『薄情』と言い切ってしまえばたしかにそうなのですが、ここ数年、年賀状というものを書いたことがないです。前回書いたのはいつだったか・・。少なくとも今世紀に入ってからは1枚も書いていません。いっぱしの社会人としては致命的な欠陥だとは思うのですが、正月に自宅にいたためしが無く、届いた年賀状を確認するのが下手すると立春くらいだったりします。
ちなみに「自宅にはいない」というより正月に本来いるべき場所・・・というのが自分にとっていったいどこなのか? 考えてみればわからなかったりします。正月にいるべき場所、というより○○にいるべき場所。○○にどんな言葉を入れようと場所を特定することができないです。
生まれてこのかた幾度となく転居を繰り返したので自分には「そこに戻るとああ懐かしいなあとい思う場所」がありません。といっても、望郷をテーマにした映画を観たりするとそれなりに感化されて「ああ故郷を懐かしむ気持ちとはこんなものなのか」とは思うのですが、そんな場所が自分にとってドコなのかと考えてみても「ココだ!」というのが思い浮かばないです。
ですが、『生まれた場所』については「懐かしい」という気持ちを抱こうが抱くまいが、それなりに特別な場所だったりします。そして少なくともその場所について思い起こすことが、たまにあります。それは昨日の首都圏みたく、雪が降った日だったりします。自分の生まれた場所はめったに雪が降らないところなのですが、思い出すのはナゼか雪ふりの日です。
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