少し前に、誰かの幸せについて書いたことがある。
それは、誰かが産まれれば、誰かがなくなるという法則。
昔、大学の教授が妊娠し、出産する日に主人の父が亡くなったと聞いたことがある。
そして、知り合いの娘さんが今度出産するんだけど、その旦那さんの母が亡くなったと聞いた。
さらに、別の例で、チーフの子供が昔、流産して、それから、今の長男を産んだ時、旦那さんのおばあちゃんが亡くなったって聞いた。
なんか、ああそうかって腑に落ちた。
何かがなくなれば、何かが手に入る。
そんな風にバランスを人は取っているんだって思った。
それはもうどうしようもなくて、生まれてきたということはつまり、死ぬことと同じことなんだって思った。
そして、亡くなった人の代わりに誰かがその肩代わりをする。
そういう風に社会ってできてる。
だから、誰かがやる仕事をバカにしちゃいけないってことだけは分かった。
時期にその仕事も自分でやらなきゃいけないようになるから。
それで、今日、そんなような話をまた人とした。
よく、嫁になるまで家事はやらなくて良いっていう親がいるけど、あれは間違いねって。
毎日やっているからできるんであって、急にやれって言われてもできないように、繰り返すからこそ、そのうち、無意識にできるようになっていくんだからって。
私もそう思う。
母が亡くなって自分でやってきたから、なんとか自炊で食べていけてる。
でも、もし母が生きてたら、私はニートになっていたと思うし、誰かのせいにして、ずっと逃げていたままだって思う。
どんどんデブになって、身なりもちゃんとしなくて、性格までブサイクになって、あんたのせいで!って言うような心のない人間になってたかもしれないって本気で思う。
今はまだ、人の痛みとか苦しみとか悲しみを経験してきているから、まだマシ。あの頃に比べたら。
だから、もし、母が亡くならなかったら、出会えない縁があったと思う。
もし誰かがいなくなって得たものがあるとすれば、私の場合、仕事だったと思う。
ご飯を食べるとか普通のことすらままならなかったから、それを堪えたこととか、尋常じゃない仕打ちを受けたことすらも、意味のあったことだと思う。
人の重さを本当によく感じられる人生だった。
生きていることを実感するっておそらくこういうことなんだろうな。
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