小学生の頃、お父さんやお母さん、お兄ちゃんが簡単だと言った問題が私には分からなかった。
漢字など、覚えればすむテストは好きだった。
覚えていたら簡単に点数がもらえるから。
日本の学校は勉強でできない部分があっても学年があがる。
私は本当にこれで良いのか?と不安になってた。
できないことをできないままにしていて本当に良いのか?
その先を進むことが本当にできるのか?
なんて危機感を持ってた。
でも、結局、学年があがればあがるほど、今、しなくちゃいけないことに追われて、過去にできなかったその問題を放置してた。
人生ってうまいもので、小さい頃から大人になっても、同じ問題にぶち当たる。
過去のあの時にできなかった問題が永遠と繰り返される。
まだ解けないのか?
どうして解けないんだ?
なぜ、解こうとしないんだ?
心の中の誰かが自分を責める。
困ったなって何度も何度も思ったそれが今じゃ、当たり前となって、そんなこともあるよなに変わって本当に大切なものを見失わせる。
できることってなんだったっけ?
できないことってなんだったっけ?
今できること、できないことを分けてどうするんだ?
どうしたいんだ?
臆病なそいつは、その答えを知っているのに、言えない何かに手で口を塞がれている。
その両手の元をたどれば、誰かに嫌われないように、本当のことを言わないようにしている自分だった。
人によって態度を変えてはいけません。ってじゃあ、聞くけど、お父さんやお母さん、大切な人たちに対して、いつも本音を隠しながら生きていかなければいけないの?
それが本当の生き方なの?
好きな部分も嫌いな部分も含めて本当が分かるんじゃないのか?
嫌な思いもするし、苦い思いだって、耐え難い試練だってある。
でも、逆に良い思いもするし、納得できる何かに出会えたりもする。
もうダメだ、おしまいだってこともあれば、なんとか今もやれている何かがあるから、今日もあるんだ。
できなかったことができるようになれたのは、今まで10のうち0だったものが、意識して行動して間違いじゃない行動を作り上げてきたから。
100まで細分化した項目をすべて○にしたとき、そのたった何秒かの隙間に1ができあがる。
できたことの延長線上にしかこれからできることは存在しない。
つまり、成功っていうのはありとあらゆる要素を詰め込んだたった1つのものでしかないんだと思う。
できないことって言うのは、まだできていることが少ないってことの言い換えだ。
だから、ほんの少しの微妙な変化も見逃さないように、自分が本当にできそうでできなさそうな無理なことをやってみて、○なのか×なのか△なのかで判断するしかない。
そのほんの少しの○の集積が未来を創っていくと思う。
だから、1秒も無駄にしてはいけない。
つまり、できることっていうのは、これから先の自分の未来を創っていく要素なんだ。
結局、それが自分の味方になっていく。
だったら、仲間増やして敵だったそれも仲間にしちゃえば、良い。
嫌いだと決めつけた過去よりも好きになれるかもしれないと思った気持ちをどうかなくさないでいてほしいな。
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