話のような冗談めいた話が、紛れもなく「工学的」な課題でもある「フレーム問題」というものの寓話である。これはあくまで「人間のような知性」を持ったAIを作ろうとするときに起きてくる問題であるかと思われるが、つまるところ「条件プログラム」を元に人間の知性を再現しようとするときに、極めて難しい問題が起きるということの表れなのだ。
 例えば二足歩行ロボットが最近ようやく開発されたが、まだ決まったコースを歩く以外の歩行は可能になっていない。表面のデコボコや、壁、突然現れる障害物などを避けて歩くには至らないということである。
 
 もしかしたらそれはまだこの先「AならばB」方式の条件プログラムの複雑化、大量化によって制御可能になるかもしれない。しかしただ歩くだけでも人間は、「注意すべき点」と「無視すべき点」を無意識的に使い分けてるのである。
 最近になってようやく「道路」を見分けるプログラムが開発されたと聴くが、人間にとって当たり前の「道路」「道路以外」の指標の表徴も、決して自明な条件ではないのだ。
 
 これが社会生活のレベルに及ぶと、ことはさらに膨大なものとなる。人間の感情の読み取りや、社会的ルールの受容と裏切りの戦略。そして人間の認識の根本を形作る「自然言語」の特性。
 次からのシリーズでは、「ロボットは何処まで人間になれるか?」というのを暗黙の問いにたてつつ、それを考察していこうと思う。そしてそこで見えてくるのは、「ヒト」というものの複雑さと精巧さ、その面白さだということを見ていきたい。

思い出すのはナゼか雪ふりの日

『薄情』と言い切ってしまえばたしかにそうなのですが、ここ数年、年賀状というものを書いたことがないです。前回書いたのはいつだったか・・。少なくとも今世紀に入ってからは1枚も書いていません。いっぱしの社会人としては致命的な欠陥だとは思うのですが、正月に自宅にいたためしが無く、届いた年賀状を確認するのが下手すると立春くらいだったりします。
 ちなみに「自宅にはいない」というより正月に本来いるべき場所・・・というのが自分にとっていったいどこなのか? 考えてみればわからなかったりします。正月にいるべき場所、というより○○にいるべき場所。○○にどんな言葉を入れようと場所を特定することができないです。

 生まれてこのかた幾度となく転居を繰り返したので自分には「そこに戻るとああ懐かしいなあとい思う場所」がありません。といっても、望郷をテーマにした映画を観たりするとそれなりに感化されて「ああ故郷を懐かしむ気持ちとはこんなものなのか」とは思うのですが、そんな場所が自分にとってドコなのかと考えてみても「ココだ!」というのが思い浮かばないです。
 ですが、『生まれた場所』については「懐かしい」という気持ちを抱こうが抱くまいが、それなりに特別な場所だったりします。そして少なくともその場所について思い起こすことが、たまにあります。それは昨日の首都圏みたく、雪が降った日だったりします。自分の生まれた場所はめったに雪が降らないところなのですが、思い出すのはナゼか雪ふりの日です。

特撮最前線  ゴジラ⑤  情念と呪縛



 『ゴジラ』という作品には、一種、特殊な緊張感がある。それは怪獣ゴジラが接近し、東京を破壊するという非常事態のもたらす緊張感ではない。『ゴジラ』の緊張感は、実はそのなかに織り込まれた男女の三角関係の物語から生み出されているのである。

 主人公のサルべージ員・尾形秀人と山根博士の一人娘恵美子は恋人同士である。しかしその恵美子には以前、芹沢大助という婚約者がいた。しかし芹沢は戦争から帰還した際に、片目を何らかの理由で失った。芹沢はそれを理由に自ら婚約の破棄を申し出たのである。
 語られてはいないが、芹沢と尾形、そして恵美子は旧知の仲だったと考えられる。そもそも芹沢は山根博士の弟子で、その優秀さを買われて自然な経緯で娘の恵美子と婚約することになったのではないか? もしかしたらそこには夏目漱石の『こころ』に描かれたような「うしろめたさ」が、尾形に対する芹沢の心情にはあったのかもしれない。

 恵美子を間に挟んだ恋愛模様は一度は芹沢の勝利に終わるが、戦争がそれを変えてしまい、尾形の勝利になった。このお人好しの青年は自ら「戦争がなければ…」と芹沢の内情を察している。この裏表のない尾形と、秘密を抱える芹沢は鮮やかな対照をなしている。
 眼帯をつけて片目を隠した芹沢の心情は誰にも判らない。恐らくは婚約を突然破棄された恵美子にも判らなかったろう。芹沢が婚約を破棄したのは、果たして目のことが本当の理由だったのか? 眼帯をつけてるのを見た限りでは、芹沢の「傷」はそれほどひどい負傷には見えない。

 そうではなく芹沢は、もっと重大な秘密かあるいは「罪」を戦争によって背負ったからこそ婚約を破棄したのではないか。その「傷」は目ではなく、その「心」にこそあっったのではないか?
 しかしそうやって恵美子への思慕を封じた芹沢だが、その感情は抑えきれるものではない。そこで芹沢がとった行動とは…

 それこそが「悪魔の発明」オキシジェンデストロイヤーの秘密を恵美子にだけ打ち明けるという行為だったのである。そこにある芹沢の心情とは何か? 
 「秘密」とは、それを共有する者を一種の共犯関係に陥れる。恵美子は既に尾形のものだとしよう。しかしもし恵美子が「秘密」を共有したなら、それは尾形ですら知らない恵美子の心を芹沢は知ってることになる。

 オキシジェンデストロイヤーが水槽の金魚に使われた瞬間、恵美子はその恐ろしさに悲鳴をあげ、目を閉じてそれから顔を背ける。その秘密が恐ろしいものであればあるほど「秘密」の呪縛力は強力なものとなる。
 これは実はDVや性的虐待の加害者によく見られる行動パターンでもある。先ごろ暴力で脅されて、大麻を無理強いされたグラビアアイドルのニュースが報じられたが、あれは典型的な例と言える。加害者は被害者に「秘密」や「罪」を共有させることで、自らの元に縛り付けておこうとする心理が働くのだ。

 恵美子に恐ろしい「秘密」を共有させることは、恵美子を呪縛することである。芹沢はもう、恵美子の婚約者には戻れない。が、その心をまだ呪縛したいという強い情念に捉われているのである。それはとりもなおさず芹沢が「戦争」から受けた呪縛、そのものの裏返しなのだ。
 だがそのオキシジェンデストロイヤーの「秘密」は、物語の視聴者にもまだ明かされない。それが明かされるのは恵美子が芹沢の呪縛を破ったとき、つまり芹沢を裏切ったときなのだ。

 今まで恵美子はその「善意」ゆえに、芹沢を裏切れなかった。しかしより大きな危機に、恵美子は尾形にその「秘密」を打ち明ける。つまり恵美子は芹沢の呪縛を脱したのだ。それはオキシジェンデストロイアーの恐ろしさを、それが恐ろしくても直視することによってである。
 水槽のなかの金魚を瞬く間に骨に溶かしていく悪魔の兵器。しかしその恐ろしさも、直視することによって呪縛から逃れられるのだ。これは多くのPTSD治療が、意識的に外傷体験を再体験化する治療過程と酷似している。

 『ゴジラ』の物語の緊張感は、その「秘密」をはさんだいびつな三角関係が、どのような形で終幕を迎えるのかという予想によって生まれている。そしてその全てが清算されるとき、物語は終幕を迎えるのだ。
 恵美子は呪縛を脱し、裏表のない青年尾形を選ぶ。しかし芹沢は、その自らの心を縛る本当の『呪縛』について語ることはない。芹沢は自らの情念とともに、海の底深く沈むことを選ぶのだ。それはそのまま日本の戦後復興の様相を表している。

 この「秘密」を抱えたままの終幕が、多くの帰還兵や戦争被害者の心にどう響いたのか? 語らぬ者は、恐らくそれすら語ることはできなかったに違いない。

思索の道程  『盗まれた手紙』について



 フランスの精神分析家ラカンは、その著書『エクリ』の冒頭に「『盗まれた手紙』のセミネール」という論文を掲げている。これはE・A・ポーの短編小説の解読をしつつ、自らの精神分析の手法やフロイト理解を示した非常に有名な論文である。

 ラカンは「ラカン派」と言われるほどの大きな学閥を作り、またポストモダンの現代思想家のなかでも極めて有名な位置にいた分析家である。その理論の難しさや、その語彙センスの特殊さもあって、ラカンというのは「難解な思想家」の代表みたいなものであった。
 しかし話はこれだけでは終わらない。このラカンの「『盗まれた手紙』のセミネール」に批判を加えたのが、アルジェ出身の非常に高名な哲学者J・デリダだった。その読解はまたラカン以上に難解な語彙センスで、しかし的確にラカンの要点を批判していたのである。

 実はこの経緯に非常に興味をもって強く取り組んだ時期があり、論文も幾つか書いた。「探偵小説」について触れたので、ネタになるかと思って昔の論文を読み返したら、難しくて頭が少し痛くなった。
 何もこんなわけの判らない語法を使わなくても…とか、今では思う。「難解さ」の大半は、語法によるものであって、論理の複雑さに伴うものではない場合も多々ある。そのなかでも若干、読めそうなものから、ちょっと引用してみたい。精神分析の話をしているところである。

    *   *   *

『端的に言えば患者本人は、自分自身に対して整合性のある自己像を意識下では形成しているが、実際にはその整合性から逸脱した体験を抱え込んでいるのである。
 注意すべきなのはその整合性自体の本質的な特質として抑圧機能が働いており、しかも意識自体によっては抑圧という自身の本質的な機能を認識できないという点である。つまりこの場合自身は、自己意識を巧妙に、ではなく、原理上完全に欺いているのである。

 自己意識は整合性のある自己像を構成することによって、普段は自己を完全に欺いている。つまり人は、自身に対して全くの無知であり、原理上その無知を自覚できないのである。この整合性のある構成による誤謬という段階を、「虚偽の謎解き」の段階になぞらえる事ができる。
 患者は自分なりに自身が忌避している事や原因にあたりをつけているが、それは常にはぐらかされた結果の注意であり、「それの隠しているものが覆われているのを見ていると思い込むまなざし」でしかない。この場合、メタ自己的な反省意識自体が、それの反省できない領域によって欺かれているのである。

 では分析医は何をする者なのか。催眠下にある患者は、意識の整合性から少しだけ開放された状態にあり、そこで自身についての断片的な表徴を放出する。分析医とはその断片的な表徴を「読解し」、遡行することによって、その整合性が排除したものを表に出そうとする存在である。
 つまり分析医は、整合性を持つように見える構成のなかに、逆に自らを欺こうとする「虚偽の謎解き」の意図を見出すのである。これは第二の時間の眼差しが「覆われている」と思っていることを見て取ることによる逆説的な遡行といえる。この読解の手続きについてジジェクは次のように書いている。

 「われわれは精神分析家の手続きと探偵の手続きとの類似性に到達したのである。探偵が直面する犯罪の現場もまた、一般に、殺人犯が犯行の痕跡を消し去るために作り上げた偽りのイメージである。
 その場面は有機的でごく自然に見えるが、それは囮であって、探偵の仕事は、まず、表面的なイメージの枠にぴったり嵌まらない、突出している目立たない細部を発見することによって、その場面を変性させることである」(スラヴォイ・ジジェク 『斜めから見る』)

 ジジェクは探偵が、犯罪者の狡知を考慮にいれることによって真実に到達することを指摘している。それは知っているはずのことを知らなかったり、逆に知らない筈の事を知っていたり、あるいは起こるはずべき事が起こらなかったことや、起こった事が起こらなかったかのように見なされることが発端となる。
 それらは整合的に見える事態の解釈のなかで、見落としかねない細部として現れる。犯人は事態をそれ以外の部位を整合的に構成してしまうことによって、逆説的にその意図の痕跡を残してしまうのだ。つまり犯人は真実を知っている。

 探偵は犯人の意図を逆手にとる事で真実に辿り着くのであって、物証や直接の推論で真実に辿り着くのではない。ジジェクはこれを「探偵の全知は、転移の結果である」と言っている。これらのことは意識自体にもそのまま当てはまる。分析医の全知の理由は、患者が全てを知っているという一点に尽きるのである。

(中略)
 
 興味深いのはここでフロイトが「解釈の正しさ」という言葉を使っている点である。フロイトはこの前段で精神分析の展開史を慨要しているが、そこでは初期の精神分析の課題について「精神分析は、何よりもまず解釈の技術であった」と書いている。
 それはつまり本人の自身に対する解釈を超えた解釈をするということ、言い換えればある人物についての既存の解釈から、別の解釈をするということである。それは通常、細部に対する注意、つまり表徴から深層へと移行する「読み」として現れるのである。

 そしてこの次の段階では、その新たな解釈に対する本人の「抵抗」という問題をフロイトは書いている。しかし更なる段階としての「反復」は、「抵抗」とはさらに異なる現象として現れている。「抵抗」の段階ではそれが意識的なものであれ、無意識的なものであれ、患者はそれが少なくとも本人の忌避する部分、つまりは本人に属するものとして認識しているということが言える。
 しかし「反復」の場合、原理上完全に自己体験を忘却している本人自身は、分析医から聞かされる自己体験を、全くの初体験として経験しなければならないのである。「追想」と「反復」の違いはここにあり、反復は原理上既知あるいは自己に属するものであるにも係わらず、それは未知の外来物として受容されなければならない。

 患者は自身のなかにその根拠を見出せないため、当然分析医の「解釈の正しさ」に自信を持てない。解釈の「正しさ」の根拠は対象、つまり自己のなかにしかありえない、にも係わらずその対象にはその根拠が見出せない。患者は正しさに根拠に確信が持てないまま、それを「正しさ」として無条件に受容しなければならないのである。
 この「正しさ」の根拠はどこにあるのか。順を追って見てきたように、それはあくまでそれが本人に自覚がなくとも、本人に係わるものであることが間違いないことである。分析医は恣意的な解釈をしているのではなく、あくまで本人の表徴に基づいているのである。新しい解釈は、最終的には本人に再び還元される。

 ラカンはこのことからこの『盗まれた手紙』の隠された真実を、「『盗まれた手紙』さらには『保管中の手紙』なる言葉の真意は、手紙というものはいつも送り主に届いているということなのです」と結論づける。それは手紙を取り戻した探偵が、再び手紙を元の持ち主である王妃に返すという結末に基づいている。
 しかし対象に対する解釈が対象に還元されるという事それ自体は、真実性の保証に関して何の基準にもなりえない。それは一種の同語反復だからである。では新しい解釈の真実性は、何によって満たされるべきなのか。

 初めに書いたように、ラカンはそれを「二つのまなざしを見ているまなざし」と書いている。つまりそれは「虚偽の謎解き」を経ることによって、その「謎解き」の真実性が保証されているということなのである。
 つまり真の「謎解き」は、本質的に「虚偽の謎解き」を必要としている。それは物語上の必然であるよりは、認識論的な意味での必然性なのである。新しい解釈は、既存の解釈を見通しているが故に優位な位置にある。こうなると問題はもはや二つの視線の間の差異ではなく、二つの視線の間の段階性と優位性の問題となる。つまりそれは解釈を解釈すること、あるいは「読みを読む」ということの問題域に入るのである。

 デリダの「真実の配達人」は、特殊な入り組んだ構造をしたテクストであると言える。ラカンの「『盗まれた手紙』のセミネール」を読んだこのテクストは、それ自体が既に「読みを読む」という特殊な形態であることを明確に印象づけている。
 つまりポーの『盗まれた手紙』、を読むラカンの読み、を読むデリダという段階構造である。これ自体が既に「謎→虚偽の謎解き→謎解き」というあの三段階(ラカン的には三つの時間)を想起させる形になっている。
 
 その上でデリダは、まずこの「セミネール」の背景を指摘している。つまりラカンの「セミネール」の前に、既に『盗まれた手紙』に精神分析的解釈を施したマリー・ボナパルトの読みの存在を上げている。ラカンは「セミネール」のなかではこの解釈には全く言及していないが、それを読んでいる事は確実であることをデリダは指摘する。
 つまりラカンの「セミネール」自体が、「ポーのテクスト→ボナパルトの読み→ラカンの読み」という自ら第三のまなざしに入るものだということである。しかもこれには別の暗喩がある。

 それは「フロイトのテクスト→フロイト派の読み→ラカンの読み」というフロイト解釈をめぐる分派問題である。 このデリダによるラカン言説の要約には補足が加えられている。それはつまり、ラカンがデュパンを二重化するとき(手紙を見つけるデュパン・手紙を戻すデュパン)、ラカンは他の分析家と自身を区別することによって批判しているのである。
 「虚偽の謎解き」は、それ自体では整合性の破綻が見つけることができない。つまり「謎解き」と思われたものが「虚偽の謎解き」であったとされるのは、常に新たな「謎解き」が現れることによってであり、内在的にその破綻を包含している為ではないのである。である以上、全ての整合性を持つと思われる「謎解き」は、いつでもそれが「虚偽」=「誤謬」になる可能性を持っている。「手紙を戻す」とは、そのような連鎖をそこで断ち切ることを意味しているのである。

しかしデリダの読解はそれとは異なる結論を導き出す。デリダはデュパンが手紙を返したことではなく、「模造品の手紙」を残しそれに署名「D」を残したことに注目する。デリダはこの作品をラカンとは正反対に「三角形の象徴的空間に入るどころか、この空間を果てしなく、オリジナルなき分身の迷宮、真正かつ分割不能な原文なき模造の、本筋なき偽造の迷宮へと引きさらっていき、盗まれた手紙に修正不可能な無方向を刻印するのだ」と結論する。
 それは「手紙」が「宛先に届かないことがつねにありうる構造のもの」であるためだとする。そのためにデリダがとった主な方法は、『盗まれた手紙』をラカンが読まなかった「細部」を読みながら、ラカンの術語に従いつつもそれと正反対の結論を導き出すという方法である。

   *   *   *

 いや、ちょっと無意味に長い引用だったかも。要はラカンは自分の分析(解釈)が正しいものであることを主張するが、デリダは「正しい解釈」なるものは存在せず、「解釈」それ自体は常に拡散していくものだと語ったのである。
 この頃の僕は「読解」の倫理性についてこだわっており、作品は「好きに読まれうる」というテクスト論者の立場も批判しつつ、作者の自叙伝的な経歴や時代背景を「作品それ自体を読む」事に替えてしまう作者論者の双方を批判しようとしていたのである。

 しかし心理臨床的な観点から見れば、ある患者への解釈が真実であるかどうかは、それ以上にその患者が「治るかどうか」の方が重要である、という観点もなりたちうる。
 無論、そのような立脚点それ自体が、「解釈の多様性」という現象そのものであるという見方も成り立つ。現在の僕の立脚点は…普段の日記にある感じ、である。

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