何かで本気で悩んだことがあって、私はもうダメだ。
価値なんかないって思ってた。
でも、社会全体をみた時、私の不幸なんて不幸じゃないなって思った。
私がやったことすべてが今の私を作る。
それは、みんな同じ。
今までやってきたことに間違いがないから、今日という日まで生きられた。
迷ったり、投げ出したり、逃げ出したくなったりしたくなった時もあったけど、誰かの頑張れの声が私を支えた。
そりゃあ、良いときも悪いときもあったけど、その痛みも苦しさも辛さも全部、全部巻き込んで、自分というものができあがる。
自分の中には、プラスの感情とマイナスの感情があって、時に、マイナスの感情が支配するときもある。その中で、溺れたままいたときがある。息苦しくて、もがけばもがくほど、あがけばあがくほど、体はかたくなって、しまいには世界が黒くなる。
なるほどな。って思う。病気している人の気持ちってこんな感じなんだって思える自分がいる。
それから、治療をして、手術しても、回復しなかった人の気持ちも少しずつだけど分かるようになってきた。
あと、それを支える人の強さも分かるようになってきた。
私は、本当に何もできないけど、少しでも、社会が良くなってくれれば良いと思う心はある。
病気している人、ケガをしている人、努力しても伸びない人、一生懸命働いているのに貧乏な人、そういう人たちをサポートできるようになれたら良いなって思う。
それは、自分が経験してきたことの一つだから言えるのだろうと思う。
それに、父からもらった言葉で、私に根付いているものがある。
それは、倒れるまで、やれっていう言葉。
苦しいときもあったし、逃げ出したいときもあった。泣いたし、痛い、痛いって思って、生きていた時間があった。しんどいって思って、もうどうでも良いって投げ出したくなるときもあった。
でも、ずっと、ずっとその言葉がそばにあって、それが今までの自分を支えてきたんだって思った時も、やっぱ泣いた。
だから、男の人にもそういうものを求めていると思う。
ごめん、できなかった。あはははって言う人よりも、ごめん、やれなかったって言って、自分なんてって言っている人の方が信用できる。
逃げ出したいのに、その震える足で、戦いに行っている人の方が、私は信用できるって思う。
過去のすべてのしがらみの中を一生懸命ひたむきに進んでいる人の方が一番好きだ。
その中でもし、裏切りがあるのなら、やっぱり、その信用はゼロになるんだろうけどね。
それから、兄の言葉にも、救われたときがある。
何かできないことがあって、号泣したときがあったんだ。
そしたら、兄ちゃんが全部しろって言ったんだよ。
お前が考えられることすべてをやれってそれでダメなら、仕方ないからって。
だから、昔、吹奏楽でめちゃくちゃ下手くそやったから、ひたすら、指を動かしたり、大きな音で吹いたり、ロングトーンしたり、先輩が言った子とは全部メモって楽譜が黒くなったことがあったな。
本当にまっすぐで、ひたむきで、できない自分を恥じて、いつでも、練習してた。
時には、唇から血が出たこともあったし、口内炎もできて、マウスピースの中は、ツバと血の味がしたときもあった。
そんで、3年生になったら、もっと上手になりたいって思ったから、朝5時に起きて、走ったこともあった。そんで、しんどいし、逃げ出したいから泣いたこともあった。
そんな生活をしてたら、小指の爪がぼこぼこになって、貧血まで起こして、ふらふらになったこともあった。宿題は全部するんだと思って、何度も何度もない頭で考えて、やりまくった。
攻撃的になっているときに思ったのは、この体、いつまで持つんだろ。って思ってた。死んだら、死んだで仕方ないなって思ってた。
その後遺症があってか、高校の時から不整脈がある心臓だって分かってる。
しんどいのとかが当たり前になって、逃げ出したいのに、逃げ出せないからどうしようもなかった。
そんで、そのまま大人になった。
っで、こんなボロボロなのに、なんで頑張れるのかって聞かれたら、母のおかげだろうな。
昔、母が言ったんだ。もし、認知症とかになって、使えないものになったら、殺してほしいって。植物状態になったときも延命治療とかしやんで良いからなって言ってた。
母の手はいつもぼろぼろで、薬塗ってもひび割れたままだったんだよ。
なのに、私は末っ子でいつも甘えてばっかだった。
父の苦労とか、母の苦労、兄の苦労とか考えると、死にたくなる。
死にたくなるし、逆に自分を殺してでも、何とかしてやりたいって思う。
近代社会の闇がこんな近くにあるなんて、思ってもいなかったけどな。
だから、もしこの日記を読んで、こんな奴もいるんだって思ってもらえると嬉しいです。
虫けらみたいに必死に生きているので、そんな私のことを好きだと言ってくれる人には、ちゃんと生きてみようって思うので。