今日、久しぶりに、苦手な人と入った。
昔の私は、嫌な顔をしながら、我慢して行ってた。
本当に、暴れ出したくなるくらい行きたくないときもあった。泣いて、喚いて、壁蹴って、穴をあけたこともある。
そんな私が大人になって、ずいぶん進歩したなと思うのは、嫌なことから逃げないってこと。
すごい嫌だなって思うことも、罵詈雑言浴びせられても、必死でやってた。
そしたら、結局、私に罵詈雑言を浴びせてきた人たち、みんな辞めていった。
でも、あと二人、憎い相手がいる。
どうでも良いが、仕事で関わるから、本当、もう、どうにかなれば良いって思う。
それで、そんな風に苦手な相手と仕事をしながら、気付いたのは、一番最初は、誰だって初めてがあって、みんな必死にやってたんだ。なんとか、やらなくちゃって。
その時のことを、ふと思い出した。
中学生になって、自分でお弁当作ったり、洗濯したりしていたあの頃のことを思い出すと、本当、頑張ったなって思う。
その中で受験勉強もしてたし、部活動も命がけでやってた。
おかげで、成果は出た。そうなるようにって何度も何度も繰り返し、自分を苛め抜いたから。
ただな、その後遺症も残って、あの時のように頑張れる気にはなかなかなれない。
でも、いつだって自分が変われたのは、人と会ったからだと思う。
あの人、ああ言ってたな。私もあの人と同じくらいになりたい。そういう憧れで、生きてきた。
でも、やっぱり、結果は出なくて、どうしようもないことに泣きまくったときもある。
自分なんかって思うから。
でも、大人になってみて、分かるのは、誰にだって最初はあって、何もできなくて、何も分からなくてどうしたら良いのかも見えなくて、さまよって、転んで、血がにじんで、痛んで、泣き叫んだこと、絶対あると思う。
どうにもならないことで、自分だけの力なんてちっぽけで、誰かの力を借りないと生きれないそんなどうしようもない自分がいた。
暴れまわって、どうせって言って吐き捨てる。やっぱりなって言って諦める。
そういう思いを何度も味わってきた。
だからこそ、見えてきたものがある。
今日を確実に生きること。明日、起きられるかなんて誰も分からない。死んでいても良いって思う今日をどうか生きてほしい。その時、その時の、輝きが絶対あるから。
だから、諦めんなって思うし、どうせって言って、辞めるなって思う。
誰だってそうだろ。できなくて当たり前だったんだ。
その中を必死で生きてきたんだ。だから、無理なんて言うな。絶対できないなんて全部生きてから言え。
本当に、大人になって、自分で生き方を決められるようになって、心底思う。
学校という教育現場に助けられていたってこと。
同じという時間を作り出すことによって、その限定条件でしか起こり得ない奇跡があったんだって思う。
大人になると、誰か分からない人と手を組んで、仕事をしなくちゃいけない。でも、学校だけは違う。
同じ年齢で、同じ地域に住む人たちが集う場所。
社会に出ると、本当に、カオス。
大学まで出て分かったのは、幼稚園、小学校、中学校、高校、どんどん範囲が大きくなってくる。
中学校では、今までの世界がもう一回り広がって、さらに、高校では、学力が同じくらいの相手と手を組むことになる。大学もそうだ。
何か同じような要素がある人たちが集まる。
だから、自分が自分自身を見失わないように、みんな自分探しを始める。
同じ共通点がある人を求める。
自分が今、どこにいて、誰なのか分からないから。
探している自分も分からないが、見つけてもらう自分もどこにいるのかも分からない。
だから、また、混沌に舞い戻る。
そもそもあったものなのか、なかったものなのか、分からないものを求め続ける。
でも、ちゃんと覚えておかないといけないのは、誰だって最初があって、誰にだって何もないところからスタートしたということ、これだけは忘れないでほしい。
一番最初の自分には、何もなかった。けれど、歩いて行くうちに、どんどん自分が積もっていく感覚、どうか忘れないでほしい。それが覚悟になり、いつか、情熱となって、自分を守ってくれる武器になるから。
それだけは、どうか知っていてほしい。あの時、できないって思った自分から、できる自分にしたのも自分なんだから。
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