その足跡だけを見てもただの足跡に過ぎない。
けれど、その行き先がどこなのか、どこへ行き、どこへ帰るのか、それを追いかけていれば、その人の原点が家にあると誰でも気付くだろう。
その中心に誰がいるのか。
その人の周りに誰がいるのか。
それが自分を映し出す鏡になる。
兄の周りにはすごい人たちが集まる。
東大生の父親、東大生卒、大阪教育大卒、そろばん検定一級、暗算の段保持者、大阪マラソンの経験者、アフリカ大陸を自転車で一人で横断した人など、本当にいろんな才能を持った人たちが集まる。
私はというと、考えてみても、目立つ人はそんなにいない。
社会のトップに立つような人たちはあまりいない。
でも、必死で地域を守る人たちとは一緒にいた過去がある。
今思えば、地獄のような過去を歩んできた人たちがそばに居たんだと終わってから思う。
高熱が出たり、それでも、授業をしなくちゃいけない人たち、世界一周旅行を自分で計画して実行した早稲田卒の社会の先生、親が亡くなった後、色々弁護士と話しながら、自分の家のことをやった先生もいた。
事故にあって、左肩が上がらない先生とか、本当にもういろんな人がいた。
ちっちゃなプライドにしがみついて、完璧を目指そうとやっていたけど、全然足りなかった。
急いでも、急いでも、その人たちの速さには追いつかなくて、挫いた足を引きずった過去もあった。
痛かったし、泣きたかった。辛かったり、息苦しかったりもした。
でも、所詮、そんな自分しかいないんだって、諦めた日もあった。
でも、やらなきゃいけないことに追われて、仕方なく何度も何度も、誰も歩かないような道を訳も分からず歩いていたら、出会えた人たちが
いた。
真面目で、一生懸命で、献身的な自分でありたいと何度も思いながら、ごめんなさいとありがとうを繰り返して、歩んでこれたこの二年は本当に自分にとって価値のある時間だったと思う。
やるべきことをやっていたら、自然と料理の腕も上がって、年配の人に褒めてもらえるようにまでなった。
結局、ものを言うのは、その経験をした人だけなんだと思う。
もし、やり方があるのだとしたら、転んだり、のたうち回ったり、悩んで、苦しんで出した答えが自分の全てだと思う。
同じじゃないのに、伝わる気持ちがある。
同じなはずなのに、伝わらない気持ちもある。
だから、一回やってみるっていう気持ちが大切。
そしたら、どれだけその人がすごい人か分かるから。
今の自分で何ができるのか。
可能性は自分の中にあって、他人ではない。
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