言語の生成性は、何に準拠づけられているのだろうか? これを考えたとき、通常は言語の主たる機能と思われる、「論理による対象把握」とか「他者との情報交換」とかを考えたくなるのではないだろうか。しかし実は言語の生成機能は、そういうものとはある種、別なものとして存在することが判っている。
ウィリアムズ症候群、という症状がある。これは遺伝子の突然変異による精神遅滞の一種で、言葉を発するのが五歳くらいと、大分遅くなってから現れる。そして直観と共感は優れているが、IQはダウン症候群並みの50~70程度に留まるのだという。
このウィリアムズ症候群の10歳の子供に、食器棚からこれとこれを取ってきてくれと頼むと、訳が判らなくなって違うものを持ってくる。靴紐を結べないし、15+20の足し算ができない。自転車に乗ってる人を描いてもらうと、スポークとタイヤ、チェーン、足などがごちゃごちゃになった絵を描く。
このウィリアムズ症候群はしかし、「おしゃべり」に特徴がある。リタ・カーターは次のように描写する。
『ウィリアムズ症候群の子どもたちは、おしゃべりがとめどもなく続く。知らない人をつかまえてはいつまでも会話を続けるし、奇妙な感嘆詞を発したり、相手の言葉をそっくりそのまま返したりする。
「……すると彼女は言いました。『どうしよう! オーブンにケーキを入れっぱなしだわ』私は言いました。『それは大変! お茶の時間がだいなしね!』次に彼女は言いました。『すぐ家に飛んで帰らなくちゃ。ケーキが真っ黒焦げになるまえに出すのよ』私は言いました。『そうだ、そうだ!』…」
スタイルとしては面白いかもしれないが、この手の話は日常茶飯事で、しかもでっちあげのことが多い。だがウィリアムズ症候群の子どもたちは、相手をだますつもりはないし、作り話をすることで優位に立とうとしているわけでもない。彼らにとって言葉は情報を伝える手段ではない。言葉を操ること、それだけが彼らの喜びなのである。 』
(リタ・カーター著 養老孟司監修 藤井留美訳 『脳と心の地形図』 原書房)
このウィリアムズ症候群を見ると、人間と言うのは「意味が判って」話をするのではなく、「単に話がしたいからする」という面が確かにあるのだということが判る。少なくとも言語を生成する機能と、論理的に物事を解釈する知能とは全く別の機能で、恐らくはそれを司る局所部位も別の箇所にあるのだ。
言語の生成性を司るものとしてチョムスキーが「生成文法」をあげたという話をしたが、これはむしろ多様な言語生成の「統御規則」である。例えばチンパンジーは論理的に単語とその指示対象を判別できるが、彼らはウィリアムズ症候群になることはできない。案外、こういう場所に、人間とそれ以外の動物の決定的な違いがあるのかもしれない。
このウィリアムズ症候群にちょっと近いと感じられるのが、ウェルニッケ失語症だ。大脳における言語領域を司るウェルニッケ野が損傷した、大脳損傷の例である。
この患者は文法的に全く正しい発話がよどみなくできるから、離れた所から見たら正常な人と変わりはない。しかし近づいて話を聞いてみると、その話は全くナンセンスで理解できないものだという。間違った単語や、言葉ですらない音が混じっており、自分でも何を話しているのか判らない。
『ウェルニッケ失語症の患者に、ある絵について話してもらうとこんな感じになる。
「え~と、これは…母親がこっちにいて、ここから自分をよくするために働いている。でも彼女が見てる間、二人の男の子は別なところを見ている。彼らの小さなタイルが、母親の時間に入りこむ。彼女はそうなるから別の時間にも働く。だから二人の男のもいっしょに働いて、ひとりは働きながらうろうろして、持っていた時間がさらに×××(意味不明)」
ウェルニッケ症候群の患者が繰りだす言葉は、とても印象的に聞こえる。ある人は自分が以前にしていた仕事を次のように説明した。
「(私は)その重役だったんです。トネーションについて、それがどういう種類か議論するのが不満でした……だから付き物のコンベンシメントから離れるために、ちがうトリクラには近づかないようにしていました」
この類の話が、するすると口をついて出てくるのである。奇妙に思われるかもしれないが、当人話すのに何の苦労も感じてない。これは発話自体が脳のなかのまったく別なところで管理されてるからだ。 』(前掲書)
終わりの患者の言葉に出てくる「トネーション」だとか「トリクラ」だとかは意味不明語だ。何の意味もないのだが、全体を見るとなんだか意味がありそうな言葉のように見える。しかしこれは情報を伝えようとしてる発話なのではなくて、単にその自発性から現れる発話行為なのだ。
さてここで「ロボット」の問題を考えてみよう。もしロボットが言語を話し、人間とコミュニケーションできるような能力を求められるとしたら、どういう機能が必要になるだろうか?
この人間における言葉の生成の原理を考えると、人間は「情報処理」のために言語を生成するのではなくて、「とにかく」喋りたいがために喋ってるような面があるということが判る。そこには自己目的的な『欲動』が働いているということだ。
フロイト流にその無目的な欲動を、「リビドー」と名づけてもいいかもしれない。この盲目的な「リビドー」を積んでなければ、人間は逆に言えば「発話しない」かもしれないのだ(これは次回でとりあげる)。従ってロボットが人間並みに発話するためには、この盲目的ともいえる「リビドー」を『機能』として積んでいなければならない。…かもしれない。
しかしそうすると、大脳損傷の例やウィリアムズ症候群のように、AIの一部が損傷したりすると、「とにかくずっと何か喋ってる」ようなロボットが現れるかもしれない。…そういえば手塚治虫先生のマンガにそういう作品があったのを思い出す。
『七色いんこ』に出てくる、「オルガ」の物語である。2巻に収録されている、『ゴドーを待ちながら』という一編がそれだ。美しくも哀しい、アンドロイドの物語であった。
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