今日は、ずっと前から約束していたから実家に帰った。
そして、小説を読みながら兄の帰りを待つ。
大きなゴミを出さなくちゃいけないから。
それで、気付きたくなかったけど気付いてしまったことがある。
それは、お父さんが私ら子供を一生懸命育てて守ってきたこと。
仕事をして、家を建て、家族を養った。
職場の人に悪口を言われ、我慢して、子供に八つ当たりするときもあったけれど、その身一つで途中からだけど、一人で育てた。
不安があっただろう。どうして良いのか分からなかっただろう。こわくてどうしようもないときもあっただろう。
そんな風に父を客観視すると涙が出てくる。
暴言、暴力がなかったとは言えない。でも、それだけこの人が抱えた思いは大きくて、どうしようもなかったんだ。
どうしようもないことを抱えまくって頭もおかしくなって、病気になって、生きてる。
一生懸命。
仕事をして、家族を養うってことがどれだけ大きいことか、自立して初めてその怖さに触れて、死にたいといなくなりたいと思うときだってある。
うまくいかなくて、もうダメだと、助けてと言えたらどんなけ楽かって思ったこともあった。
けど、自分だけの気持ちで生きているわけじゃない。誰かが支えてくれたから、頑張れって言って励ましてくれたから、動ける。
頭が痛い?しんどい?苦しい?
当たり前だよ、成長しているんだったら、痛いに決まってる。
体が成長するとき、痛くて仕方なかっただろう。歯が抜けるとき、何度も何度もじわじわと痛みを感じただろう。
あのときと同じものを今ひしひしと感じている。
なんで、こんなことを思ったのかって言うと、実家の壁を見て、そう思った。
お父さんの行動の集積が家になり、土地になり、私たち兄妹になったんだ。
確信してしまった。
自分が今も生きているのは自分自身の強さももちろんあったと思う。けど、その前にそうなるように仕向けてくれた親がいてくれたから。
社会で認められるような行いを今までやってきてくれたから。
愛されてないなんて言ったら、今まで私を無条件に支えてくれた親たちに申し訳ないなって思う。
役割をくれた人、役割を全うできなかったときもあったけど、私は結局、誰かの一部であり、誰かもまた私の一部なんだと思った。
どういうことかって言うと、ものを作ってくれた人がいたから、それが存在する。
それが存在してくれたから、私はそれを利用して寒い思いをしなくてすんだ。
空腹にならずにすんだ。
ものを運ぶにしてもそうだし、靴をはくのもそう。
誰かここにはいない誰かがそれを作ってくれたから、ここにある。
そう考えると、生きているのがすごく楽しくなる。
この世にあるものは、人間が自然からあるものを使って作ってくれたものだから。
守られまくってんじゃん。
愛されまくってんじゃん。
物が多ければ多いほど良いってわけじゃないけど、それがあることじたい、本当は奇跡のようなものだと思う。
服なんて作れないし、靴下だって靴だって、家だって作れない。
私がただできるのは、歩くことや教えてもらったことだけなんだ。
そう考えるとみんな同じじゃんか。条件は。
はやい、遅いはあるにせよ、みんな結局誰かのために仕事をしているんだから、いなくなって良いはずなんてないんだよ。
誰かがそれで困るんだから。
仕事をしていることじたい、誰かの役に立ってる。需要があるから自分がそれをするんだ。それをする人がいないんだったら、やるしかないでしょ。
みんながほしがっているものを作れば良いだけなんだから。
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