よくある質問で「ストレスがなくなるようにするためにはどうしたら良いですか?」みたいなことを掲示板などで見かける。
私もその方法が知りたいっていつも思ってた。
忘れ去りたい記憶があるから。思い出したくない記憶があるから。
何かの拍子に思い出される過去のいらない記憶
そういうものをずっと積み木のように積み重ねて、いつか、崩れる。
定期的にそういうことが起こる。
だから、トラウマなんてなくなれって思ってた。でも、未だに思うんだけど、やられた方は、その傷の痛みが再発して、何度も何度も、痛さを繰り返す。
でも、やった方は、その時だけで、忘れ去っていることの方が多い。
だから、たちが悪い。
しつこく痛みが出るから。
でも、その痛みを何年も何年も 積み重ねて、しまいには、感じなくなるんじゃないのか?って思う。
思い出したら、泣いたら良い。吐き出したら良い。でも、それで、行動を制限しちゃあダメだって思う。
傷が痛み出して、身動きがとれなくなる前に、なんとかしていれば、良かった。
それがどのタイミングでそうなるのか分からないから厄介なんだ。
でも、一つ思うのだが、冬の時期に咲く花も夏の時期に咲く花も、その環境さえ整えてやったら、ちゃんと咲くんじゃないか?って思う。
人間には知恵がある。言葉がある。
ひたすら、欲にかられて生きるわけではない。明日、明後日、その先もちゃんと自分で描ける自分になっているんじゃないか?
答えはもうすでに持ってて、後は、行動にうつすだけ。
本当にそれだけ。
そう考えていると、この前言っていた心理学者の言葉がようやく意味を持つものになってくる。
何かを「やる」っていうのは、ものすごくエネルギーがいる。
勉強や運動を続けるのが、難しいように、できれば、やらなくて済む、楽な道を探して、進もうとするのが、本来
でも、心や体に負荷をかけるからこそ、生きているということ、それ自体に命が組み込まれるんじゃないか?って思う。
だから、ストレスから逃げていてもしょうがないって思うようになった。
ここ数日、私の頭の中で、こういうことが起こっている。
崖から落とされそうな感じ。
下から風が吹いてて、ちょっとでも気がゆるんだら、落ちてしまうような状況
そういう危機的な状況だからこそ、真剣になれる自分が育つような気がする。
後もう少し、頑張らないときっと落ちる。
それが怖くて、眠れなくて、ひたすら考え続けている自分
その自分がちゃんと自分を育てる自分なんだって思う。
だから、記憶力が育ったような気もする。
こわくて、眠れなくて、覚えられなくて、それがダメなんだって思って、何度も何度も繰り返した弱音をちゃんと持っていたから、ちゃんと見つめていたから、ちゃんと抱いていたから、覚えられたんだって思う。
ちゃんとそれが自分にとって意味のあることだったと思う。
その過程無視して、結果ばっかりに拘るより、その過程にこそ、実力が育つために必要だった時間だって思う。
死にたくなるほど、自分が嫌いになって、死にたくなるほど、そんな自分を好きでいたい自分が育っていたと思う。
だから、実際、なりたくないと思っていた自分になってしまったんだとしたら、そうあってほしくないと思っていた過去もあったはずだから、その自分をちゃんと覚えておいてほしい。
本来、そうありたいと思っていた自分は、過去のある一点にいたはずだから。
直線的に続かなくても、本来、ほしいと思っていた未来がその先にあるかもしれないから、どうか忘れないでほしい。
希望を話した自分の声を。
あなたがあなただからこそ、できることがあるように、連続する自分がそこにいたからこそ、できることがあったはずだから。
どうか、このことだけは覚えておいてほしい。
本来、そうあってほしいと望んだ自分だけは、とっておきの自分だと思うから。
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