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アニメから学ぶ主人公たちの共通点から導き出した今後の視点

今まで観てきたアニメをちょっと暇つぶしに抽象化してみる。

ワンピース→ルフィ
NARUTO→ナルト
幽遊白書→浦飯幽助
名探偵コナン→コナン


とりあえず、この四作品について、考えてみる。

すべての主人公に共通しているのは、お父さんや祖先が世間を騒がせるような存在だ。

誰の影響を一番に受けているんだろう?って観てたら、まず、ルフィは小さい頃の兄の存在から海賊になりたいって言っていたし、ナルトもそう。学校に行って、同級生みんなを見返してやるって言ってた。

浦飯幽助は断固として親の言うことや上の言うことを聞きたくないって意地っ張りな性格だけど、幼馴染のけいこには、心を開いてた。
コナンはもともとお父さんが、作家でお母さんが女優だから、ボキャブラリーも豊富で本に囲まれながら育った。本の中で出会った人に影響を受けているんだと思う。アガサクリスティーシリーズが出てきていたし。


ってことで、結局、幼いころからの周りの影響が後の人生に大きく作用していることが分かる。


もちろん、まだ完結していない物語もあるけど、話の主旨は、すべてこれをするためって目的がある。

ルフィなら海賊王に。
ナルトなら火影に。
幽助なら魔界のトップに。
コナンなら黒の組織を追い詰めるために。


みんな何かのために必死で戦ってる。
だから面白いんだろうな。
対立関係があって、仲間になったり、裏切ったり、戦ったり。


結局、自分の強さっていうのは、誰かがいないとはかれない。
基準としてそれがあるんだ。

強さの基準みたいなものが。

ということはつまり、物語を作るには、敵を知らないといけないってことだ。
これは人生にも当てはまることで、相手を知らずに戦うことはできない。
だから、敵を知り、己を知れば、百戦危うからずって言うんだろうな。


それで、これを知った後、私は、社会と戦うしかないんだろうなって思った。どうしようもない自分をどうにかしなくちゃ、敵に支配される一方で、その支配者に都合の良いように踊らされるだけだ。

だったら、できるかどうか分かんないけど、自分ができること全部使ってやるしかない。


これはみんなにも言えるんだろうな。


もし倒すことができれば、仲間にすることもできるし、従属させることもできるんだろう。


だったら、一刻も早く自分を良くした方が、今後のためになるんだろう。

あー、やるしかないんやな。めんどくせーけど。
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実家に帰って気付いてしまったこと


今日は、ずっと前から約束していたから実家に帰った。

そして、小説を読みながら兄の帰りを待つ。
大きなゴミを出さなくちゃいけないから。

それで、気付きたくなかったけど気付いてしまったことがある。

それは、お父さんが私ら子供を一生懸命育てて守ってきたこと。

仕事をして、家を建て、家族を養った。
職場の人に悪口を言われ、我慢して、子供に八つ当たりするときもあったけれど、その身一つで途中からだけど、一人で育てた。

不安があっただろう。どうして良いのか分からなかっただろう。こわくてどうしようもないときもあっただろう。

そんな風に父を客観視すると涙が出てくる。

暴言、暴力がなかったとは言えない。でも、それだけこの人が抱えた思いは大きくて、どうしようもなかったんだ。

どうしようもないことを抱えまくって頭もおかしくなって、病気になって、生きてる。

一生懸命。


仕事をして、家族を養うってことがどれだけ大きいことか、自立して初めてその怖さに触れて、死にたいといなくなりたいと思うときだってある。

うまくいかなくて、もうダメだと、助けてと言えたらどんなけ楽かって思ったこともあった。

けど、自分だけの気持ちで生きているわけじゃない。誰かが支えてくれたから、頑張れって言って励ましてくれたから、動ける。

頭が痛い?しんどい?苦しい?


当たり前だよ、成長しているんだったら、痛いに決まってる。

体が成長するとき、痛くて仕方なかっただろう。歯が抜けるとき、何度も何度もじわじわと痛みを感じただろう。

あのときと同じものを今ひしひしと感じている。

なんで、こんなことを思ったのかって言うと、実家の壁を見て、そう思った。


お父さんの行動の集積が家になり、土地になり、私たち兄妹になったんだ。

確信してしまった。

自分が今も生きているのは自分自身の強さももちろんあったと思う。けど、その前にそうなるように仕向けてくれた親がいてくれたから。

社会で認められるような行いを今までやってきてくれたから。


愛されてないなんて言ったら、今まで私を無条件に支えてくれた親たちに申し訳ないなって思う。


役割をくれた人、役割を全うできなかったときもあったけど、私は結局、誰かの一部であり、誰かもまた私の一部なんだと思った。

どういうことかって言うと、ものを作ってくれた人がいたから、それが存在する。

それが存在してくれたから、私はそれを利用して寒い思いをしなくてすんだ。
空腹にならずにすんだ。
ものを運ぶにしてもそうだし、靴をはくのもそう。
誰かここにはいない誰かがそれを作ってくれたから、ここにある。

そう考えると、生きているのがすごく楽しくなる。
この世にあるものは、人間が自然からあるものを使って作ってくれたものだから。


守られまくってんじゃん。
愛されまくってんじゃん。

物が多ければ多いほど良いってわけじゃないけど、それがあることじたい、本当は奇跡のようなものだと思う。


服なんて作れないし、靴下だって靴だって、家だって作れない。

私がただできるのは、歩くことや教えてもらったことだけなんだ。

そう考えるとみんな同じじゃんか。条件は。

はやい、遅いはあるにせよ、みんな結局誰かのために仕事をしているんだから、いなくなって良いはずなんてないんだよ。

誰かがそれで困るんだから。

仕事をしていることじたい、誰かの役に立ってる。需要があるから自分がそれをするんだ。それをする人がいないんだったら、やるしかないでしょ。

みんながほしがっているものを作れば良いだけなんだから。

未来って今の努力の総量で決まっているのかなって思った

最近、一番、驚いたことを少し記事にする。

兄の同級生の名前をたまたまネットで調べたら、えらいことになってた。

まあ、結論から言うと、漫画家。

その弟は、地元で教員してて、私も一瞬、同じ空間にいたことはあった。

ちなみに、弟くんは私とも同級生です。

そんで、兄ちゃんがどうせ同性同名やろーって言ってたけど、漫画の内容をさらっと読み流したら、まさに羽曳野市のダルビッシュ有が主人公になっているようだった。
さらに、弟が教員しているから、その話も混ぜ込んである。


偶然じゃないんだなって思った。


確信を持つことってそんなにないのに、これだけは少し、確信を持てた。

ちなみにその漫画のタイトルはFULL SWING
興味のある方は少し、調べてみてくだせー笑

見えなかったこと、言えなかったことをかたちに

昨日、過去を思い出して、号泣した。

さみしさっていうのは、無意識のうちにたまっていくもので、皮膚感覚からそれがうまれてくるのか分からないけど、一定の周期で良いから、出さないと過去が終わらない気がする。

朝、起きた時は、最悪だった。

目は腫れぼったいし、体は動かないし、気持ち悪くて吐きそうだし。

けど、そういうときは、そのままにしておくんじゃなくて、頭痛薬飲んだり、ストレッチして肩の凝りをとったりする。

それで、思考を整理する。

私がしたかったことは何?今日はどこに行って何をする?自分に何ができる?

そういうことを確認していく。

自転車に乗って、星空を見ながら。


その前に、家でこんなことを考えてた。


昨日、俯瞰する頭の使い方を学んだ。

どういうことかって言ったら、自分だけの考えにとらわれない方法。


頭の中はいつだって自分の思考でいっぱいだけど、この世界のどこかでは、私の好きな人たちが活動している。

その人たちをイメージすると、嫌だったことがそれほど嫌じゃなくなった。


同じ時代を生き、同じ土地で、それぞれの役割を担っていっる。


そのことそれじたいがすごく奇跡だと思う。

なぜかって言ったら、生きていることは当たり前じゃないから。

意識なんてしないけど、みんないずれ死ぬ。

そんなの当たり前なんだ。自然の摂理。

でも、見えなくなったとしても、言えなくなったとしても、メッセージは残ってて、この世は、あるものでしか作られない。って考え方を知っていたら、循環していることに気付く。
私もいずれいなくなるけど、塊ではなくなるだけ。

だから、自分がいなくなる前にやれること、あるんじゃないの?って思って、ただその日を精一杯生きる。

どこかの誰かが同じ時間、泣いているかもしれない。その時間、私は、笑っているかもしれないし、怒っているかもしれない。悲しんでいるかもしれない。

でも、私がいることで、誰かの支えになっているんだとしたら、自分がいなくなって良いはずがないとすら思える。

誰かの続きをするために、今、たくさんのものを集めているのだったら、その無駄だと思える過程にも意味があるんだと思う。


まだ出会っていない人、これから出会う人、もう出会ってしまって二度と出会わない人、また再会する人、袖振り合うも多生の縁で、この世の中は成り立っている。

だから、無駄だと思うことをやってみると意外にそれが楽しかったり、今、嫌だと思っていることでも、慣れれば好きって思うかもしれないし。


いつどこでどうなって繋がるか分からないから、とりあえず、自分をもっと知ってあげてほしい。あなたを制御できるのもあなただし、あなたを変えるのもあなたなんだから。


今、目の前に困難があっても、もし乗り越えられる要素が整っていたら、乗り越えられるし、もしまだできない状態であれば、乗り越えられない。そういう時期じゃなかったって思えば良いと思う。

桜の木が冬には咲かないように、できる時期になったらできるよういなるから、それまで耐えて。

今、落ち込んでても良いけど、それをなんとかしようとする思考に変えないと、また同じことの繰り返しになるんだから、必死になって、考えてみてほしい。本当にどうしたかったのか、それは自分にしか分からないことだから。

できない言い訳、やらない言い訳、それで良いと本当に納得できますか?

昔の私の考え方を少し書きたい。
私は、後でやれば良いや。明日、やれば良いや。また今度やれば良いやって思う小学生だった。

だから、中学生のころ、部活動も平気で何か言い訳して逃げてしまえば良いって最初は思ってた。

けど、実際、母が亡くなって、変わった。

どうなったのか。

今、しなくちゃ、明日なんかない。今、やらなきゃ、できなきゃ、意味がない。
だから、時間がない、もう明日が迫ってる。時間がない。迷うな、迷ってる場合じゃないだろって自分に言い聞かせて、慣れないことを必死でやってた。

そしたら、いつの間にか、できないことから逃げない自分ができた。
できないからこそやる。やりたくないからこそやるって思い込んで、やってきた時期が確かにある。
新しいものなんて大嫌い。また、できないことの繰り返しだ。
もう嫌だな、逃げたいな。私はどうせ何やってもダメだからって思ってた。


けど、実際、成長していく過程で出会った自分を今、思い出すと、すさまじい葛藤があったから、今があるって思う。

死ぬ思いをしたことがありますか?
もうダメだと思ったことがありますか?
もうこれ以上やっても無駄だと思ったことがありますか?っていろんな人に聞きたい。

そいで、勉強も同じで、バカだと、アホだと思う自分をなんとかしたくて、中学二年のときに数学とか理科で取った点数とか言うと、マジでバカにしてほしいって思う。
一桁も取ったと思う。兄ちゃんに勉強を教えてもらおうと思って、お願いしますって頼んでいざ、教えてもらったら、次、同じこと聞いたらぶん殴るぞって言われて、それから兄に勉強を聞くのを辞めた。

そんで、母がいなくなったから、女の子である以上、通過しないといけない道を無理に通ったと思う。周りがすっごく羨ましかった。母がいることは、女の子にとって大きなことだ。いろんなこと聞けるし、助けてって言えるから。

でも、そこも我慢して通過した。
生まれ変わるのなら、絶対男になってやるって今ですら思う。
だって、そうでしょ?
男の子なら、強くなれると思うし、守りたいものを守れると思うから。


おっと、話が脱線した。
っで、これが、私の青春時代だった。

高校時代も勉強に対するコンプレックスはあった。
たくさん勉強したか?って聞かれたら、そんなに。

中学三年生の方が頑張ったと思う。
だけど、そのおかげか、高校で、久しぶりに満点を取ったこともあった。
数学と英語だけだけど。


だから、できなかった自分を知っているから、できないって思い込んだまま一生を無駄にしてほしくない。

私もクズだと思って頑張った時期があるよ、だから、みんな同じだから、そこから何ができるかやってみようよって思った。

やらない理由、できない言い訳、それをそのままにして生きてた時間が確かにあるのなら、今度は、やれる理由、できる言い訳を見つけてやっていきたいって思う。
その中にしか味わえないものがきっとあるだろうから。

だから、初めてのことはみんなあるから、恐れないで、こわがらないで、やってみて。

それをする前と後では必ず、変化が起こっているから。

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