落語は相変わらず聞いており、CDも大分増えた。そんななかでふと、「現代のお笑いと落語は、どこまでつながりをもっているのだろうか? また『笑い』の構造的な要素とは?」などという疑問が沸いてきた。
普段はあまりお笑い番組など能動的に見る方ではないが、好きな芸人さんとかはそれなりにいる。奥さんは特に『しゃべくり007』が好きなので、これは毎週欠かさず見てる。
『しゃべくり』には出てないが、奥さんの好きな芸人はブラックマヨネーズと麒麟である。そういうわけで、この二組の芸人さんのDVDを借りてみたりした。なかなか面白い。…が、これだけで「お笑いの要素」全般は探求できない。
で、考えた結果、結局『M-1』を見ることにした。『M-1』なら色んな芸人さんの、力を入れて作った漫才が聞ける。大体、麒麟は何年かのM-1を見ていて、あまりにも面白かったのがきっかけだ。
それで2001~2003年までのM-1を借りて見たのだが、非常に面白かった。落語とは無論異なるが、幾つか共通する要素もある。僕はあまり「笑い」を解する方とは言えないが、非常に興味深いものだと思った。体系的な分析は別にして、ランダムに目に付いたものをメモって見た。
・模倣芸(電車の発進音を真似るとか、芸能人の真似にいたるまで)
・変わった動き(普段あまり見られないようなオーバーアクションを取る。耳で聴く落語には不向き)
・進行の妨げ(ある目的に向かって進行しようとしてるのに、あえてその進行を妨げること)
・外部の観点(緊迫してる状況に緊迫感のないシチュエーションを導入したり、おかしな状況に常識からの解説を加える。通常の『ツッコミ』とか)
・本筋とは無関係の、細部へのこだわり(進行とは無関係の、どうでもいい細部にこだわる。『進行の妨げ』とかぶる事アリ)
・言葉遊び(聞き違えとか、あるシチュエーション対して、似てるけれど異なる言葉を持ち込む)
・置き換え(見立て、と言ってもいい。いわゆるモノボケ。ある物品を、全く異なるものに見立てる)
・シチュエーションの間違い(本来の意味コードにそぐわない、シチュエーションを導入する。漫才では非常に一般的な方法論)
・間違いの繰り返し(求められる正解に対して間違うだけでなく、それを繰り返すことによっておかしみを増す)
・失敗(失敗を繰り返すと『間違いの繰り返し』とダブる。それ以外にも、必要なものが不足してる、などのケースがある)
・不謹慎芸・罵倒芸(ある対象をこきおろす。歌とか誰でも知ってる民話・芸能人などが対象になる。またオヤジ・オバサン等の一般的対象者も存在する)
・二重テクスト(一次テクストを披露しておいて、その一次テクストの意味を後から全く異なったものとして反復、再解釈してみせる。かなり高度)
…とりあえず、思いついた限りではこんなもんだったかな。何か、特別な基準をもちこめば、体系として意味づけられるのかもしれない。
吉本にはお笑いの学校があるらしいけど、どういう形でお笑いを分析し、教授しているのだろうか? フランスの哲学者ベルグソンの『笑い』とかは、どういう分析をしてるのだろう? 色々、気になっている。
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