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教育の成功とは何か。考えてみた

例えば、一人の天才がいたとする。

どんな病気でも治すことができて、どんなことにも的を得た発言ができる人物だとする。
でも、それだけなら意味がないってことをリアルに考えた時、思うんだ。


ある病気について、こうしたら良いっていう答えを持っていても、それを理解するだけの頭が相手になかったら、その方法は、それができる人にしかできないってことになる。

その病気が例えば、1人だけなら良いけど、何千人、何万人、何億人となった場合、助けられるのは、その人が診た患者さんだけになる。
だから、あまり意味はない。

でも、その方法をみんなが理解できるように、伝えられることができたのなら、それは価値のある情報になる。

だから、同じ程度の頭脳を持った人たちが必要になるし、同じ条件を持った人間が複数いれば、助けられる人数も増える。

そして、そういう人間を作るためにはやっぱり教育が必要になってくる。

教育っていうのは、今までできなかったことができるようになるためにあるためのものだと私は思う。

例えば、エイズという病気を治したいって思ったとする。そして、たくさんの情報を頭の中に入れる。
どういう仕組みでどうなっているのかを実験してみる。それを論理でかためる。人の一生なんてあっという間だから、だれかが研究したものを読んで、どれが良い方法なのか、探し出すしかないんだ。

先人たちの知恵を背景に、今を作っていく。今が過去になって、未来の人達にそれを託す。そのために学問はあるんだと思うんだ。


っでな、教育の成功とは何かって考えたら、こうだと思うんだ。

今まで生きてきた人たちがいる。その人たちが勉強して分かったこと、それ以上を発展させるために、教育があるんだと思う。だから、教師という役職の人、上司や先輩、社長という立場の人はぜひ、育てることに誇りを持ってほしいんだ。

やり方は人それぞれだと思う。
こうだって思ったやり方があっても、それがある人にとったら、分からないものであるかもしれない。だから、勉強に対して、原理原則を教えてやってほしい。できなかったから、諦めるっていうのを少しでも減らしてほしいんだ。0.1パーセントで良いからって思う。

そしたら、そのちょっとが、子供たちの希望になると思うから。


大人である自分だって、東大に入れたわけでもないし、京大に行けたわけでもない。国公立にだって入った訳じゃないけど、それ以上に大切だと思うんだよな。
教育っていうのは、未来を築くために必要なことだから。

教育の成功っていうのは、1年や2年で分かるもんじゃないけど、10年かけてやっと一つのことができるようになると思う。だから、それまでちゃんとしっかり成長できる環境を作ってやってほしいって思うのが、政府への要望なんよな。職業選択の自由で困る人だっているんだから。
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残るもの

今日は、ちょっと日本史のお勉強をしようと思って、高校時代にもらった資料集をぱらぱらと観てたら、ある疑問が浮かんだ。

昔の人の声ってどんな声だったのかな?って。


どんな言葉を使って、どんなことをしていたのかなって思ったんだ。

そんで、今でも残っているものから推測することにした。

お寺でお坊さんがお経をあげているあの声があったんじゃないのかなって思うんだ。
代々受け継がれているものだから、あんなような言葉を使っていたんだと思う。
そんで、ちょっと怖い話をここですれば、夜回り先生がな、夜、夜回りするときにお経をあげながら、街の中を歩いたんだって。

そしたら、悪い奴らってか、22時以降に公園とかでたむろしていた子供たちがどっか行ったんだって。
やっぱり、昔からあるものってどこか不思議な力があるように思う。

それから、絵巻とかを真剣に観ていたら、気付くことがあった。

左右対称はどの時代でも美だね。笑

何を遺したい?って聞かれたら、やっぱり誰だって、自分が一番大切にしたいものを遺すよね。
それって多分、昔の人も同じなんだろうな。


そんでな、おもしろいって思ったのが、昔の人の絵って全体を描いているって気付いてる人はどれくらいいるんだろ。


部屋の中とかを外から観て描いているんだ。


一人の人物を描くときや像にするときも、顔だけ描くっていうのがまずないんよな。

それから、前髪がない笑
どんな人にも。


ハサミがなかったんだと思う。
だから、明治以降だと思うんだ。
おしゃれな髪型になってきたのは。

ただ、切るという動作がなかったから、かんざしというものが生まれたんだと思う。

それと、パンチパーマなんだよね。大仏様って。なんでなんだろう?

まあ、それはともかく、私も何か作りたいからもうちょっと勉強しようと思います。

日本独自の文化が知りたいんで。

前進しなければ意味がない

まず、一番大切にしなくちゃいけないものがある。

それは、心だと思う。

体よりも心の方が大事って言いたいのは、体は機械みたいなもので、心はそれを運転する運転手みたいなものだから。

車だって、乗る人がいなかったら、ただの物にしかならない。
だから、まず、運転手がいないと意味がないと言える。

そんで、次に大切にしなくちゃいけないのが、体。
この体がないとまず、何もできない。
ご飯を食べることもできないし、テレビを観ることも、誰かと話すことだってできない。こうやって人が書いた文章を読むことができないから。

そんで、3番目に大切にしなくちゃいけないのは、ガソリンだと思う。


何かをするためには、何か原動力が必要だ。
だから、体に食べ物を与えるわけやし、心にだって愛が必要になる。
その愛っていうのは、人によって違う。
家族であったり、恋人であったり、誰か親しい人であったり、動物だと思う。

そんで、そのガソリンがそこそこ溜まったら、次は技術だと思う。


まず、運転する気持ちがある。そんで、運転できる体がある。そして、動く車がある。
じゃあ、次は、運転する自分が必要になる。

運転ってかんたんなようでかんたんじゃない。
だって、目が見えていないといけないし、ブレーキやアクセルを踏むタイミングがあったりするから。それは、やっぱりやってみないと身に付かないものだから、技術が必要になってくると思う。

こうすれば、こうなる。ああすれば、ああなる。っていうものが必要だ。


そして、そういうものをだんだんと積み重ねていって、ようやくできるようになっていくのだと思う。


この話を人生に置き換えて考えると、こうなる。

まず、自分というものがいる。そして、その自己確立ができて、ようやく自分というものに余裕が出てきて、やっと、自分の大切な人に援助できるようになっていくのだと思う。

一番初めに相手を持って行くと、身を滅ぼすだけなんだ。
だって、相手のために、相手のためにってやって自分すり減らしてまでやっても、相手が自分を大切にしてくれるとは限らない。ましてや、裏切られる可能性だって余裕で出てくる。だから、まず、自分がないとダメなんだ。

でも、人間ってそういう風にはできていないんよな。


母親のことを考えてみてほしい。
幼い頃の記憶はなくても、オムツをかえたり、あやしてくれたり、ご飯を与えてくれたりした人が必ず誰にでもいる。でも、だんだんと歳をとるにつれ、その役割が自分にまわってくる。

誰かに与える立場になるのが、大人だと思う。

文句を言われることもあるだろう。失敗することもあるだろう。でも、やらないと意味がないんだよな。やってダメだった理由を考えて、また別の方法を試す。それでできないこともあるだろうけど、結局最後は考え付いたものの勝ちなんだと思う。

それを死ぬまで繰り返すから、生きるってしんどい。
自分の好きなようにやったら良いってわけじゃないから。
できなかったら、できないままで良いってわけじゃないんよな。

そういうものをそのままにしていたら、社会に空いた穴が大きくなって、まわらなくなる。
だから、問題がもっと大きくなって、しまいには、手の付けようがなくなる。
それが現代なんだよな。

だから、一日一日をどれだけ真剣に生きるのかが課題になる。

オーダーメイド

すべての人に共通することを考えてて、ちょっと気が付いたことがあるから、ここに書く。

お父さんとお母さんからもらったから、この体がある。

お父さんにはお父さんの家の血が、お母さんにはお母さんの家の血が代々と受け継がれてきた。

それぞれの家にそれぞれの因果がある。

例えば、世の中に出るとよく分かるんだけど、背の高い人も低い人もいる。
顔が整っている人も整っていない人もいる。声がはっきり出せる人もいるし、出せない人もいる。
指の長さが長い人もいれば、短い人もいる。足が長い人もいれば、短い人もいる。
本当にそれぞれ。

目は目でしかないし、口は口でしかない。

ただ、面白いなって思う。


この時代にこの時間にこの時期にいるのはたった一人の人間なんだってこと。

時間を止めようと思っても、止められない。
時間を巻き戻そうと思っても、巻き戻らない。
時間を進めようと思っても、進められない。

生きるということを真剣に考えてみた結果

人生を考えているとどうしても自分ではコントロールできない問題が出てくる。

これは誰にでもあることだ。

すべての生物に言えることだ。

例えば、生きたい、生きたいって思っていても、心臓が止まったら、体は死んでしまう。

こう表現することができる。

心臓「ちょっと休むわ」

っで、始まりがあれば、もちろん、終わりがある。

だいたい生まれた瞬間から死の宣告を受けている。

だから、一生懸命生きてみるしかない。

一生懸命したからってどうしようもないことはどうしようもないけど、ただその終わりまでを真剣に生きたってことにはなるから、それは意味のある人生だったって言えると思う。


そんで、生きるってどういうことか、生まれるってどういうことかを考えたら、こんなことに気付いた。


生まれるのは女性からなんだ。
なぜ、女性の方が脂肪が多いんだろうって考えたら、おそらく守らないといけないからだと思う。男性は女性より筋肉が多いから力がある。でも、体内に何かをそのままの状態にしておくことはできない。
作ることはできても、保つことはできないのが、男の特徴だ。
女は守ることはできても、自らそれを作ることができない。それが女の特徴だ。


昔、なんでお腹の中に赤ちゃんができるのかって考えたら、体の中心だからって思ったんだ。
大切なものだから、体の中心にある。

そんでな、当たり前のことなんだけど、私が生きているってことは、お母さんがいたってことだ。みんなにもお母さんって呼ばれる女性がいたのは事実。

っで、そのお母さんにもまたお母さんがおって、そのお母さんにもまたってさかのぼって行くと、ずっと生きてきたんだってことが分かる。

心臓が動いている間にもう一人の命があった。これだけは紛れもない事実。

そう考えるとすごいよなって思う。

戦争があった時代も生きていたんだ。

まともにご飯を食べられなかった時代もあったのに、生きてきたってことだけは残る。


そんでな、誰かに育ててもらったっていうのも事実として残る。

お母さんが育ててくれたかもしれないし、乳母に育てられたかもしれない。おばあちゃんに、それともおじいちゃんに?誰に育てられたか分からないけど、自分が独り立ちするまでちゃんと守ってもらっていたのは事実なんよな。


どんな人間にもお母さんがおって、誰かに育ててもらったってことは分かる。

それぞれの家族がそれぞれの子供に意味を持って名前をつけたのも分かる。

明治以前は、名前をころころと変えてたみたいやけど。


っで、この前、気付いたことがある。


合っているかどうかは分からないんだけど、田中、高橋、佐藤、鈴木って名前の人は、だいたい何か特技を持っていると思う。体が人より強かったり、勉強がよくできたりすると思うんだ。


なぜかって言ったら、この名前は、日本全国でよくある名前だから。

生きるってかんたんなことのように思えるけど、全然そんなことない。


病気だってすることもあるし、貧乏になることだってある。
でも、そんな中で繁栄するっていうのは、偶然では起こりえない。
つまり、この名前を持っている人たちは、足腰が丈夫で、物事を理論的に考えたりすることができる人たちだと思うんだ。

勉強ができるっていうのは、努力の場合もあるし、才能もある。
何かを考えるセンスを持っている場合もあるんだ。。


っでな、どの時代にもしんどくて、きついことってあったと思う。
今は、近代主義で、生産、生産ってなってるけど。

そんな中でも戦っていけるのは、やっぱり強い精神や肉体を持っているんだと思う。


どんな状況になっても、自分を裏切らないし、仲間を裏切らない。

だからこそ、生きていけるんだと思う。


そんで、そんでな思うんだけど、大人になって一番辛いのは、守ってくれる人が誰一人いないってことなんだ。


味方になってくれる人がいないってこれほど辛いものはないなって思う。


自分には、昔、母親がいたんだけど、この時代に合わせていけなくて、亡くなってしまったんだ。
今さらどうのこうの言ったって始まらないんだけど、言っておきたいことがある。


生産、生産で過剰なまでに物が溢れた世の中に忘れたものがある。

人のこころだ。

私の母親は戦後すぐの子供でな、一応、高校まで出て、銀行員やってて、お父さんと結婚するまで働いていたんだけど、結婚してから一気に貧乏になったんだ。

お父さんは、誰でもできるような仕事をひたすらやってて、給料が少なかったんだ。朝ご飯はなんてものはなかったし、いっつもふらふらしながら行ったことを覚えている。

っでな、仕事を一生懸命お父さんはやってたんやけど、やっぱり給料が少ない。
お金がなくて、お母さんはずっと嘆いてた。

っで、お父さんはな、何か気に入らないことがあると私に八つ当たりしてくることもあったんよな。

っで、大人になってみれば、分かったことがある。
生産、生産ってあちこちに工場があってさ、そこで働く人がいるやん。体を壊したら、それで終了みたいな世の中がある。これって私、腐ってるなって思うねん。

怠けてて、お金が出ないっていうのは分かる。けど、一生懸命やって、体壊したんやったら、やっぱりサポートが必要やと思うねん。

やれるときにやってんのに、なんか非情やなって思う。


そんでな、大人になったらさ、誰かがこうしたらええよって教えてくれるわけじゃないから、自分で判断しないとあかん。
答えを作るってことやね。これって酷いと思う。今まで散々、年長者の言うことは絶対聞こうねって言われてて、お利口にしていた子供を一気に突き放す。

それなら、それでちゃんと教育せぇよって思うねん。


みんな同じじゃないといけません。
こうじゃないといけません。って価値観を押し付けておいて、社会に出たら、いきなりお前の責任やからなって言う。

それがむかつく。


私のお母さんは機械音痴で、昔、ビデオの録画もろくにできやんかった。
時代に取り残された人間は、必死に自分の生き方探して、できないことはやらないってなって、チャレンジできひん世の中になってる。

教育は形式ばっかりで中身が充実していないから、あかんって思う。


かたちだけやればええと思うなよって昔思ってた。
まだ理解できていない事項があっても、学年があがれば、次から次へと新しいものを習う。
ひとりひとり成長のスピードが違うのに、理解力も違うのに。


っで、取り残される。

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