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小説を選んでからの色々

今日、久しぶりに図書館に行った。

読みたい本があるかどうか探すために。


まず、検索をしたら、あるっちゃある。

さて、どこにあるのかな?なんて思いながら、探してみると、目当てだったものが見つからず、他の本ならあった。


語彙力が少ないから難しい本は眠たくなって読めない。さあ、今の自分に合った本はどこにある?って探してたら、目があったような気がした。


風林火山



NHKでやっていなかったっけ?気になって手に取った。


何の知識もないまま、とりあえず。


昔の歴史小説。



でも、頭の中で登場人物が動くような気がして、それを追いかけて読み進めていくうちに、お腹が空いた。


あっ!もうこんな時間だ。



おやつを作って食べたり、好きな漫画のアニメを久しぶりに見たりした。


それから、ある動画を観て驚いたことがある。


こわい話になるかもしれない。


半年前に姿見を買った。

布もかけないままで使ってた。


そしたら、嫌な気持ちが溢れ出て、嫌なことを思い出してた。


なんとか明日を繋いで生きてはいるけど、ギリギリだなって思った。いつ燃料が切れてもおかしくない。

でも、逃げる訳にはいかないから、なんとかその日一日を乗り越えようとやってきた。


そういうとき、どういう訳か、部屋の電気が消えそうになる。

バチって言っていたんだ。


それが、姿見に布をすると、なくなった。



ああ、そうか、覗き込まれていたんだ。


変な気持ちになったのは、おそらく、鏡に映った自分の念がそうさせたんだと思った。



それから、気持ちが荒れ狂うこともなく、穏やかには来ているものの、昨日、自分の中に溜まった膿のようなものをようやく吐き出せたんだと思った。



だって、面白いことがちょっとずつ起こっているから。


例えば、お金。

本当、今日は惜しかった。


帰り道、桜餅が急に食べたくなって、コンビニに行ったが売り切れ。

あそこにあるであろうと予測を踏んでまたもう一軒近くの菓子屋さんへ。

そこで、適当に選んで、ポイントを全部使ったら、71円
財布の小銭入れにあるのは、170円

100円出す

店員
端数はよろしいですか?


170円しかないんで


笑い



面白かった
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満月

一昨日から調子を崩してて、いつもだったら、ご飯も自分で作るのに、なぜか、そんな気分にはなれなくて、すぐに食べられるものばかりを買っていた。

しかも、全部、甘いもの


これはおかしい。節約しよって思いながら、生きてんのに、自分のルールを無視する自分がいた。


それで、思考を確認してみると、今までの嫌なできごとを思い出して、泣いてしまう。


おかしい。


何回、同じような記憶におかされてるんだ?マジで、どうでも良い。って思うのに、泣いてしまう自分がいた。



それで、どうして、今になって思い出すのか。



。だんたんか
       ←


昔から、満月が近づくとおかしくなるんだったって思った。



ルナティックって英単語を昔、学んだ。



狂気、常軌を逸する。




私は、オオカミ男か!笑



って冗談にも思えるような本当のことがそこにはあった。




それで、やっぱり、おかしなことは言うもので、普段、聞かないようなことを聞いてしまった。


それは、何か人生にとって転機があると、誰かがなくなったり、不幸になったりする話。



結婚したり、出産したりすると、その分の負があるもので、親戚のおじいさんやおばあさんが亡くなったりするって聞いた。



だから、仕事先の既婚者に聞いたら、とりあえず、二人とも、そうだった。



正があれば、負がある。バランス取ってんだなーって思った。




なんか、それ思うと、自分が生きているのも当たり前なんかじゃなくて、死んだ人たちが生きたかった今日を明日を命を繋いで生きてんだなって思った。



だから、実は、知らず知らずのうちに、誰かの場所を奪っていて、そして、そのうち、また誰かに奪われるんだなって思った。


そしたら、なんか、もう、そっかって思える。

体と心とお月さま 行動の変容

昨日、初めて、自分の家で作ったサンドイッチを同僚に振る舞った。


そのパンは元々余りものだったから、何か加工できないものか?と電車の中で考えて、閃いた。


それで、帰りにスーパーに寄って、次の日の朝に作って持って行った。


おいしくなかったらどうしようとか、考えたけど、食べてみたら、それなりにおいしいって思えて、それで、自分以外の誰かにそれを食べてもらって、おいしいって言ってもらえたから、普通に嬉しかった。



それで、また話は別で、兄が最近、コーヒーづくりにはまっていて、何か牛乳を使って、アートをしてる。


ハートを描いたりしている。


腹が立つのが、私の兄はかっこよくないが、センスはある。


その顔でその部屋を作るとはなかなかだなって私も思う。


隠家みたいに兄の部屋は良いものでそろっている。



っで、なんとなく思うんだが、うちカフェみたいなんできたらきっと面白いなとか思う。


私はサンドイッチ作れるし。



兄はコーヒーが作れる。





まあ、そんなことを考えてみたりしていた。




それで、そもそも、こういうことが起こるって結構奇跡だなって思う。


有名なパン屋さんで、初めはレジで雇われていたのに、そのうち、サンドイッチ作りに配属されて、そこで、社長の奥さんに出会い、色々教えを請い、野菜を切るスピードも上がったし、色々できることが増えて行った。


そして、また採用された店で、別の人とサンドイッチを作る。


手作りのソースの炊き方を教えてもらったりと学べることがあって本当に楽しい。



おそらく、大阪にいたら、こんな経験できなくて、新しい学びもなかっただろう。


母親がいない分、料理を学ぶ機会がなかったから、いやいや飲食店で働いていたけど、でも、そのおかげで、今の自分がいる。



人って変わるのが、本当に嫌で、できれば、そのままの状態でいたいと思う。



でも、それじゃあ、何か足りない人間になっているような気がする。

毎日、同じことをやり続ける精神は立派だし、上達もするだろう。初めはすっごい嫌だったことでも。


でも、変えなきゃいけないことを変えないでいることのおそれみたいなものも持っていた方が良い。



いつか絶対変わらなきゃいけない時期が出てくるから。

押してダメなら引いてみな

知人の娘さんがもうすぐ出産をする。

お腹が大きくなってた。


前々から話は聞いていたから、挨拶だけして去った。

それで、その人の影響か色々調べている自分がいることに気付いた。


赤ちゃんって知らないし、自分より下の世代との関わりもほぼない。


どの集団に入ってもだいたい自分が一番年下なんだ。


親戚の中でもそうだし、家族の中でもそう、職場でもそう。


だから、関わり合い方が分からないんだ。


甘やかしたり、怒鳴ったりするってどういうこと?って。

そこまで相手に期待なんてしないし、できる範囲のことを精一杯やったら、そんで良いやん!って思うから。


誰かに任せたり、頼ったりしたら、痛い目見るのは自分の方だってずっと思ってる。


だから、初めから信用しすぎない。

いくらでも言い訳できるから。

逃げる人はとことん逃げるし。


っで、そういう風に生きてたら、結局最後は自分でやらなかったことをやらなきゃいけないようになるし、状況はますます悪化する。


それで、ついには、自分の好きな人も自分のせいで死ぬことになるから、できれば、誰かがしている仕事も自分の仕事だと思っていた方が良い。


そしたら、感謝も生まれるし、誰かにありがとうって言いたくなるようになるから。


あいつがやってくんないって言うけど、あなたは全部やったんですか?って言いたくなるんだよ。擦り切れるくらいやったんか?って。



そういう風に誰かに甘えていると結局は、自分の大切な人を失う原因になるから、じゃあ、自分で全部やれば良いって思う。


でも、それだけじゃ足りなくなるから、どうしても誰かの力を借りざるを得ないようになって、頭を下げたり、その分の対価を渡さなくちゃいけなくなる。


結局は、自分一人でできることは限られているって思う。


でも、諦めちゃいけないんだと思う。


挫けそうになって、諦めて、ありのままの自分で良いって言葉に慰められても、現状は変わらないんだ。


一つ言っとくけど、ありのままじゃ、一生同じことが続くよ?


それでも良いの?って思う。



んなの、ダメに決まってる。


どっかで乗り越えないと、同じことになる。


だから、また復活して、やるしかないんだって思う。


生きてみて、時間が経って分かったのは、初めてのことも何度も何度も繰り返せば物になるってこと。

やっているうちにうまくなる時期と停滞する時期と怪我する時期と回復する時期とまたちょっとトラウマに襲われてやりたくないって思う時期があるけど、全部必要な過程だと思うんだ。


誰でも大きなことは言える。

一日や二日は頑張れる。でも、それを一年や二年続けることは、難しいんだ。
いろんな問題が起こるから。


同じなんかじゃない。


だから、その最低な条件の中でいかに、戦略を立ててやれるかが問題になってくる。



いくらでも逃げられるような問題は起こる。自分の思うようには自分であってもならない。それでも、あなたはやりたいと思いますか?ってことなんだと思う。


うまくいかない時期があって普通だし、それを通り過ぎれば天国になる。


だから、押し続けてダメなら引いてみなってことに繋がる。

いくら追い込んで練習しても伸びない時期は絶対ある。

でも、そこでやめるんじゃなくて、それでもどうなるか分からない未来を今ある問題に集中して取り組めるのかってところがカギなんだと思う。


少し時間あけてみて、主観的にどう思うのか?


やりたいならやれば良いし、やりたくないならやらなければ良い。選択肢はいくらでも転がっていて、それを選ばなかったのは自分だし、それを選んだのも自分なんだよな。

だから、誰かのせいになんかできるわけないんだよ。


自分がそうしたいって望んだんだから。


努力してても、どうにもならないことにもあうし、努力しなかったからこそ、どうにもならなくなったこともある。


でも、それがどちらかなんて分からない。

だから、試してみてどうか。


考えてみてどうか。


やってみてどうか。


分かんないんだよ、たった一つのチャンスを見逃したからそうなったのか、そもそもがそうなる予定のことだったのかなんて。



順調に行き過ぎているほど、こわいものはなくて、どっかでつまずくって思ってた方が絶対良い。


ビビらなくなったらちょっと危ないって思う。舐めてかかるから、うまくいかない。


だったら、本気を出してみて、自分のレベルを知ったら良い。

ベストが出せる時期と出せない時期があるけど。


でも、だいたい、やっていればそれなりの結果は出る。


今までやってきたことがそう裏付けているように思う。


兄は一つ一つ丁寧に課題をクリアするタイプだったけど、私は飛び込んでみて、どうにかなるタイプだって思う。

もちろん、段階を踏めばジタバタすることもないんだろうけど、結果は同じだった。


兄は一つのことを突き詰めてやるタイプ。
私はマルチなタイプ。


だから、専門家である兄に助けられることも多いが、個々の能力だけなら、秀でる部分もある。


浅く広くが私で、深く狭くが兄だ。


昔、どうにか深く広くできる方法はないか?と考えたけど、やっぱり、できない。どっかで支障をきたす。

やってみたら、その分、寿命がすり減って、生きたいなんて思うようにはならない。

だって、プロのピアニストが全部の楽器を同じようにプロ並みに演奏するなんてことできないのと同じだから。


それぞれ持ち場があって、それぞれに役割がある。


その歯車が回って世界ができる。

誰かがやらなくなった仕事のせいで、被害を被る人もいる。


亡くなる人だって出てくる。


だから、自分の持ち場を懸命に守ること。それが社会を少しでも良くする方法の一つだと思う。


それがどんな仕事なのかなんて分からないけど、本気でやってみれば良い。一日で根をあげるから。

そのうち怪我して、バカバカしくなるけど、決して一生懸命に頑張ろうと思った自分、バカにしないでほしい。うまくいかないことを通過しない限り、うまくいくってことがどんなことなのかなんて分からないから。

押してダメなら引いてみな。

法則

この前、林修の生きざま大辞典を観て、ある知恵を得た。



それは、タイトルにある通り、演繹と帰納を繰り返し、人を動かしたある監督のお話。


人って尊敬できる人から指示や注意をされると自分が悪かったなとか、この人の言うことをちゃんと聞こうって思う。

でも、尊敬できない人からの指示や注意って、お前の言うこと、なんで聞かなきゃいけないんだ?って絶対どっかで思ってる。


だから、その気持ちがあると、どうしても、いざこざが起きる。


お前の言うことなんて聞いてやるか!って。


それで、ダメになることが多々ある。

反面教師


理想像とは反対の像

っで、じゃあ、どうしたら、言うことを聞くのか?って言ったら、尊敬できる部分を見てもらうことだと思う。

見られる方はかなり神経すり減らして、へとへとになるけど、見る方の神経なんてあってないようなもの。


ただこんなことやってんなあくらい。


でも、プライドが高い子供は、初めから、お前の言うことなんて聞いてやるか!って思っているから、その子供が尊敬できる大人になるしかない。いくら怒鳴っても、殴っても、結局は、恨みの念に変わるから、偉そうにしても無駄で、あえて、その子供ができないようなことをする。それしかない。




でも、本当にバカな子供は、プライドを捨てきれなくて、いくら負けてても、負けだと認められない。自分ほど素晴らしい人間がこんなクズに負けるはずないって思ってるから、その負けから、得られる大切なことに気付けずにいる。

そのことが何より、惜しいって思う。


だから、素直さは宝なんだなって思う。



じゃあ、そういう子供には、どう接したら良いのか?




転ばせるしかないと思う。




人の言うことをちゃんと聞かないから、事故に遭う。だったら、一人でなんでもやってみたら良いと思う。




人が本当に自分を変えたいって思うのは、奈落の底に落ちたとき。


誰か大切な人が死んだり、いじめに遭ったり、自分が誰からも相手にされないときに初めて、自分が悪かったなってきっと思う。



もし、本当にプライドが高いんなら、人から学べるはずなんだ。なぜなら、自分は素晴らしい人間なんだから、これくらいのことはできる。この人のマネくらいできる。


だから、余裕でいられる。




でも、本当のプライドを持っていないのなら、人は人を攻撃したくなる。


それはおそらく劣等感なんだろう。こんな奴の言うことを聞いてたまるかって、誰かに点数つけてる。


自分も誰かに点数つけられていることにストレスを感じながら。



自分の弱さと真剣に向き合ったとき、本当の自分の声に耳を傾けてあげれば良い。自分の中に本当のことがあるから。


バカでどうしようもなくて、グズで泣き虫で、何にもできない自分が本来持っていたものを出せば良い。


変わりたいって思わせるような絶望的なことに出会わない限り、変わらないと思う。



表面的に変えることはできても、浸透させるには、それなりのことが必要になってくる。



それだけは経験上言える。





っで、じゃあ、他の戦略は、どう立てれば良い?って話だけど、情報を集めるしかない。



勝つ戦略ってきっとある。でも、それって、どうしたら分かるのか?って言うと、きっと勝つ要因を膨大な読書量で、探し出すしかない。


それなしにその勝利はありえない。


勝ち試合にはきっと何か共通点がある。どんなメンバーで、どういうコミュニケーションを取ったとか、些細な事も含めて、全部、必然的に起こるようになっていると思う。



ここ最近、あることを考えるようになった。


それは、受験



これ、全部、演繹と帰納だなって。



ある共通点がある。それを法則化することを帰納するという。

ある法則がある。そこから、結論を出すことを演繹するという。



例えば、A型だから、几帳面で、O型だから、おおらか、AB型だから、変わり者、B型はマイペース
これは、ある法則から一つの結論を出しているので、演繹法


A型の人を1万人くらい調べて、その共通点が、几帳面だったという法則をたてることを、帰納するという。




ということは、つまり受験はすべて帰納法と結論付けられる。



ある法則から一つの結論を導き出すのだから。



人の動かし方っていうのは、おそらく、その人が独自に作ってきた方法があると思う。

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