小さいころの記憶がたまに蘇る。
今を封じ込められる。過去に支配される。
時間は思いと関係なく流れ行き、とどまることを知らない。
最近、考えてもどうしようもないことで泣く。
それは、忘れたくない記憶のこと。
お母さんに教えてもらったこととか、お父さんに教えてもらったこと。
忘れてしまった。どんな言葉で、どんな説明で、どんな状況で話してくれてたっけ?
ああ、自分を証明してくれる人がいない。
自分がいない。どこか溶けてしまっているような自分を想像すると、どうしようもなく悲しい。
そういう気持ちをお父さんもお母さんも感じていたんだと思う。
お父さんは、お母さんと結婚する前に、もうお父さんもお母さんも亡くしていた。
自分を証明する人がいない。いなくて、こわくて、どうしようもなくて、でも、そんな自分でも、結婚できた。子供ができた。でも、その途中でまた連れ添った妻が亡くなった。どんな思いだっただろうか?どんなに悲しかっただろうか。どんなに辛かっただろうか。
想像するに余りある。
そして、私も悟ってしまう。
みんながいなくなってしまった世界に生きる意味なんかあるのか?って。
私に辛く当たって来た人も、私に優しくしてくれた人も、いずれ、いなくなる。
どうしようもない。
何度も経験してきた。どこに行けば、誰に会えば、自分がちゃんと生きていることを実感できるんだろう。
どんどん忘れていく記憶とともに、どんどん形のないものを探して、ついに迷子になる。
でも、今の大人もみんなそうやって探し続けているんだ。自分が自分でいられる場所を。自分が自分として機能できる場所を。
どんなに嫌っていても、誰かがいなければ、そこで、終わってしまう。
嫌いだった誰かも、好きだった誰かも、いつかはいなくなる。
そういう風に考えると、怖くてたまらない。だったら、自分が先にいなくなれる方法をつい探してしまう。
誰かがいなくなる悲しみは、誰かをなくした人にしか分からない。
みんなその誰かを求めている。その心を愛と言うなら、自分一人だけで、作るなんてことはできない。
誰かとともに歩むために、あるものだから。
そう考えると、もっと優しくしておけば良かったとか。もっとごめんなさいって言っておけば良かったって思う。
散華で、感謝でしかない。
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