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実家付近を散策して気付いたこと

職場に手土産でも持って行こうと思って家を出た。
初めの20分ほどは歩くのが楽しかったのだけど、目的地である店になかなか着かない。

だんだんいらいらしてきた。
日が落ちると、嫌なことを思い出す癖が私にはある。さらに、お月様も観てしまった。
嫌な夜だ。

だって、お月様を見ると昔のさみしかった思いがこみ上げてきて泣きたくなる。何もしてないのに。何もないのに。

それでも、今日まで私を支えてくれたものは、言葉だと思う。

お母さんならきっとこうする。お父さんなら我慢する。お兄ちゃんは感じないくらい鈍感だから、まあ良い。

そんな風にして日々の何かを乗り越える。


まあ、そんな憂鬱さはほっといて、実家に帰って何が嬉しかったかと言うと、小さい頃食べたパン屋がまだ残っていたこと。

お母さんがあのパン買ってくれたんだよな。
もうないかもしれないけど、いっしょに歩いたその道がまだあって嬉しかった。


なくなってなくならないものが確かにあること。それがすごくあたたかかった。


この街はたくさんの人の鼓動で生きているんだ。

自転車に乗る大声を出した子供。犬の散歩をするおねえさん。塾に今から向かうバス。それに乗った寝る子供、不機嫌な子供。消防署で消防車を整備する人。公園で遊ぶ子供たち。部活から帰る中学生。

そんな人たちでいっぱいだ。

当たり前のことなのに、なんだかこんなことを知れる喜びで、心が張り裂けそうになった。

色んな人の人生があって色んな人達が出会い別れを繰り返す。

血と肉と意思で、自分を動かし、それぞれとっておきの家庭を築く。

当たり前のことのように思えることがたくさんあるけど、何一つかけても今日という日はできない。

そんな時間が私にとってはかけがえないんだ。


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昨日、兄と寝る前に話したこと

昨日、兄と久しぶりに話をした。

お父さんの進化の過程や兄が今まで苦労してきたこと、できなかったことなど話題はさまざまだ。

まあ、色々話はとぶけど、書き記しておこうと思う。

っで、じゃあ、まずは父の進化の過程から。

父はウインナーが大好きだ。
一人で調理できる唯一の食品。
初めは、フライパンに油をひいて、炒めていたんだ。

そして、同じことを繰り返していると、油がなくなった。
どうしたか。




茹で始めた。笑



そして、茹で始めてしばらく経ったら、今度は、それを○○に入れ始めた。笑


○○とはおでんだ。


人の脳は進化する。


これが、我が家の伝説となった。



まあ、こんな話があったり、今度は、兄の会社の話をしてくれた。



兄は、普段、昼食はマクドナルドらしい。それを同僚にからかわれていたんだが、今日はたまたま、そばだった。

しかも、とろろそば。笑


同僚に「また、マクドやろ」


兄「いや、違います、今日は、ヘルシーなとろろそばです。ヘルシーです!」


同僚「まさか、天かす入れたんとちゃうやろな?」

兄「・・・・・」


「入れました」笑


ヘルシーって強調したのに。笑



それから、昔の話になった。

兄の中学校のときの話。

私と兄は同じ中学だった。まあどこにでもある中学。

いや、違うか。

ダルビッシュ有の出身中学校だったし。


まあ、兄が中学一年のころの吹奏楽部はコンクールに出ていなかった。

中学二年になってようやく、出だした。

結果、銀だった。

兄の上の世代は、兄が言うに、かなりうまかったらしい。

ハイベーとか簡単に出てたらしいし。

そんで、兄の後輩が入ってきた。
その人が私が一年生のときの部長だ。

兄は、25万のトランペットを吹いていたらしいけど、万年サードだった。

俺の下手さ、これで分かったやろ?って言われた。

それで、兄が三年生のときのコンクールの結果も銀だった。

それから、私が入学して、銀、金、金からの府大会っていう結果になった。


お前らの時代の吹奏楽部がうまかったんじゃなくて、周りの相対レベルが一気に下がったから、府大会に行けたんや!って兄には言われた。笑


そうかもしれないって思った。笑


ただ、あの当時、本気で練習した曲は、今聴いても懐かしいって思うし、何か月か練習すればできるなって思う瞬間はある。

あいまいなことじゃなくて、実際、指をこう動かして、ああ動かして、息や口のかたち、姿勢、気持ち、そういうものすべてを表現できる気がするときがある。


なんていうか、私じゃない私が、表に出てくる感じ。


それをやっているときは、きっと楽しいし、面白いし、わくわくするんだろうなって思える。


だから、またやりたい。

何十年か先で良い。

だから、一気にじゃなくて、ほんの少しずつ頑張っていこうと思う。

兄の同級生で漫画家になった人みたいに。

見えない何かを大切に


私の祖父は、電車の運転手だった。私の父は、転職を繰り返した後、公務員になった。母は、銀行員で、兄はサラリーマン。

私は、転職をしながら、今は飲食店の従業員でおさまっている。


けど、今まで出会ってきた人で、仲良くなった人たちの共通点がたった一つある。

それは、天皇だった。

日本最古の家族。

天皇は神であると戦前は言われていた。

けど、第二次大戦後、アメリカからマッカーサーが来て、日本を変えていった。

社会人になって、いろいろな人たちに出会えば、出会うほど、闇があることを知る。

沖縄の普天間基地移設問題もただのニュースだと思っていたが、現地に住む人々の話を聞けば、強姦、暴力、殺人、などあらゆる問題がそこにはある。


明治時代、尊皇攘夷運動を成し遂げようとした志士たちの気持ちがようやく理解できる。


天皇を一つとして、日本の独立を考えた吉田松陰。

吉田松陰の開いた松下村塾。その門下生たち。高杉晋作や久坂玄瑞などの維新たち。


幕府を倒せと吉田松陰は考えていた。だって、いきなりペリーが来て、日本に開国をせまり、それに応じなければ、武力で支配すると言ってきて、幕府は、それに応じようとしたから。

それではダメだと吉田松陰は考えて、いろいろ行動する。


ペリーが日米和親条約を結んでしまい、その当時、日本国から出ることを幕府が禁じていたから、吉田松陰が世界を見聞したいという野望はことごとく潰えたが、その心をついだ次世代を育てあげたのだから、彼の生き方には意味があった。


だから、教育者、思想家である吉田松陰が私は大好きなんだ。


自分の命をかけて、日本を変えたいと思った彼の思い、彼の思いを受け取った門下生。

その後、日本の中に西欧の文化が普及したことは言うまでもない。

できることが増えるってどういうこと?

小学生の頃、お父さんやお母さん、お兄ちゃんが簡単だと言った問題が私には分からなかった。

漢字など、覚えればすむテストは好きだった。
覚えていたら簡単に点数がもらえるから。

日本の学校は勉強でできない部分があっても学年があがる。

私は本当にこれで良いのか?と不安になってた。


できないことをできないままにしていて本当に良いのか?

その先を進むことが本当にできるのか?

なんて危機感を持ってた。

でも、結局、学年があがればあがるほど、今、しなくちゃいけないことに追われて、過去にできなかったその問題を放置してた。

人生ってうまいもので、小さい頃から大人になっても、同じ問題にぶち当たる。

過去のあの時にできなかった問題が永遠と繰り返される。

まだ解けないのか?

どうして解けないんだ?

なぜ、解こうとしないんだ?


心の中の誰かが自分を責める。

困ったなって何度も何度も思ったそれが今じゃ、当たり前となって、そんなこともあるよなに変わって本当に大切なものを見失わせる。

できることってなんだったっけ?
できないことってなんだったっけ?

今できること、できないことを分けてどうするんだ?

どうしたいんだ?

臆病なそいつは、その答えを知っているのに、言えない何かに手で口を塞がれている。

その両手の元をたどれば、誰かに嫌われないように、本当のことを言わないようにしている自分だった。

人によって態度を変えてはいけません。ってじゃあ、聞くけど、お父さんやお母さん、大切な人たちに対して、いつも本音を隠しながら生きていかなければいけないの?
それが本当の生き方なの?

好きな部分も嫌いな部分も含めて本当が分かるんじゃないのか?

嫌な思いもするし、苦い思いだって、耐え難い試練だってある。
でも、逆に良い思いもするし、納得できる何かに出会えたりもする。


もうダメだ、おしまいだってこともあれば、なんとか今もやれている何かがあるから、今日もあるんだ。

できなかったことができるようになれたのは、今まで10のうち0だったものが、意識して行動して間違いじゃない行動を作り上げてきたから。
100まで細分化した項目をすべて○にしたとき、そのたった何秒かの隙間に1ができあがる。

できたことの延長線上にしかこれからできることは存在しない。

つまり、成功っていうのはありとあらゆる要素を詰め込んだたった1つのものでしかないんだと思う。

できないことって言うのは、まだできていることが少ないってことの言い換えだ。
だから、ほんの少しの微妙な変化も見逃さないように、自分が本当にできそうでできなさそうな無理なことをやってみて、○なのか×なのか△なのかで判断するしかない。

そのほんの少しの○の集積が未来を創っていくと思う。
だから、1秒も無駄にしてはいけない。


つまり、できることっていうのは、これから先の自分の未来を創っていく要素なんだ。
結局、それが自分の味方になっていく。

だったら、仲間増やして敵だったそれも仲間にしちゃえば、良い。

嫌いだと決めつけた過去よりも好きになれるかもしれないと思った気持ちをどうかなくさないでいてほしいな。

学校、家庭、何を学ぶためにそこにいるの?と問われたら、


あなたはなんて答えますか?


図書館に行った。
そこには、たくさんの本があり、一人一人が考えた言葉が一つを作り、本になっている。
本とは、言葉の集積。違った人生を歩んでいる人が、自分とは違う思考で、人生を作って歩んでいることを人に知らせるためにあるもの。

こんなことがあったら、こんな風になった。だから、あのときの失敗を次はこうしよう。こうしたことが次はこうなった。こうなったから、こうした。その循環で生きている。

だから、思考はこわいんだ。
だって、消えてなくなっているようで、ある条件が整いさえすれば、同じ思考にはまってしまうから。

うまくいかなかったパターンを繰り返し、いつかはダメになる。

もし、うまくいくパターンであれば、いつまで経っても、それは変わらない。


だから、十分、自分の思考に気を付けた方が良い。


人生っていうのは、同じ思考を繰り返した連続でできてくるものだから。



教科書の中に太字があるけど、あんな感じ。


たくさん言葉あるのに、そこだけ強調されて、浮き彫りになる。


それが結果としてあらわれる。


あらわれやすくなる。


それをしないためにも、文化があるんだと思う。


昔、生きていた人が考えていたこと。
今よりずっと酷い環境の中に身を置いていた人たちがどう思考して、どう行動して、それが今とどうつながっているのか。

歴史は繰り返されるって言うけど、ものの本質はいつまで経っても変わらない。そういう変わらないものをずっと探してきたんだと思うし、探し続けているんだと思う。


人によって違うって言ったら、それまでだから。それ以上発展なんてしないし。



だから、おそらく、学校や家庭があるのは、文化を学ぶため。


生まれ育った環境も違えば、教育だって違う。体だって思考だって違うのにどうやってお互いを尊重しながら生きるんだ?


知らなきゃいけないことを知らずして、なぜ、思いやりが持てるんだ?


どれだけの思いをして、それをしているのか、もっと考えた方が良い。


体感した人にしか分からないことがあるように、それを経験せずして、ものを言うのはおかしい。

だから、短い人生の中で、学ぶんなら本が良い。

何かあるってことは、すべて自分がそうしているんだから、そうなっている。くらいに思っていれば、全部自分が悪いって思える。望まない結果を生み出した自分に責任があるってことに気付けるから。

みんな、自分の思考にとらわれて、他人のことを考えない。


相手にも言い分がある。いつ、三行半を突きつけられるのかも分からないのに、自分の思考が大切だから、それを一方的に押し付ける。

だから、他者意識が足りないって言われる。あいつは、自己中だって言われる。嫌われる。


相手にも自分の名前を書いた離婚届けを渡していると想像できれば、他者意識だって嫌でもわくだろう。

自分だけの思考にとらわれていることも分かる。


離れ離れになるっていうのはそういうこと。


知らず知らずして相手の嫌がることをしてしまっているから、そうなる。

ただそれだけを知っていれば良いと思うし、知るのと知らないのとでは雲泥の差が時間とともに開くんだろうな。

誰も教えてくれないから、自分で探し続けるしかない。

納得のいく理論っていうのは、自分の中にあるはずだから。


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