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特撮最前線  超特撮論  四、自我と倫理  ③



 このような「超絶者」を指向したヒーローに「イナズマン」が上げられる。「イナズマン」は超能力を題材にしたヒーローだが、後にはその超能力性はほとんど姿を消し、普通の特撮アクションによって敵を倒す描写がされる。

 しかし原作の石森章太郎が脚本、監督をした作品では、イナズマンは瞬間移動、テレパシー、透視といった各超能力に加え、攻撃技にも「念力パンチ」や「念力キック」といった通常とは異なる描写がなされた。
 この念力パンチは、敵に多くのパンチが一度に浴びさせられるというイメージシーンで撮られており、この能力がその後のイナズマンの基
本になっていたら「イナズマン」という作品はもっと異なったものになっていただろう。

 瞬間移動や透視という能力は、人質救出や敵の基地発見にほとんど不可能な状況を作らないばかりか、「イナズマン」の万能の超人ぶりを全面的に表現する。その時「イナズマン」は、ほとんど「神」に近いような「全能」の存在であることが理解されるだろう。
 しかしこの石森ラインが特別な回であったとしても、初期のイナズマンには「逆転チェスト」「復元チェスト」という万能技が存在した。「復元チェスト」は、敵の超能力によってダムなどが破壊されたおり、その損傷を一瞬にして復元する万能技である。

 また逆転チェストは、敵のどんな種類の攻撃に対しても「逆転チェスト!」と一言叫ぶだけで、全ての攻撃を相手にはね返す無敵技である。初期イナズマンには必殺技というものがなく、むしろこの無敵のカウンター技「逆転チェスト」がイナズマンのメイン技であった。
 イナズマン自身の超能力は単に「発見」されたものであり、あらゆる種類のリスクを負うことも、それを入手するための努力も、ほとんどなされていない。ノーリスクで手に入れた自らの「超常」性を無限に使用し、敵の攻撃には「逆転チェスト!」で反転させる。

 そして全能の超人は敵を高みから見下ろし、「お前の力はそんなものか」と言い放つ。自身も何の努力なしに手に入れた力を、ここまで傲慢に使用できるのは、「イナズマン」がある種の「超越者」であることが寓意されていると考える以外にない。
 しかし「ウルトラマン」や「ゴールドプラチナム」のような超越者は、外部から「到来」したものであるがゆえに「超越者」(「この世界」の論理を越える者)と見做される。「この世界」の住人であると同時に「超越者」であることはできず、それを指向するのは「超絶者」であるということができるだろう。

 「この世界」の住人であると同時に「超越者」であった場合、その存在は何の苦もなく事態を解決してしまい、一切の物語進行の必然性を無に帰してしまうからである。実際、「イナズマン」ではその「超絶者」ぶりが物語進行に難をなしたのか、「逆転チェスト」と「復元チェスト」は封印されていく。
 その入れ替わりのように「ゼーバー」というアイテムが必殺武器として登場するが、この「ゼーバー」登場においても「イナズマン」の超絶者ぶりが依然として残っていることを部分的に見出すことができる。敵のカイゼル総統以下、ウデスパー達も「ゼーバー」の力の凄さに難色を示す描写がなされ、その最も明確な例は、一度心臓停止した人物を「ゼーバー」で甦らせるという描写がなされたことでも判る。

 死者を甦らせることができるのは神か悪魔に限るのであって、少なくとも「人間」のできることではない。この意味で「イナズマン」は、根本的に「超絶者」という要素を本質に抱え込んだヒーローだったということができる。
 この『イナズマン』と『ストロンガー』には、不思議な関連が少し見出されるように思われる。まずそれは「イナズマン」が、初の「肩張り」デザインのヒーローだったことである。イナズマンの肩張りは胸と腕回りのボリュームの増加によってデザインされているが、この逆三角形の体型は「強さ」それ自体をデザインによって強調している。

 この肩張りデザインを受け継いだのが、ラガーマンタイプにボリューム増加した「ストロンガー」だろう。ストロンガーもまた、歴代「仮面ライダー」のなかで最も「力」を誇示したデザインとなっている。またイナズマンに登場する「ウデスパー」の鋼鉄の鎧というデサインは、ストロンガーと戦うデルザー軍団の「鋼鉄参謀」に受け継がれた。
 このようなデザインの継承以外にも、「二段変身」という決定的な要素がこの二人のヒーローを関連づけている。つまり「サナギマン」から「イナズマン」という二段変身が、ストロンガーにおいては「電気人間」から「超電子人間」への二段変身と変形するのである。これは「普通の強さ」から、「超越的な強さ」への段階が存在することを暗に物語っている。

 さらに細かい点ではイナズマンが登場において「俺は自由の戦士、イナズマン!」と名乗りを上げて片手を掲げるポーズを取るくだりが、初期ストロンガーの有名な「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ、悪を倒せと俺を呼ぶ。俺は正義の戦士、仮面ライダーストロンガー!」と名乗るくだりに酷似している。このように「自由の戦士」とか「正義の戦士」などと名乗ってる割に、本人達は自身の「超絶者」たる願望しか持ち合わせていないという点がまたよく似ている。
 逆に言えば、そう「名乗ら」なければ、本人達の「非倫理性」が露見するという事情が彼等に名乗りをあげさせているようにすら見えるのである。つまり本人達が自らの「自我の発露」に務めているにすぎないという本質が、「ヒーロー」という条件の為には隠されなければならないからである。

 また興味深いことだが、「ストロンガー」以前の仮面ライダー達のパワーアップは、ほとんど「特訓」によって得られるものであった。しかし「ストロンガー」だけは全く「特訓」をせずに、パワーアップを果たす。
 このことは「特訓」につきもののトレーナー=立花藤兵衛の位置を変えるのに十分であるし、また特訓という「努力」「教受」「練習」という要素が、すぐに「自我の発露」をするという「ストロンガー」の潜在願望と相いれないものであることも重要である。

 「自我の発露」のもっとも極端な形は、何の努力もせずに、また誰の力も借りずに成されるのがもっとも理想的なのである。その意味で「イナズマン」が同様に、何の「特訓」をすることもなく「ゼーバー」というアイテムで単純にパワーアップしたことが必然的だったことが理解できる。
 「ストロンガー」以前に特訓なしでパワーアップをしたのは、「X」の「大変身」が例として存在する。しかし「大変身」は「超電子ダイナモ」のように外見が変わることもなく、またその能力も「真空地獄車」という新必殺技を身につけるに留まり、むしろスポ根ものの「特訓」の形を潜在的に受け継いでいる。

 ただこの「大変身」においては伊上氏ではなく、村上庄三が書いたことが大きく左右しているようにも思われる。「仮面ライダー」シリーズの「特訓」の形を作ってきたのは伊上勝であり、Xも最初の「Xキック」の際には立花藤兵衛の協力を得ている。
 「ストロンガー」は伊上氏が書いても好戦的性格である、と同時に、「アマゾン」は鈴木氏が書いても温和で倫理的な人物である。しかし伊上氏と鈴木氏や村上氏で、決定的に異なる描写の対象が存在する。それが「立花藤兵衛」である。「ストロンガー」は伊上氏の書く回が少なく、ほとんど伊上作品とは呼べないことは既に前述した。それと連動するように大きく変わったのは「立花藤兵衛」=「おやっさん」の位置である。

 「仮面ライダーシリーズ」通しての協力者である立花藤兵衛は、歴代ライダー達の協力者である同時にその指導者、倫理的な支柱でもあった。しかし「ストロンガー」では藤兵衛は、ストロンガーの指南役どころか、時には足でまといになる三枚目キャラの存在になっている。
 これはストロンガーが「超絶者」であることを考えると、その上位に立つような「指導者」がいることはその欲望にそぐわないということが明確に判る。歴代ライダーは藤兵衛に特訓を受け、怒られ戒められ、そして多くを教えられてきた。

 本郷はオートレースを通して既に指導される立場にあり、一文字は弱気になった時に「仮面ライダーの肩には世界がかかっている。仮面ライダーがそんな憶病者であることは許されないのだ」と戒められる。V3には藤兵衛に加え、一号二号という直接指導者が常に存在し、Xは「お前の先輩達は、そんなことで泣き言は言わなかった」と叱られ、アマゾンはバイクという未知の文明の利器の力を思い知らされる。
 彼等は全て藤兵衛から、何らかの形で指導され、「教え」を受けてきた。しかし「超絶者」たる存在は、何者からも「教えられる」ようなことがあってはならない。そのような「戒め」は、超絶者にとっては邪魔なものでしかないのだ。ストロンガーはこの意味で、藤兵衛から全く何も教わらなかった唯一のライダーなのである。
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