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作品を読む  『重戦機エルガイム』について


 富野由悠季監督作品のなかで、僕が一番好きな作品というのは実は『機動戦士ガンダム』ではない。加えて言えば『伝説巨人イデオン』でも『戦闘メカザブングル』でも、『聖戦士ダンバイン』でも、その他「ガンダムシリーズ」でもない。
 僕が一番好きなのは、『重戦機エルガイム』なのである。

 これはちょっと微妙な意味を孕んでいる。というのも『エルガイム』というのは、富野作品のなかでは極めて「富野っぽくない」作品だからである。
 富野作品というのは、「どちらかといえば情念的」で「人物の自意識が過剰」で「やたらと悲壮感が漂い」「家族関係は憎悪に満ちている」…という感じの傾向性が見られる。

 これに比べると『エルガイム』というのは、作品全体を明るいトーンで行こうという意図が見られ、主人公のダバ・マイロードも爽やかな好青年である。男前で芯があって、剣の腕もたちヘビーメタルの扱いも上手い。実に「ヒーロー」としての資質を備えた言うことない、『主人公』なのである。
 これは引きこもり寸前のパソコンおたくのアムロ・レイだとか、自意識過剰のアフロヘアのクリン・コスモ、有名教育者の母親をもったがためにすっかりグレた族上がりのショウ・ザマなんかと比べると、ほどよい自信と行動力を備えた好青年なのである(ジロン・アモスはちょっと除く)。

 こういう主役らしい主役が、ちゃんと主役をやるのが心地よいのだ。加えてライバルのギャブレット・ギャブレーがまたよい。イケメンで自信家でキザでスカしていて、それで腕もたつのだけどどっか抜けていて愛嬌がある。貧乏なくクセに、ちっともそれを出さずにバブリーな感じがまたいい。
 考えてみると『俺たちは天使だ!』の麻生探偵も、ビンボーなくせにしみったれてないところがよかった。そういうヤツが好きなのだ。このキザなギャブレーと、芯のあるダバのやりとりがよかった。ヒロインではレッシィがよかった。

 しかし加えて言うなら、永野護の『ファイブスター物語』より『エルガイム』の方が好きなのである。永野護の『ファイブスター(以下、FSSと略)』は、『エルガイム』の部分にあたる「反乱軍の王政打倒」の部分を「第二部」に据えた物語と予告されていて、その倒されるべき「王」の方を主役にした物語である。
 しかしこの王は実質的に「神」に近い存在と定義されており、主人公はハナから無敵の存在なのである。これは超越的な主役を描いたファンタジーであって、『エルガイム』のような青年の成長と「体制打倒劇」を描いた物語ではないのである。

 そもそもだけど『エルガイム』は、『スターウォーズ』から明確に、濃厚な影響を受けている。主人公が、帝国に滅ぼされた王家の末裔であること。その主役が反乱軍と合流しながら、最終的に帝国の皇帝を倒すこと。主人公達が武器として、ライトセーバー(『エルガイム』ではパワーセイバー)を持っていること。
 細かく見ていくとその影響関係は様々なところに見出せるが、とにもかくにもその「高貴な身分の主人公が、一度、周辺世界を経巡り、そして力をつけて中心へ帰る」という物語構造が共通しているのである。これは『源氏物語』などにも見られる物語構造なのである。

 このような物語構造のものを、折口信夫の民俗学では『貴種流離譚』という形で概念化されている。これは「高貴な生まれの、弱く、力ない人間が、遠い地をさすらう苦悩を経験する」という形なので、「力をつけて帰還する」という部分は含まれてないことになる。
 しかしその発想の元になった『源氏物語』は「貴種流離譚」の代表であるが、基本的には「中心→周辺→中心」という円環構造を描いている。このループ構造は西洋の王子伝説などにもあるだろうから、『スターウォーズ』がそういう物語構造になったということが推測される。

 この「貴種」が周辺世界を旅して、成長し、味方をつけて中心に帰還するというのは、別の見方をすれば一つ成長物語の典型であるビルドゥングスロマン(教養大河物語)として見ることもできる。しかし「貴種」が「貴種」としての、「品」を持っていることが、この物語構造の一つの魅力であると思うのだ。
 ルーク・スカイウォーカーもどこか「王子様」の坊ちゃん的気質を抱えているし、また明らかにその影響を受けたキャラクター造形であるダバ・マイロードも、やはり坊ちゃん的な育ちのよさを感じる。しかしそのなんとはなしに醸し出される「品」がいい。

 これが『ザブングル』におけるジロン・アモスとの違い、と言ってもいいかもしれない。サトイモみたいな丸顔で、いかにも雑草な感じのジロン・アモスに対して、男前でなんだか知らないけどいつも涼しげなダバは、いかにも「貴種」である。けど、そこがいいのだ。
 この貴種流離譚の物語構造のなかに、「ヤーマン族」という「失われた民族」の挿話が入るとき、そこにはやはり「戦後の日本」という特殊な状況が背景にあるのを感じさせるのである。

 このダバの出身民族である「ヤーマン」が、「Japan=ヤパン」の語感的な特徴を引き継いでるのは言うまでもない。このヤーマン族は皇帝率いる帝国軍に滅ぼされ、ダバはその王子かつ唯一の生き残りなのだ。
 そしてこのヤーマン族が残した遺産が主人公メカ・エルガイムであるという設定も泣かせる。「ヤーマンのシステムは素晴らしい」と帝国側の技術者に言わせるなど、ヤーマン族が工業技術に優れた民族だったことを臭わせる設定となっているのだ。

 そしてそのロボットは「A級/B級」とランク付けされた帝国承認のヘビーメタルに対して、クラスが判らないのにくわえて華奢な概観の割りにハイパワーの機体であるエルガイムがその特殊性を演出する構造なっている。
 これは例えば、小さかったけれどスピードと小回りで米軍機を撃墜していたゼロ戦なんかのエピソードを思わせる、「日本的機械」の非常に重要な特徴なのだ。またその主人公メカであるエルガイムが、「純白の機体」であるというのもよかった。

 「白」というのは特に、日本人の好む色である。白は聖なる色、何者にも染められていない穢れない「清らかな色」なのだ。例えば神主の装束や、白無垢、国旗や障子の色にいたるまで、日本の生活に密着した「白」の根深さは例に事欠かない。
 無論、西欧でも白は重要な色の一つだが、例えばドイツでは「黒」が聖なる色だし、主要先進国の国旗のなかに「白」が入っているのは日本くらいである。日本の白好きは、結構、特徴的な現象である。

 西洋絵画に対して特徴的に言われるのは、日本の絵画・デザインにおける「余白の美」である。敢えてビッシリと描きこまずに、その描きこまない「白」の部分を愛でるという感性が日本人の美意識の一つの形としてある。
 しかしこれに対して『FSS』の主役機は「黄金の電気騎士(ナイト・オブ・ゴールド)』であり、日本的な繊細さから離れた、力強く、永遠の無敵さを象徴する黄金の輝きを持っているメカとなっている。これだけでも『FSS』と、『エルガイム』が全く異なる作品だということが言える。

 しかしそう考えてみると、富野由悠季と永野護という二人のクリエイターに多きを負っているにも関わらず、「富野作品」らしくなく、また「永野ワールド」でもない『エルガイム』というのは、ちょっと変わった作品なのである。
 その異色の才能がぶつかりあい、また多くの人の手によって作られた『重戦機エルガイム』が、僕にはなんとも言えない魅力を持っているのだ。恐らくそれは、二度とは起きることのない偶然の産物なのだろうということもまた、承知なのである。
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