世の中にはたくさんの人がいる。
今まで出会ってきた人たちのことを思い返してみると、ああ、そうかと思うできごとがある。
怖い話になってしまうかもしれないけど、まあ、聞いてほしい。
小さい頃から母親が好きだった。その人さえいれば、なんとかなるって思っていた。
けれど、やっぱり、終わりは来るもので、ある日突然、いなくなった。
前触れみたいなものがあって、私が私を変えようと思ったきっかけは、まさに散華だったように思う。
人の死っていうのは、予兆できないなんて嘘だ。
絶対知っている。どっかで分かってる。感じている。
だから、そうするってこときっとある。
物語が終わって、また過去を振り返ってみると、あの時のあれが、今に繋がっているんだってことが見えてくる。
なぜ、気付くことができたのかっていうと、人の話を聞いて。
私のお母さんより十年くらい年下のパートさんがいて、教えてくれた。
何か習い事をしていたんだけど、今、やっていないことがあるって。なんで、辞めちゃったんですか?って聞いたら、習い事の先生が亡くなっちゃってって説明を聞いたときは、それは仕方ないですねって聞き流していたんだけど、また別の人からある話を聞いて、確信したことがある。
その別の人の話は、昔、高校生の頃、付き合っていた彼がいて、その彼が、大阪で最も学力の高い高校、多分、茨城高校に通っていたんだけど、別れちゃったって話を聞いたとき、どうしてですか?って聞いたら、彼の父親が亡くなったから、それで、音信不通になったって感じで聞いたように思う。
それで、私自身のことを振り返ってみても、同じようなことがあった。
兄も同じようなことを言っていた。ああ、そうか。そういうのってあるんだって思った。
どういう話か。
兄が何も危害を加えていないのに、相手が突然、何か、危害を加えてきたら、結局、そいつがダメになってるっていう話。
私自身にもそういうのがあって、ああ、どうしようもないなって思う瞬間がある。
蒔いた種は自分で刈り取るっていうやつ。
カルマを実感するような感覚
それで、高校時代の先生がちょうど定年退職されるから、みんなでお祝いしようって思って、幹事をした時、これは自分がしなくちゃいけないことだって思ったんだよな。
っで、一応、その役をした後、予備校行ったけど、成果出なかったから就職か父が定めた道を歩くかで、大きく変わった。
結局、父がやってほしいと願う方へやったけど、ずっと昔、中学生の頃、思ったんだよ。先生になるかもって。
8年かかって先生したけど、私の思いに父が反応して、その心に共感したから、普段協力してくれない父が協力してくれたのかもって思った。
結局、自分の思いがそうさせたんだって後になって考えてみれば、それまでにあった不幸なことも全部自分が引き起こした対価だったんじゃないか?って思う。
それで、小学生の頃、一人暮らしがしたいって、父や母の支配下に自分を置きたくないって思ってた。
その思いも聞き届けられて、現在に至る。
そして、次に、考えていることを言えば、この世の中で一番不幸な人のことを考えている。病気になったり、怪我したり、挫折したり、努力したり、頑張ってみたり、悔しい思いして泣いている人の力になるためには、自分はどうしたら、その人たちの思いに触れられるだろう?って。
母が亡くなったとき、この世が終わった感じがして、自分もきっとあの世に逝く。さっさとその日が来いって思いながら、生きてた。
まだ生きてるって感じで、早く、早く、今生きていることがなくなれば良いのにって中学生の頃思ってた時期がある。
それで、何かを成し遂げた時、やった、頑張った!って思うんじゃなくて、許されたって思った。
どれだけしても償いきれないことがあるように、どれだけ頑張っても、取り返しのつかないことがこの世の中にあることを知った。
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