まず、一番大切にしなくちゃいけないものがある。
それは、心だと思う。
体よりも心の方が大事って言いたいのは、体は機械みたいなもので、心はそれを運転する運転手みたいなものだから。
車だって、乗る人がいなかったら、ただの物にしかならない。
だから、まず、運転手がいないと意味がないと言える。
そんで、次に大切にしなくちゃいけないのが、体。
この体がないとまず、何もできない。
ご飯を食べることもできないし、テレビを観ることも、誰かと話すことだってできない。こうやって人が書いた文章を読むことができないから。
そんで、3番目に大切にしなくちゃいけないのは、ガソリンだと思う。
何かをするためには、何か原動力が必要だ。
だから、体に食べ物を与えるわけやし、心にだって愛が必要になる。
その愛っていうのは、人によって違う。
家族であったり、恋人であったり、誰か親しい人であったり、動物だと思う。
そんで、そのガソリンがそこそこ溜まったら、次は技術だと思う。
まず、運転する気持ちがある。そんで、運転できる体がある。そして、動く車がある。
じゃあ、次は、運転する自分が必要になる。
運転ってかんたんなようでかんたんじゃない。
だって、目が見えていないといけないし、ブレーキやアクセルを踏むタイミングがあったりするから。それは、やっぱりやってみないと身に付かないものだから、技術が必要になってくると思う。
こうすれば、こうなる。ああすれば、ああなる。っていうものが必要だ。
そして、そういうものをだんだんと積み重ねていって、ようやくできるようになっていくのだと思う。
この話を人生に置き換えて考えると、こうなる。
まず、自分というものがいる。そして、その自己確立ができて、ようやく自分というものに余裕が出てきて、やっと、自分の大切な人に援助できるようになっていくのだと思う。
一番初めに相手を持って行くと、身を滅ぼすだけなんだ。
だって、相手のために、相手のためにってやって自分すり減らしてまでやっても、相手が自分を大切にしてくれるとは限らない。ましてや、裏切られる可能性だって余裕で出てくる。だから、まず、自分がないとダメなんだ。
でも、人間ってそういう風にはできていないんよな。
母親のことを考えてみてほしい。
幼い頃の記憶はなくても、オムツをかえたり、あやしてくれたり、ご飯を与えてくれたりした人が必ず誰にでもいる。でも、だんだんと歳をとるにつれ、その役割が自分にまわってくる。
誰かに与える立場になるのが、大人だと思う。
文句を言われることもあるだろう。失敗することもあるだろう。でも、やらないと意味がないんだよな。やってダメだった理由を考えて、また別の方法を試す。それでできないこともあるだろうけど、結局最後は考え付いたものの勝ちなんだと思う。
それを死ぬまで繰り返すから、生きるってしんどい。
自分の好きなようにやったら良いってわけじゃないから。
できなかったら、できないままで良いってわけじゃないんよな。
そういうものをそのままにしていたら、社会に空いた穴が大きくなって、まわらなくなる。
だから、問題がもっと大きくなって、しまいには、手の付けようがなくなる。
それが現代なんだよな。
だから、一日一日をどれだけ真剣に生きるのかが課題になる。
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