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ムカつくことがある。


もうこれはどうしようもないことなんだけど、でも、むかつくことがある。


さて、本題。


兄と私の共通点


この前、電話をしていた。

兄が教えてくれた。最近、はまっている趣味を。

そこで、ああ、なるほど。こういうことかって悟ったことがある。


私は、前世とか過去世とか信じるタイプで、それは、もう私の周りにいる人たちが自分を映し出している人たちだから。


っで、なんで、こういうことが言えるのかって話なんだけど、とりあえず、スペックを紹介する。




兄の好きなもの

ロンドンにある時計塔のような時計が好き
ラテアートに最近こっている
元トランペット奏者
ジャズが好き



私の得意なもの、好きなもの


一応、大学では英語を専門としてた
中学高校チューバ奏者
紅茶が好き
シンクロニシティが起こったときのメッセージはオールラングザイン
チェック柄やアーガイル柄が好き
宝石だって好きだし。



さて、これらの共通点をまとめると、前世はイギリスにいたと思う。



っでだ。冒頭で述べた何がムカつくのかって話だけど、兄のセンスは抜群に良い。


でも、一つ許せないことがある。



それは、兄の顔が、センスが良ければ良いほど、釣り合っていないというところに腹がたつってとこ。



これは、もう、本当、どうしようもないことなんだ。


アニメじゃない。空想の世界でもない。妄想の世界じゃない。そう、そこにあるのはただの現実なんだって思えば思うほど、なぜか、むなしくなる。


女の人は、よくバランスを重視するって言うけど、男の人は、一点豪華主義って聞いたことがある。

だから、つくづく女性の脳だなって思う。


まあ、もし、自分の過去が知りたかったら、歴史を少しばかり学んで、頭の中に入れて、自分との共通点を洗い出してみると良い。そしたら、身近にいる人が今以上に好きになる可能性がきっと出てくると思うから。

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問題

自分の生きる道がなんとなく定まってきて、こうしよう、ああしようが私の中にある。

そのためには、こういうことが必要だなって思っていて、でも、やりすぎちゃうといけないから、時間を決めて、緩急をつけている。


そんな中、今回、ご紹介したい話は、俯瞰についてのお話

まず、初めになぜ、俯瞰について話したいと思ったのかと言うと、私の読む本に、よく出てくる話だから。


それで、その本を読み切った後、たまたま動画で、お坊さんが俯瞰するという視点の話をしてくれたので、紹介したいと思った。

っで、もう一つ言っておかなくちゃいけないことがある。

それは人生って、一人でできているものじゃないって話。
当たり前のことなんだけど、どうしても人って自分の考えに固執してああだ、こうだと言いたがる。
私の場合はこうだとか、ああだとか。

でも、それは一般的じゃないし、個人的な話をされても、それ以上話は膨らまない。

ああ、そう。ご苦労だったね。で、終わる。


でも、それをそういう風なかたちで終わらせても、しょうがなくて、俯瞰して見ると言うことを覚えたら、かなり生きやすくはなると思う。


なぜなら、その断片的な体験も、大切なことたったと思えるから。


っで、じゃあ、俯瞰して見るってどういうことかというと、空から見る感覚と同じ。

地図を見ているように、自分がどこにいるのか確認するのと同じ。


もう一個、分かりやすい例えをするなら、学校を外から見る感じと同じ。


運動場で運動する生徒もいれば、プールで泳ぐ生徒もいる。体育館で運動する生徒もいる。
一年生のクラスでは、英語、数学、社会、理科、国語の授業を受ける生徒や音楽室で歌を歌う生徒もいる。

それぞれがそれぞれの場所で機能している。

これって、喜怒哀楽も同じ。


喜んだりしたと思ったら、怒ったりして、哀しいと思ったら、楽しいと思ってみたり。

とどまることがない、ただ一つのこと。

マンションを外から見ていても同じことが言える。

1号室には新婚さんが愛を語っていたり、2号室には単身赴任のお父さんがいて、寂しそうにお弁当食べてたり、3号室には若者がいて、恋人と喧嘩していたり4号室には大家さんがテレビ観てせんべいかじっていたり、それぞれ、ほぼ同じ構造でできていたとしても、そこにいる人々によって、状況は変化する。


だから、自分も同じ、無常なんだよな。


同じだと思っていても、体はどんどん年老いていく。
若い頃にできていたこともできなくなっていったりする。

でも、逆に、若い頃に解けなかった問題が解けるようになったりもする。


言葉では捉え切れなくて、解決できていない問題も数多くある。

でも、結局は、お釈迦様の手のひらに乗せられて、じたばたもがいていた自分が本当なんだろう。


いくら、俺は偉いんだ!って言っても、仏様や神様から見れば、所詮、みんなやっていることは同じだと思う。


あらがって無駄なときもあれば、あらがって動くときもある。
だから、変えなくちゃいけないこと、変えちゃいけないこと、変えても変えなくても良いもの、それらをちゃんと見極める審美眼を身に付けたいって思う。

気持ち

その足跡だけを見てもただの足跡に過ぎない。

けれど、その行き先がどこなのか、どこへ行き、どこへ帰るのか、それを追いかけていれば、その人の原点が家にあると誰でも気付くだろう。

その中心に誰がいるのか。

その人の周りに誰がいるのか。

それが自分を映し出す鏡になる。


兄の周りにはすごい人たちが集まる。

東大生の父親、東大生卒、大阪教育大卒、そろばん検定一級、暗算の段保持者、大阪マラソンの経験者、アフリカ大陸を自転車で一人で横断した人など、本当にいろんな才能を持った人たちが集まる。

私はというと、考えてみても、目立つ人はそんなにいない。

社会のトップに立つような人たちはあまりいない。

でも、必死で地域を守る人たちとは一緒にいた過去がある。

今思えば、地獄のような過去を歩んできた人たちがそばに居たんだと終わってから思う。

高熱が出たり、それでも、授業をしなくちゃいけない人たち、世界一周旅行を自分で計画して実行した早稲田卒の社会の先生、親が亡くなった後、色々弁護士と話しながら、自分の家のことをやった先生もいた。

事故にあって、左肩が上がらない先生とか、本当にもういろんな人がいた。

ちっちゃなプライドにしがみついて、完璧を目指そうとやっていたけど、全然足りなかった。
急いでも、急いでも、その人たちの速さには追いつかなくて、挫いた足を引きずった過去もあった。


痛かったし、泣きたかった。辛かったり、息苦しかったりもした。

でも、所詮、そんな自分しかいないんだって、諦めた日もあった。


でも、やらなきゃいけないことに追われて、仕方なく何度も何度も、誰も歩かないような道を訳も分からず歩いていたら、出会えた人たちが
いた。


真面目で、一生懸命で、献身的な自分でありたいと何度も思いながら、ごめんなさいとありがとうを繰り返して、歩んでこれたこの二年は本当に自分にとって価値のある時間だったと思う。

やるべきことをやっていたら、自然と料理の腕も上がって、年配の人に褒めてもらえるようにまでなった。

結局、ものを言うのは、その経験をした人だけなんだと思う。
もし、やり方があるのだとしたら、転んだり、のたうち回ったり、悩んで、苦しんで出した答えが自分の全てだと思う。


同じじゃないのに、伝わる気持ちがある。

同じなはずなのに、伝わらない気持ちもある。


だから、一回やってみるっていう気持ちが大切。

そしたら、どれだけその人がすごい人か分かるから。


今の自分で何ができるのか。
可能性は自分の中にあって、他人ではない。

できる



人それぞれ、苦難や困難はあると思う。

苦手な人もいれば、好きな人もいたり、得意なこともあれば不得意なこともある。


人それぞれそれは違う。


だから、別に誰かと比較してもしょうがないと言ったらしょうがない。


その状態で、自分に何ができるのか。問題はここにある。


昔の話を三つしたい。

一つ目は、中学時代、成績を出した部活動のこと。

一年生は行くのが嫌だった。
なぜなら、音は綺麗に出せたのに、楽譜読めないし、リズム感がなかったから。
いきなり、うまいねって言われて、びっくりした。何が辛かったかと言うと、いきなり、合奏があったこと。
一人一人、罰ゲームのように、高いドの音を出していく。私は低いドからシまでしか出なった。恥ずかしくなって、とばされたいって思った。
みんなは吹けるのに、自分だけ吹けない。いくら一生懸命努力しても、出ない時期が確かにあった。どうすれば出るのか悩みまくった。っで、サボるようになって、行かなくなった時期が確かにある。

でも、あることを思い出した。雨音と同じだって。

最初は、ポツポツ、たったったって感じで始まって、だんだんと土砂降りになる。
この話を、小学校の時の同級生の兄が話していた。地元で頭の良い高校に行っている人だった。
そんで、多分、人の能力も同じようなもので、最初はすっごい下手くそ。見るに耐えないもの。でも、少しずつうまくなっていくんだって思った。

エネルギーを集める。それが溜まれば、飽和して、土砂降りとなって地に落ちる。

だから、どれだけのことを溜めたのか。それが大切なんだ。

誰もそのやり方なんて知らない。けれど、大切にしている思いがある。気持ちがある。心がある。

それが人の人格を作るんだと思う。


習慣もそれに伴って、作られる。


中学生の時、ありえないくらい頑張った。今の自分では考えられないくらいに。

結果だけ見れば大したことはない。でも、あの当時の自分を考えたら目まぐるしい成長だと思う。


っで、年月が経てば経つほど、自分の器がどんどん広がっていくような感覚はある。



知らなかったことを知ること、分からなかったことが分かるように、できなかったことができるようになってきたように思う。


今でも泣くし、喚くし、暴れたくなることもあるけれど、でも、ずいぶんとマシにはなったような気はする。


もし、何か困ったことがあって、できないって悩むんだったら、ちょっとだけ冷却期間があっても良いかもしれない。


焦って何かするより、今できることを一生懸命やれば良い。



そのうち、できるようになっていくから。



自然とそう言う風になるから。


だから、諦めないでいてほしい。


どこで、どうなるかなんて誰も分からないんだから。


でも、そうなるようにしたいって悩んで迷って苦しんだ分だけきっと成長はあると思うから、自分だけは見くびらないであげてほしいと思う。


何かする前には必ずそれと同じ負があるものだから。

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