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ママがおばけになっちゃった 感想文

好きな作家さんがある絵本作家さんを紹介していて、何気なく調べてみたら、号泣してしまった。

最近、精神的にも安定してきて、仕事もそれなりに順調で、今まで嵐みたいな中を歩んでいたから、それはもう嘘のように穏やかなんだ。

それで、張り合いもないし、無理をしない生き方ってかなり楽で良いなって思う反面、これで良いのか?なんて考え出すと、悩みがあった方が成長できるんだなってちょっとは思うようになってきた。

それで、すっごく嫌な道をあえて選んで来たけれど、もしそのすっごく嫌な道が好きになれるのなら好きになりたいし、もう一回やりたいって思ってしまう自分もどっかにいる。

っで、じゃあ、どうしたらもう一度そのものすごく歩みたくない道を歩めるようになるのか?って言ったら、きっとそこまで遡る必要があるんだって思った。


昔、そこまでしかできなくて、悔しい思いを抱えた自分に戻りたいって思った。

っで、それがいつだ?って考えてみると、自分の母親が亡くなったところから再生されて、あの日のことは何年経っても忘れられないんだって気付けた。

その場面を再生させるきっかけとなったセリフが、「このこ、わたしがいなくなっちゃったら、どうなっちゃうの?」っていうセリフだった。

これはきつい。

だって、死ぬ前の日、聞いてないもん。
そんなセリフ。
本人は死ぬはずないって言ってたしなあ。って思うと泣けてくる。

抱え込むことで何かが達成できるのなら抱え込むけど、やっぱり大きさっていうのがあって、我慢しすぎるとあらゆるところで破綻する。

その我慢して恨まれたものが、結局一番の原因を作った父に行った。だから、結婚するって生半可なことじゃないと思う。

その人が背負って来た業まで背負うことになるから。
だから、考えてしまうところもあるけど、逆にやってみたいこともある。

本当にできないのかどうか試してみたいことがあるから、とりあえず、またお仕事を一生懸命やりたいなって思う。

そうこうしているうちにきっと面白いことに出会えるだろうから。
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レベルアップとは具体的にどういうことかを考えてみ

読書をして、情報を読み取り、それが具体的にどういったことなのか考えてみる。
そしたら、ある考えが浮かんだから、聞いてほしい。
スポーツにせよ、勉強にせよ、結果や成果を出すってどういうことかようやく分かったように思う。

例えば、テストで良い点を取りたいと思ったとする。じゃあ、今の自分のままでそれを達成できるのかどうか考えてみる。
そもそも良い点数を取りたいと思った時点で、それまでの自分はダメだということに気がつく。
だから、それをどうにかしたくて、良い点数を取りたいって思った自分に気付いてあげる。
じゃあ、どうしたら良い点数が取れるのか。どうしたら、今までの自分よりマシになれるのか。
賢いとかマシになるとかをどういうことかを考えてみたい。
私の頭の中でレベルアップって具体的にこういうことだと思うっていう模型みたいなものがあるから聞いてほしい。

まず、1を知る。
次に2を知る。
そして、1と2を同時にする。
次に3をする。
そして、1と3を同時にする。
それと同様に、2と3をする。
そして、今度は一気に1と2と3をする。
その繰り返しで学問は成り立つんだと思う。
時間をかけなければできないことだから、人は途中で諦めたりするけど、でも、それがもし正しいことならいつだって同じ答えが出て来ると思う。
難しく考えるっていうのは、つまり、1も2も知らないのに、いきなり1と2と3を同時にするようなことだと思う。
だから、できないって思い込んでやらない。
本当は段階を踏めばできるのに、それを嫌だと言ってやらない。自分の心の方に問題があるんだろうな。

それで、じゃあ目標を達成したければこういう風に考えれば良い。

どのくらいのレベルなのか。
これは過去問を見れば分かると思う。
どれくらい時間をかけることができるのか。
これは自分の生活習慣を見れば分かる。
一日にどれくらいの空き時間があるのか。
一週間でどのくらいになるのか。
一ヶ月では?三ヶ月、半年、一年、そういう風に考えて行けば、見通しは経つ。

もちろん、ハプニングがあってそれらができない場合だってあるけど、それはみんなお互い様だと思う。

どんな風になるのかなんて予想なんてできないけど、ただ一つ分かることは今までやってきたことの連続で今が作られている。だったら、それと同じようにして同じ未来をまた経験するのか、違う未来にするのかは、今の行動選択にかかっているのだろう。

結局、自分が一番近くて一番見えないから分からなくなるけど、自分のことをよく知れば、こうしたい、ああしたいが見えてくるんだろうな。
あとどのくらいなのかは結局一番自分が分かっているのだろう。

書きたいことだらけ、読みたいものだらけ

夢の話もしたいし、現実の話もしたい。
家族の話、友人の話、結婚の話、本当、日本語ってたくさんあるから、どれだけ時間があっても足りないくらい話題が尽きない。

誰かに話したい、聞いてもらいたい話って海に漂う魚みたいにどこを泳いでいるか分からない。


だから、その瞬間に出てきた言葉で表現するしかない。

本当に話したい話ってどこにいったんだろう。

誰に向けて話しているのかも分からない。
どこに向けて発信しいるのかも分からない。

ただただ時間だけが過ぎて、自分も変わって、相手も変わって、自然と変わっていく。

それが運命ならば、この世はなんて、はかないんだろう。


諸行無常の響きありってまさにこのことだろう。


今日は、とりあえず、私が最近、これだ!と思ったものを書いていきたい。


えぐにかおりさんとようろうたけしさんが最近、お気に入りで、いつも寝る前にその人たちの言葉を反芻する。


例えば、養老さんだったら、学問のすすめっていうラジオ番組がyoutubeで公開されているからそれを聞く。最初はきちんと話を聞いていられるのだけど、自然と眠ってしまう。難しすぎるから?それとも脳が追い付けていないから?なんて考えても分からないけど、翌日、気分さっぱりと起きられる。

だから、養老さんの声や言葉が大好きなんだ。


それで、たまにえぐにさんの名言を検索して、読みたいと思った瞬間に読んでる。

この人の言葉は、私を変えてくれるから。


どんな言葉か。


人は信じたものにしか守られ得ない。とか。


人の居場所なんてものはね、誰かの胸の中にしかないのよ。とか。


これを考えると、号泣したくなる。

私しか私のことは分からないから、誰かと共通している部分があること。
それがすごく嬉しかった。

もし今までの生き方が全部間違えであると仮定して見えてきたこと

昨日、仕事があって、実家から早々に退散したのに、今日、仕事が入ってなかったと思ってゆっくり起きて、メモ帳を見たら、入ってた。
とりあえず、会社に電話して、深呼吸して、しょうがないと思いながら、出勤した。
まあ、案の定、上司からはお叱りのお言葉をいただいた。
それは、まあ、しょうがないから良いんだけど、今さっき考えなおしたことを話したい。

どういうことか。


仕事で教えてもらったことをノートに書く。そんなの社会人として当然だと思ってた。それをおろそかにしていた自分がいて、恥ずかしいって思った。
何してんだ!自分って。


それで、チーフである人からノートを借りて、感動した。

絵が載ってて、言葉が書かれてた。とてもわかりやすかった。

その人も昔教師志望で、教育実習にまで行ったことがあるけど、結局教師にならなかった人だった。
そんな人からまた教えられた。

私は、昔、ノートとプリント、教科書、ファイルといろいろ頑張って授業を組み立ててたけど、これだって思える教材の使い方が分からず、悩んでいた。
こうだって思える考えがなくて、これで本当に良いのか?間違ってないのか?どうすれば良い?分からない。って風になって、ゲームオーバーみたいに時間が過ぎて行った。
それが、悔しくて、悔しくて、今でもどっかで自分の決めきれなかった過去をどうにかしたいって思っている自分がいる。

だから、心の中で、自分の中の本当を探したいって思ってた。


だから、今までの生き方が全部、間違いなんだって仮定したら、本当が何か知りたいって思った。

心のどっかで、今の生き方は違うだろって思っている自分がいるから。


それで、もし、本当になんでもできるとしたら何がしたかった?っていう仮定を立ててみると、出てくるんだよな。
やり残したことが。

どんなことかと言うと、芸術なんだよな。


音を奏でたい。歌を歌いたい。もしできるのであれば、自分の中にあるものを表現したいって思った。

今目の前にあることを一生懸命やりたいって思えること。
それが今後の課題だと思う。

今までさぼるにさぼってきたから、今みたいになってしまった。だったら、今から集中的にやっていくしかない。

どれだけ時間がかかるかなんて分からないけど、自分の中でこれだって思えることをやりたい。
まあ、じっくり、のんびり、じんわりと、できるところまでやろう。

それが、今日、分かって良かった。
変えていける未来が確かにあるんだから。

名作

読書ということをしていると、この作品を読んだおかげで、物事や人に対する自分の見方、考え方が大きく変わったと感じることが、時々あるものです。
 自分にとっては、トルストイの『戦争と平和』がそうでした。この作品によって、父に対する自分の見方、考え方は大きく変わったといえます。
 父は、子どもの私にとっては、いい父親だったのですが、母に対しては(亭主関白的に)厳しいところがあり、子どもの目にも母がかわいそうに見えて、生意気盛りの高校生の頃には、父に批判的になり始めていました。それでなくても、男の子が男親と対立し口もきかなくなるといった話はよく聞きます。
 自分もそうなりかけたとき、運良く『戦争と平和』に巡り会うことができました。作中、ちょっと父に似た人物が登場し、その人物の過剰なまでの厳しさが必ずしもマイナスにばかりなるわけではないということが説得力ある筆致で描かれていたのです。
 流石、文豪というのか、人間観察に非常に鋭いところがあるのです。現に、一番の被害者ともいえる母自身が、父の死後、10年以上経った今では、あの厳しさは必要だったという趣旨のことをたびたび漏らします(「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということもあるのかもしれませんが)。
 こうした体験は、『戦争と平和』を読んだことがある人は、少なからず経験したことがあるのではないかと思います。
 何しろ、『戦争と平和』の登場人物は500人以上もおり(と言っても、主要な登場人物は十数名にとどまりますが)、日常接している人に似ている人をその中に見出すことも困難ではないからです。しかも、そのどれもが、決してステレオタイプには描かれていないので、自分がそれまでリアルで接した人を見ていたのとは異なる視点を提示されることが多いと思われます。
 世界文学の傑作としてこの一作は欠かせないというほどの名作になっているのも頷けます。
 とはいえ、『戦争と平和』を読むのは、ハードルが高いと感じる人は多いことでしょう。長いし、難しそうだし。
 ただ、ウディ・アレンはこんなことを言ってます。

 私は速読のクラスを取り、『戦争と平和』を20分で読んだ。ロシアについて書いてあったと思う。

 こんな程度でもいいのです。少しハードルが低く感じられませんか? 無理か(笑)。
 でも、難しいとはいっても、芥川賞受賞作の一部(というか大部分)より理解しやすいように思います。何しろ、高校生の私が読めたくらいなのですから。
 それに、今はどうなのか正確なことは分かりませんが、少なくとも2、30年前までは、日本くらいロシア文学が翻訳されている国は他にないと云われてました。このことは、意外かもしれませんが、それだけロシア人のものの考え方、心情に共感できるものを多くの日本人が感じていたということだと思います。

 まだ、しばらくは残暑で暑い日もあるかもしれませんが、今度の読書の秋は、『戦争と平和』に挑戦されてはいかがでしょうか。

 今日は、トルストイの189回目の誕生日です。

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