この前、林修の生きざま大辞典を観て、ある知恵を得た。
それは、タイトルにある通り、演繹と帰納を繰り返し、人を動かしたある監督のお話。
人って尊敬できる人から指示や注意をされると自分が悪かったなとか、この人の言うことをちゃんと聞こうって思う。
でも、尊敬できない人からの指示や注意って、お前の言うこと、なんで聞かなきゃいけないんだ?って絶対どっかで思ってる。
だから、その気持ちがあると、どうしても、いざこざが起きる。
お前の言うことなんて聞いてやるか!って。
それで、ダメになることが多々ある。
反面教師
理想像とは反対の像
っで、じゃあ、どうしたら、言うことを聞くのか?って言ったら、尊敬できる部分を見てもらうことだと思う。
見られる方はかなり神経すり減らして、へとへとになるけど、見る方の神経なんてあってないようなもの。
ただこんなことやってんなあくらい。
でも、プライドが高い子供は、初めから、お前の言うことなんて聞いてやるか!って思っているから、その子供が尊敬できる大人になるしかない。いくら怒鳴っても、殴っても、結局は、恨みの念に変わるから、偉そうにしても無駄で、あえて、その子供ができないようなことをする。それしかない。
でも、本当にバカな子供は、プライドを捨てきれなくて、いくら負けてても、負けだと認められない。自分ほど素晴らしい人間がこんなクズに負けるはずないって思ってるから、その負けから、得られる大切なことに気付けずにいる。
そのことが何より、惜しいって思う。
だから、素直さは宝なんだなって思う。
じゃあ、そういう子供には、どう接したら良いのか?
転ばせるしかないと思う。
人の言うことをちゃんと聞かないから、事故に遭う。だったら、一人でなんでもやってみたら良いと思う。
人が本当に自分を変えたいって思うのは、奈落の底に落ちたとき。
誰か大切な人が死んだり、いじめに遭ったり、自分が誰からも相手にされないときに初めて、自分が悪かったなってきっと思う。
もし、本当にプライドが高いんなら、人から学べるはずなんだ。なぜなら、自分は素晴らしい人間なんだから、これくらいのことはできる。この人のマネくらいできる。
だから、余裕でいられる。
でも、本当のプライドを持っていないのなら、人は人を攻撃したくなる。
それはおそらく劣等感なんだろう。こんな奴の言うことを聞いてたまるかって、誰かに点数つけてる。
自分も誰かに点数つけられていることにストレスを感じながら。
自分の弱さと真剣に向き合ったとき、本当の自分の声に耳を傾けてあげれば良い。自分の中に本当のことがあるから。
バカでどうしようもなくて、グズで泣き虫で、何にもできない自分が本来持っていたものを出せば良い。
変わりたいって思わせるような絶望的なことに出会わない限り、変わらないと思う。
表面的に変えることはできても、浸透させるには、それなりのことが必要になってくる。
それだけは経験上言える。
っで、じゃあ、他の戦略は、どう立てれば良い?って話だけど、情報を集めるしかない。
勝つ戦略ってきっとある。でも、それって、どうしたら分かるのか?って言うと、きっと勝つ要因を膨大な読書量で、探し出すしかない。
それなしにその勝利はありえない。
勝ち試合にはきっと何か共通点がある。どんなメンバーで、どういうコミュニケーションを取ったとか、些細な事も含めて、全部、必然的に起こるようになっていると思う。
ここ最近、あることを考えるようになった。
それは、受験
これ、全部、演繹と帰納だなって。
ある共通点がある。それを法則化することを帰納するという。
ある法則がある。そこから、結論を出すことを演繹するという。
例えば、A型だから、几帳面で、O型だから、おおらか、AB型だから、変わり者、B型はマイペース
これは、ある法則から一つの結論を出しているので、演繹法
A型の人を1万人くらい調べて、その共通点が、几帳面だったという法則をたてることを、帰納するという。
ということは、つまり受験はすべて帰納法と結論付けられる。
ある法則から一つの結論を導き出すのだから。
人の動かし方っていうのは、おそらく、その人が独自に作ってきた方法があると思う。
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