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ごめんなさい

今日、久しぶりに、いつもと違う人と仕事をした。

色んなこと考えすぎて、頭クラッシュして、本当、大変だった。


でも、なんか達成感があって、妙な疲労感もあって、なんだか、よく分からない状態になった。


それで、久しぶりに、ダイエットがてら、ちょっとだけ歩いてみたら、膝が痛くなった。


昔は、こんなことくらい平気だったのにと年を取ったなって思って、あることを考えていた。


一人暮らし始めて、3年と7か月経って、全部一人で何もかもをやってきたんだと考えると、よく今までなんとか生きてきたななんて思えた。


それで、一人暮らしの前に教員やってて、顔見知りだった生徒は今や大学生になっているか浪人生しているか、もしくは、働きに出ているんだと考えると、本当に歳月は人を待たずの言葉通り、あらゆるものを変えていくんだと思った。


っで、私が受け持っていた中学生たちも、高校二年生になっているんだなって考えると、なんだか、もう昔あったこととかどうでも良くなってくるなって思った。



嫌なことがあったり、逃げ出したくなるようなこともあった。



でも、昔、昔の話だなあなんて思えた。




それで、最近の精神状態と言えば、全然苦しくないし、むしろ、もう大丈夫な感じがする。




なぜなら、ここ三年で培ってきたことは並大抵のことじゃないって思うから。



例えば、工場のライン作業で、すぐに辞めると言われていた場所に配属された。


でも、ひたすら耐えて、乗り切ったら、そのご褒美に、スタイルが手に入った。


すっげー嫌だったのが、更衣室で、じろじろと女性から裸を見られることだった。


その当時、縦のラインに筋が入ってた。


でも、足を壊して、退職したら、自然となくなった。



まあ、やればやるほど、良かったんだろう。




手と足をひたすら使う。


後は自動的に体を動かすだけ。


チャイムが鳴るまで、我慢して、作業を続ける。


そういう耐えがたい仕打ちにあっても、ひたすら、耐えていたら、ついてくるものもあって、本当に良かったと思う。



一つ思ったのは、体力って言うのは、急にどうにかなるものではなく、日々の練習により、培われるものだから、決められた時間、ちゃんとやらないとその成果も得られないってことだけは分かった。



急にどうにかしても、それは一瞬だけしか続かない。


大切なのは、昔から、ずっとやってきたことなんだと、続ければ続けているほど思う。



自転車もそうで、どんなときでも、仕事さえあれば、使う乗り物だから、何キロ走ったかなんて分からない。



嫌な気分の時や良い気分の時、暗い気持ちの時や明るい気持ちの時、どんなときでも、ずっといっしょにいたものだから、自分の化身のようなものだと思う。




っで、まず、そこは当たり前だと考える。必要最低限の条件だと自分では思う。



それで、その乗り物を使うことを抜きにして、仕事のみを考えたとき、工場のライン作業で得たことは、最低600回、多い時だと800回を毎週5日間同じことを繰り返す。


そうすることによって、動きやすい体が手に入るということだけは分かった。


途中頭が痛いとか吐き気がするとかめまいもあったけど、でも、なんとか乗り越えると、今までやってきたことが支えとなって、どんどん道が開けて行った。



もちろん、やりすぎると、体を壊すし、涙が止まらなくなったり、ひたすら、寝ても起きても、手が痺れて使い物にならない状態になる場合だってあった。



だから、ぎりぎりのところでどれだけ自分を追い込むことができるのか。ここにかかっていると思う。




最低、600回繰り返して分かったことは、ものすごく大変で、嫌で、苦しくて、辛くて逃げ出したいと最初は思っても、慣れてくるうちにどんどん自分の可能性が広がる感覚だけは、感じたように思う。



ここで体験したことによって、自分の幅がほんの少しだけ大きくなって、素直さや謙虚さ、他人が嫌がることをしないだとか、そういう誰かにとっての自分が育ってくるような気もする。


誰かにやらされて、マジ、あいつムカつくだとか、あいつ、批判しやがって、マジありえないんだけどとかそういう思いにかられることも少なくなった。



悪いことをしたらごめんなさい。嫌なことでも苦手なことでも、やらせていただいてありがとうございますだとか、そういう謙虚さが出てくる。



今まで頭を下げられなかった人は、おそらく、人として、何か足りない人になる。


自分の中にある嫌な自分、好きな自分が両者いる。



天使か悪魔か。



自分に甘い人は、悪魔の割合が大きいんだろう。


ごめんとなぜ、言えないのか。そこに問題があるんだと思う。




この機会にもう一度、他人にうつる自分の姿がどう映っているのか考えてみたいと思う。

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クラッシュ




今日、久しぶりに、いつもと違う人と仕事をした。

色んなこと考えすぎて、頭クラッシュして、本当、大変だった。


でも、なんか達成感があって、妙な疲労感もあって、なんだか、よく分からない状態になった。


それで、久しぶりに、ダイエットがてら、ちょっとだけ歩いてみたら、膝が痛くなった。


昔は、こんなことくらい平気だったのにと年を取ったなって思って、あることを考えていた。


一人暮らし始めて、3年と7か月経って、全部一人で何もかもをやってきたんだと考えると、よく今までなんとか生きてきたななんて思えた。


それで、一人暮らしの前に教員やってて、顔見知りだった生徒は今や大学生になっているか浪人生しているか、もしくは、働きに出ているんだと考えると、本当に歳月は人を待たずの言葉通り、あらゆるものを変えていくんだと思った。


っで、私が受け持っていた中学生たちも、高校二年生になっているんだなって考えると、なんだか、もう昔あったこととかどうでも良くなってくるなって思った。



嫌なことがあったり、逃げ出したくなるようなこともあった。



でも、昔、昔の話だなあなんて思えた。




それで、最近の精神状態と言えば、全然苦しくないし、むしろ、もう大丈夫な感じがする。




なぜなら、ここ三年で培ってきたことは並大抵のことじゃないって思うから。



例えば、工場のライン作業で、すぐに辞めると言われていた場所に配属された。


でも、ひたすら耐えて、乗り切ったら、そのご褒美に、スタイルが手に入った。


すっげー嫌だったのが、更衣室で、じろじろと女性から裸を見られることだった。


その当時、縦のラインに筋が入ってた。


でも、足を壊して、退職したら、自然となくなった。



まあ、やればやるほど、良かったんだろう。




手と足をひたすら使う。


後は自動的に体を動かすだけ。


チャイムが鳴るまで、我慢して、作業を続ける。


そういう耐えがたい仕打ちにあっても、ひたすら、耐えていたら、ついてくるものもあって、本当に良かったと思う。



一つ思ったのは、体力って言うのは、急にどうにかなるものではなく、日々の練習により、培われるものだから、決められた時間、ちゃんとやらないとその成果も得られないってことだけは分かった。



急にどうにかしても、それは一瞬だけしか続かない。


大切なのは、昔から、ずっとやってきたことなんだと、続ければ続けているほど思う。



自転車もそうで、どんなときでも、仕事さえあれば、使う乗り物だから、何キロ走ったかなんて分からない。



嫌な気分の時や良い気分の時、暗い気持ちの時や明るい気持ちの時、どんなときでも、ずっといっしょにいたものだから、自分の化身のようなものだと思う。




っで、まず、そこは当たり前だと考える。必要最低限の条件だと自分では思う。



それで、その乗り物を使うことを抜きにして、仕事のみを考えたとき、工場のライン作業で得たことは、最低600回、多い時だと800回を毎週5日間同じことを繰り返す。


そうすることによって、動きやすい体が手に入るということだけは分かった。


途中頭が痛いとか吐き気がするとかめまいもあったけど、でも、なんとか乗り越えると、今までやってきたことが支えとなって、どんどん道が開けて行った。



もちろん、やりすぎると、体を壊すし、涙が止まらなくなったり、ひたすら、寝ても起きても、手が痺れて使い物にならない状態になる場合だってあった。



だから、ぎりぎりのところでどれだけ自分を追い込むことができるのか。ここにかかっていると思う。




最低、600回繰り返して分かったことは、ものすごく大変で、嫌で、苦しくて、辛くて逃げ出したいと最初は思っても、慣れてくるうちにどんどん自分の可能性が広がる感覚だけは、感じたように思う。



ここで体験したことによって、自分の幅がほんの少しだけ大きくなって、素直さや謙虚さ、他人が嫌がることをしないだとか、そういう誰かにとっての自分が育ってくるような気もする。


誰かにやらされて、マジ、あいつムカつくだとか、あいつ、批判しやがって、マジありえないんだけどとかそういう思いにかられることも少なくなった。



悪いことをしたらごめんなさい。嫌なことでも苦手なことでも、やらせていただいてありがとうございますだとか、そういう謙虚さが出てくる。



今まで頭を下げられなかった人は、おそらく、人として、何か足りない人になる。


自分の中にある嫌な自分、好きな自分が両者いる。



天使か悪魔か。

白と黒



朝、昼、晩と三日連続して、仕事をしたんだけど、あまりにその内容が違いすぎて、体を壊した。


しんどくて、早く帰りたいっていう気持ちが大きくなって、なんとか、その日一日を持たしたら、お腹は減るし、体は怠いしで、横になるしかなかった。


そんな中、大阿闍梨の動画を観たりして、自分を鼓舞していたんだけど、やっぱり、眠たさや食欲には勝てなくて、暴飲暴食したり、眠れるだけ寝た。


大した仕事の内容ではない。もっと厳しい場面は何度もあった。


倒れそうになったり、吐き気がしたり、頭が痛かったり、それに伴って、心までやられてしまった時期が確かにある。


こんな風に生きるのなら、眠っている間に、そのまま、あの世にいってみたいと思ったりする。


でも、あることを思った。


自殺したら、同じ問題の繰り返しでそれが何度も何度も繰り返される。


クリアできるまでずっと。


その話を聞いたとき、もう一回、同じ人生を歩むなんて絶対嫌だって思った。


じゃあ、逆に、考えて、今までできなかったことややれなかったことを全力で倒していくのはどうだろう?って思った。



後悔していることがあって、同じような未来にどうせなるのなら、その未来に繋がらない道を今の自分から探すしかないって思った。



それが、自分の使命なんじゃないか?って思った。



現実を生き切ってもいないのに、夢なんか見れない。


どんどん自分は年老いていくのに、何年経っても、変われない部分が確かにある。


そんなことを考えていたら、ちょうど、面白い記事が手に入った。



それは、物事を長続きさせるにはっていう記事だ。


他人が書いた文章を何度も聞いたり、読んだりしたが、やはり、習慣はすぐには変えられない。

人間というのは、安定したい生き物で、変わろうとするのは、本能ではない。


できれば、そのまま持続したいと思う生き物。


だから、最初は、子供のようなレベルからで良いって書かれてた。


自分は子供なんだ。だから、下手くそ。それが当たり前。やっていくうちにどんどんそれを突き詰めたくて、やり続ける。その継続が実力となり、その人の人格になる。

もしそうだとしたら、私は、今まで、散々、本能と違う方法で自分を高めようとしてた。


すぐにはできないのに、結果ばかりを求めていた。


何より過程が大事だってあれだけ、痛い思いして、身に着けてきたのになって思った。


それで、ほんの少しずつだけ変化させていこうと思う。


それをやって当然って思えるまで自分を慣らしてあげる。


そういうことをやって、ようやく、上級者のやり方をまねる。

一番、最初からうまくなんかいかない。うまくいきだしてから、今までやってこなかったような練習方法を試す。これで良いって思えるもの、きっとあるから。



そんなことが書かれてあって、このやり方は、大縄跳びを跳ぶ感覚と似ているなって思った。


タイミングをうかがって、中に入るときのリズム感と同じ。



自分の体はこうだから、しばらく、それを続けてみる。
そして、体が慣れてきたら、もう一歩踏み込む。



そういう風に自分を飼い慣らしてあげることが、今後の課題なのかな?って思う。



今まで、たくさん、記事読んできたけど、どれもこれも、良いような気がしてしょうがなかった。

だから、かいつまんで、これだって思う言葉を覚えて行ったけど、しょせん、それは、子供が言葉を覚えただけの陳腐なもので、流れに沿うやり方ではなかった。


だから、うまくいかなかったんだって改めて思う。



ちぐはぐになるし、人にだって伝わらない。だって、順序が違うから。



ある人と話していたのだけど、どうもその人の言葉は、おそらく多読のし過ぎで、違和感ありまくりの言葉だった。人の言葉の端っこをつかんでは、何かを言う。そういうんじゃないんだよな、話したいのはって思ってた。


でも、おそらく、その人なりに悩んでいたんだろう。私も同じ道を通った人間だから、よく分かる。



物事の端っこじゃなくて、物の中心に何があるのか。核となる言葉が見つかれば、おのずと答えは出るんだろう。


ある一方では強さがあり、ある一方では弱さがある。


二つが混じり合って一つの結果が出る。

白と黒


黒の中に白があり、白の中にも黒がある。


どちらがどれだけ大きいのか。これが、おそらく、結果になっていくんだろう。


ほんの小さな白を大切にできない人が、何か大きいことを成し遂げるなんてできない。


改めて、自分の頭の中にある思考が、まとまったように思う。


さて、未来づくりでも始めよう。



どの道、何もやらなくても、終わりが来るんだから、やっておいた方が絶対良いって思うし。







嫌い

よくある質問で「ストレスがなくなるようにするためにはどうしたら良いですか?」みたいなことを掲示板などで見かける。


私もその方法が知りたいっていつも思ってた。


忘れ去りたい記憶があるから。思い出したくない記憶があるから。


何かの拍子に思い出される過去のいらない記憶


そういうものをずっと積み木のように積み重ねて、いつか、崩れる。


定期的にそういうことが起こる。


だから、トラウマなんてなくなれって思ってた。でも、未だに思うんだけど、やられた方は、その傷の痛みが再発して、何度も何度も、痛さを繰り返す。

でも、やった方は、その時だけで、忘れ去っていることの方が多い。


だから、たちが悪い。



しつこく痛みが出るから。



でも、その痛みを何年も何年も 積み重ねて、しまいには、感じなくなるんじゃないのか?って思う。



思い出したら、泣いたら良い。吐き出したら良い。でも、それで、行動を制限しちゃあダメだって思う。


傷が痛み出して、身動きがとれなくなる前に、なんとかしていれば、良かった。


それがどのタイミングでそうなるのか分からないから厄介なんだ。


でも、一つ思うのだが、冬の時期に咲く花も夏の時期に咲く花も、その環境さえ整えてやったら、ちゃんと咲くんじゃないか?って思う。


人間には知恵がある。言葉がある。


ひたすら、欲にかられて生きるわけではない。明日、明後日、その先もちゃんと自分で描ける自分になっているんじゃないか?

答えはもうすでに持ってて、後は、行動にうつすだけ。


本当にそれだけ。


そう考えていると、この前言っていた心理学者の言葉がようやく意味を持つものになってくる。



何かを「やる」っていうのは、ものすごくエネルギーがいる。


勉強や運動を続けるのが、難しいように、できれば、やらなくて済む、楽な道を探して、進もうとするのが、本来


でも、心や体に負荷をかけるからこそ、生きているということ、それ自体に命が組み込まれるんじゃないか?って思う。


だから、ストレスから逃げていてもしょうがないって思うようになった。


ここ数日、私の頭の中で、こういうことが起こっている。


崖から落とされそうな感じ。

下から風が吹いてて、ちょっとでも気がゆるんだら、落ちてしまうような状況


そういう危機的な状況だからこそ、真剣になれる自分が育つような気がする。



後もう少し、頑張らないときっと落ちる。


それが怖くて、眠れなくて、ひたすら考え続けている自分


その自分がちゃんと自分を育てる自分なんだって思う。


だから、記憶力が育ったような気もする。


こわくて、眠れなくて、覚えられなくて、それがダメなんだって思って、何度も何度も繰り返した弱音をちゃんと持っていたから、ちゃんと見つめていたから、ちゃんと抱いていたから、覚えられたんだって思う。


ちゃんとそれが自分にとって意味のあることだったと思う。



その過程無視して、結果ばっかりに拘るより、その過程にこそ、実力が育つために必要だった時間だって思う。


死にたくなるほど、自分が嫌いになって、死にたくなるほど、そんな自分を好きでいたい自分が育っていたと思う。



だから、実際、なりたくないと思っていた自分になってしまったんだとしたら、そうあってほしくないと思っていた過去もあったはずだから、その自分をちゃんと覚えておいてほしい。

本来、そうありたいと思っていた自分は、過去のある一点にいたはずだから。


直線的に続かなくても、本来、ほしいと思っていた未来がその先にあるかもしれないから、どうか忘れないでほしい。


希望を話した自分の声を。


あなたがあなただからこそ、できることがあるように、連続する自分がそこにいたからこそ、できることがあったはずだから。


どうか、このことだけは覚えておいてほしい。


本来、そうあってほしいと望んだ自分だけは、とっておきの自分だと思うから。

昨日あったちょっとしたできごと


早朝4時。それが私の出勤時間だ。
冬は寒い。でも、始発も動いていないから、仕方なしに、ママチャリで片道7キロの職場に向かう。
大学生の頃、10キロ離れたバイト先で働いていたから、それくらいはできると思って、もう後、3か月で1年になる。

今までの走行距離、1000キロ以上。

職場に行く前に少しなだらかな坂があって、絶対上りきるっていうルールを決めている。しんどいときや雨風の強いときに失敗することはあるけど、一応、まだ1回くらいしかミスってはいない。

っで、その坂をふらふらになりながら、のぼりきるんだけど、たまたまパトカーが私の前を通過していった。

朝早いなーと思いながら、のぼりきって、人生初の職質。笑


大学生かと思いましたなんて言われる。笑


いやー、社会人です。って言って、どこで働いているんですか?とか色々聞かれた。


まずは、おはようーございます!って言われて、「あっ!」って顔されたけど、そのときの私、どんな顔してたんだ?笑


そいで、その日は、本当に不幸で、ギャルみたいな女の子にからまれた。

スーパーにはいっただけなのに、いろいろと勧誘してきて、めんどくせーとか思いながら、スルーしようとしたら、めちゃくちゃ色々話された。


どうでも良いこと。携帯の通信速度がどうたら、こうたら。

しまいには、年齢まで聞かれる。


27歳ってマジで答えたけど、24くらいかとおもったーって私は、いったいなんなんだ?


まあ、別におばさんと言われても良いけど、みんな思ったことを言いたい放題だよ、まったく。


まあ、そろそろやりたいことが出てきたし、動き出すとしますかね。

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