『ゴジラ』という作品には、一種、特殊な緊張感がある。それは怪獣ゴジラが接近し、東京を破壊するという非常事態のもたらす緊張感ではない。『ゴジラ』の緊張感は、実はそのなかに織り込まれた男女の三角関係の物語から生み出されているのである。
主人公のサルべージ員・尾形秀人と山根博士の一人娘恵美子は恋人同士である。しかしその恵美子には以前、芹沢大助という婚約者がいた。しかし芹沢は戦争から帰還した際に、片目を何らかの理由で失った。芹沢はそれを理由に自ら婚約の破棄を申し出たのである。
語られてはいないが、芹沢と尾形、そして恵美子は旧知の仲だったと考えられる。そもそも芹沢は山根博士の弟子で、その優秀さを買われて自然な経緯で娘の恵美子と婚約することになったのではないか? もしかしたらそこには夏目漱石の『こころ』に描かれたような「うしろめたさ」が、尾形に対する芹沢の心情にはあったのかもしれない。
恵美子を間に挟んだ恋愛模様は一度は芹沢の勝利に終わるが、戦争がそれを変えてしまい、尾形の勝利になった。このお人好しの青年は自ら「戦争がなければ…」と芹沢の内情を察している。この裏表のない尾形と、秘密を抱える芹沢は鮮やかな対照をなしている。
眼帯をつけて片目を隠した芹沢の心情は誰にも判らない。恐らくは婚約を突然破棄された恵美子にも判らなかったろう。芹沢が婚約を破棄したのは、果たして目のことが本当の理由だったのか? 眼帯をつけてるのを見た限りでは、芹沢の「傷」はそれほどひどい負傷には見えない。
そうではなく芹沢は、もっと重大な秘密かあるいは「罪」を戦争によって背負ったからこそ婚約を破棄したのではないか。その「傷」は目ではなく、その「心」にこそあっったのではないか?
しかしそうやって恵美子への思慕を封じた芹沢だが、その感情は抑えきれるものではない。そこで芹沢がとった行動とは…
それこそが「悪魔の発明」オキシジェンデストロイヤーの秘密を恵美子にだけ打ち明けるという行為だったのである。そこにある芹沢の心情とは何か?
「秘密」とは、それを共有する者を一種の共犯関係に陥れる。恵美子は既に尾形のものだとしよう。しかしもし恵美子が「秘密」を共有したなら、それは尾形ですら知らない恵美子の心を芹沢は知ってることになる。
オキシジェンデストロイヤーが水槽の金魚に使われた瞬間、恵美子はその恐ろしさに悲鳴をあげ、目を閉じてそれから顔を背ける。その秘密が恐ろしいものであればあるほど「秘密」の呪縛力は強力なものとなる。
これは実はDVや性的虐待の加害者によく見られる行動パターンでもある。先ごろ暴力で脅されて、大麻を無理強いされたグラビアアイドルのニュースが報じられたが、あれは典型的な例と言える。加害者は被害者に「秘密」や「罪」を共有させることで、自らの元に縛り付けておこうとする心理が働くのだ。
恵美子に恐ろしい「秘密」を共有させることは、恵美子を呪縛することである。芹沢はもう、恵美子の婚約者には戻れない。が、その心をまだ呪縛したいという強い情念に捉われているのである。それはとりもなおさず芹沢が「戦争」から受けた呪縛、そのものの裏返しなのだ。
だがそのオキシジェンデストロイヤーの「秘密」は、物語の視聴者にもまだ明かされない。それが明かされるのは恵美子が芹沢の呪縛を破ったとき、つまり芹沢を裏切ったときなのだ。
今まで恵美子はその「善意」ゆえに、芹沢を裏切れなかった。しかしより大きな危機に、恵美子は尾形にその「秘密」を打ち明ける。つまり恵美子は芹沢の呪縛を脱したのだ。それはオキシジェンデストロイアーの恐ろしさを、それが恐ろしくても直視することによってである。
水槽のなかの金魚を瞬く間に骨に溶かしていく悪魔の兵器。しかしその恐ろしさも、直視することによって呪縛から逃れられるのだ。これは多くのPTSD治療が、意識的に外傷体験を再体験化する治療過程と酷似している。
『ゴジラ』の物語の緊張感は、その「秘密」をはさんだいびつな三角関係が、どのような形で終幕を迎えるのかという予想によって生まれている。そしてその全てが清算されるとき、物語は終幕を迎えるのだ。
恵美子は呪縛を脱し、裏表のない青年尾形を選ぶ。しかし芹沢は、その自らの心を縛る本当の『呪縛』について語ることはない。芹沢は自らの情念とともに、海の底深く沈むことを選ぶのだ。それはそのまま日本の戦後復興の様相を表している。
この「秘密」を抱えたままの終幕が、多くの帰還兵や戦争被害者の心にどう響いたのか? 語らぬ者は、恐らくそれすら語ることはできなかったに違いない。
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