ここ数日、不思議なことが立て続けに起こっているから、そのことをちょっと書いていきたい。
5月に講習会があって、その後、あまり絡まない社員くんと帰り道が同じということで途中までいっしょに帰った。
その後、暇だったんで、話題に出てきた蛍の見える場所を教えてもらった。
それで、帰り道、なんだか、気味が悪いなって思ったら、道端に花束が無数に供えられていた。
幽霊が出そうだなって思ったんだよ、目的地に向かっている途中、そして、その勘がずばり的中。
ああ、なんか、やっぱりって思った。
それで、その後、色々問題が起きて、どうしたものかなって考えていたら、ちょうど菜根譚っていう隠れた名著からメッセージが着た。
逆境はチャンスってだいぶ昔に言われたことがあったけど、その時は、よく分からなかった。
嵐の中にいるときは、その嵐が過ぎ去るのを必死で待つしかなかったから。
痛くて、息苦しくて、何も見えない感じ。
でも、ようやく、見えてきたものがあるから、また昨日歩いた迷路の続きを今日もまた歩いて行くんだって1ヵ月くらい経って、ようやく見えてきた。
そして、何かに導かれるかのように、図書館に行ったら、またメッセージが着た。
結果、泣いた。
涙、止まれって思ったけど、図書館で泣いているの、私だけだったように思うけど、でも、泣かずにはいられなかった。
朝、5時から仕事をして、9時頃に本なんか読んだら、すぐに寝ちゃうのに、その時だけは起きてた。
感情が動いたから。
感情を動かせた人の名前は、田中正造
まるでお父さんみたいな風貌で、予備校時代の頃から気になってた。
誰だ?このおっさんって思うかもしれないけど、こんなに人のために生きた人はいないって思えるくらい芯がしっかりしてて、思いやりの溢れた人だった。自分の命を投げ出して、人を助けようとした人。
結果、その途中で亡くなってしまったんだけど、その生きざまが私には、かっこよく見えた。
だから、何度もこの人の人生を脳裏に焼き付けたいって思った。
この人の生涯が書かれた本を開いたとき、ある一文がそこには書き記されていた。
思わず、泣いた。
田中正造が、折檻を受けて、背中の肉が、割れるくらい殴られたって話。
詳細は分からない。
でも、そこまで殴られて育ったのかと思うと、今の若者って本当にしょぼい。
痛みや苦しさから簡単に逃げる。人も同じ。嫌いな人から簡単に逃げる。
向き合わない。
現代人は、痛さが悪だとするが、痛みを知らないで何が言えるんだろう?何が分かるんだろう?って思うときがある。
知らないで言うな。ちゃんと知ってから言えって。
同じ気持ちを味わっていない人が、何を言っても、絵空事にしか聞こえない。
中身がない。だから、ズレができる。
他人との間にあることは何もない。
あなたが嫌だと思っていることを現実にやっている人がいるんだから、それから逃げるというのは、やっぱり自分の我が儘になるんだと思う。
ありのままで良いって思っても、本当にそれで、夢叶えられるの?何もしないで本当に自分のこうなりたい、ああなりたいが叶うの?そんな訳がない。
今の自分で不十分だから、努力しようと思うし、我慢だって、努力だって、やろうと思えるんじゃないか?
足りないから何かしようと思うんだ。足りているなら何かする必要なんかない。
純粋に願望があって、自分のイメージがちゃんと映像として浮かびあったとき、ようやく夢が叶う。
だから、自分のかっこいいって思えた姿をどうか焼き付けて欲しい。
そしたら、何が足りて、今、何が足りていないか見えてくるから。
それが夢を叶える唯一の方法だと私は思う。
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