去年からの三年間は、こんなことが人生に起こるのか?というくらいに不幸なことの連続だった。生きれないと散々悩んで、挙句の果て、もう煮詰まって、黒焦げになった後、歩き出すしかないという一つの指針が見つかって、歩き出したら、なんとか軌道に乗ることができた。
そのために、たくさんの努力をした。ダメージもすごい。逆境もあった。
ただでも、変わりたいって新しい自分になりたいってずっと思っていたら、自然とそういう風に道が開けて行った。
最後に物を言うのは、「人」だなと改めて思った。
そこを守り続けてくれた人。本当に、彼らがいなかったら、今の私はいなかったと思う。
知らないことだらけで、手に入らないものだらけで、誰かのせいにして、また逃げても、同じことの繰り返し。自分なんかいらない。自分なんかって思いを何度も繰り返していたと思う。
体があまりに痛くて、泣いた。これでも、死なないんだって思うくらいふらふらになるまで働いた。
戦時中の話を昔聞いたけど、私はまだまだだって思った。
1週間飲まず食わず、ただ行き先はあそこだって決めて、歩いて行った人たち。
3歳の子供に何度も何度も道を説明する祖母や祖父。何十キロもある道のりをただ歩く子供の話を読んだときは、泣いた。
お父さんやお母さんの死を知らせる場所に行くためだけに、切符を買って、大人に紛れ込んで歩く子供の気持ちを想像したら、計り知れない悲しみが流れ込んできた。
死んだことを伝える女性も、その子供の表情をじっと見てた。
泣くのを我慢してたあの女の子の顔が今でも忘れられないってネット上で書かれていた。
その涙を、その悲しみを、繰り返さないようにするために、大人がいるんだってこと、やっぱり、誰かの言葉で思い出す。
本当に、調子が悪くて、誰にも相談できなくて、抱え込んだときは、そういう昔の人たちの苦難の話を自分に取り込んで、乗り切ってた。痛いし、頭は働かないし、ぼーっとするし、関節は痛いしで、本当に、厄介だったけど。
でも、本当に、自分の体を動かしてみて、痛みを自分の中に飼ってみると、よく分かる。
弱さというものが。
強くなんかない。弱さばかりが目立つ。
何が成績だって思った。命を削りながら、我慢を武器にして、何をそんなに追い求めているんだって思った日がある。
唾を吐き捨てたくなるようなものにしがみついてたって思う。成果を出さないとって涙こらえて頑張ってた。欲しがりません、勝つまではっていう標語が頭の中に浮かんだときは、勝つということがどれほど、貴重で、どれだけ、難しいことか、自分の中でやれる範囲のことをしていて思った。
まだ足りない。まだ足りないって。
そしたら、自然とその時悩んでいた答えが欲しい言葉が本の中に現れたり、いつも見ているネットの中に現れたりした。
人が変わる時は、悩みまくってもがいて、知りたくて、悲しさとかないと思い込んでいるものを探している時だと思う。
自分が変わったら、同じものを見ていても、同じだとは思えない。
違ったものに見える。あのしょうもないものって決めつけた言葉が自分が変わることによって活きてくる。
そこになぜ、どうしての答えがあるから。
考え切った後のその答えは、本当に自分を支える灯りとなる。
だから、欲しくないと思った経験も、ない方が良いと思った経験も、それがなければ、気付けない何かがあったということだけは思う。
疑問に思わなかったことが、疑問に変わったとき、自分の内部で変化が起こり、今まで聞いていた何気ない言葉が、実は本当はすごいことだったんだと理由探しをし始めて、ようやく気付く。
本を読んで得た教えと言うものが実は、高次元のもので、今の自分では理解できなかったものでも、経験や体験を積むことによって、その分からなかったものが分かっていく。謎解きをまるでしているように、自分がいつの間にか成長してきたということを教えている。
昔、教えてくれた。
観音様だったかは忘れたけど、天国で百日の修行をするより、泥の中で一日修行する方が、修行になるって聞いたことがある。
安穏と暮らすより、波乱万丈で生きてみること。それが何よりの修行になるって聞いたときは、ああ、そうかって思った。
起こってほしくないことも、避けようがないことも、自分を育てるためにあったんだと、それが良かったことだったんだって後になって思う。
だから、ひどい目にあった人たちのことをちゃんと聞いておくべきだったんだ。
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