人それぞれ、苦難や困難はあると思う。
苦手な人もいれば、好きな人もいたり、得意なこともあれば不得意なこともある。
人それぞれそれは違う。
だから、別に誰かと比較してもしょうがないと言ったらしょうがない。
その状態で、自分に何ができるのか。問題はここにある。
昔の話を三つしたい。
一つ目は、中学時代、成績を出した部活動のこと。
一年生は行くのが嫌だった。
なぜなら、音は綺麗に出せたのに、楽譜読めないし、リズム感がなかったから。
いきなり、うまいねって言われて、びっくりした。何が辛かったかと言うと、いきなり、合奏があったこと。
一人一人、罰ゲームのように、高いドの音を出していく。私は低いドからシまでしか出なった。恥ずかしくなって、とばされたいって思った。
みんなは吹けるのに、自分だけ吹けない。いくら一生懸命努力しても、出ない時期が確かにあった。どうすれば出るのか悩みまくった。っで、サボるようになって、行かなくなった時期が確かにある。
でも、あることを思い出した。雨音と同じだって。
最初は、ポツポツ、たったったって感じで始まって、だんだんと土砂降りになる。
この話を、小学校の時の同級生の兄が話していた。地元で頭の良い高校に行っている人だった。
そんで、多分、人の能力も同じようなもので、最初はすっごい下手くそ。見るに耐えないもの。でも、少しずつうまくなっていくんだって思った。
エネルギーを集める。それが溜まれば、飽和して、土砂降りとなって地に落ちる。
だから、どれだけのことを溜めたのか。それが大切なんだ。
誰もそのやり方なんて知らない。けれど、大切にしている思いがある。気持ちがある。心がある。
それが人の人格を作るんだと思う。
習慣もそれに伴って、作られる。
中学生の時、ありえないくらい頑張った。今の自分では考えられないくらいに。
結果だけ見れば大したことはない。でも、あの当時の自分を考えたら目まぐるしい成長だと思う。
っで、年月が経てば経つほど、自分の器がどんどん広がっていくような感覚はある。
知らなかったことを知ること、分からなかったことが分かるように、できなかったことができるようになってきたように思う。
今でも泣くし、喚くし、暴れたくなることもあるけれど、でも、ずいぶんとマシにはなったような気はする。
もし、何か困ったことがあって、できないって悩むんだったら、ちょっとだけ冷却期間があっても良いかもしれない。
焦って何かするより、今できることを一生懸命やれば良い。
そのうち、できるようになっていくから。
自然とそう言う風になるから。
だから、諦めないでいてほしい。
どこで、どうなるかなんて誰も分からないんだから。
でも、そうなるようにしたいって悩んで迷って苦しんだ分だけきっと成長はあると思うから、自分だけは見くびらないであげてほしいと思う。
何かする前には必ずそれと同じ負があるものだから。
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