今日は、いつも買いに行く農家さんにお米をもらいに行った。
そしたら、奥さんが私にコーヒーでも飲んで行きって言ってくれはって、まさかの女子会開始☆
年配の人の話ってめっちゃおもしろい!
普段は家事以外に何してはるんですか?って聞いたら、お寺の行事の練習したり、コーラスしたりしてるって言ってた。
そのコーラスも、町の市民会館でみんな集まって、イケメンの先生に教えてもらうって言ってはった。
それが、もう楽しくて、楽しくてしょうがないって。
そんで、音痴の人もおるけど、みんなで仲良く楽しむために歌うから良いねんって言ってた。
私もそういうのしたいなあって思った。
老後になっても、イケメンとか使ってみたい。
それから、認知症の話もしてた。
もう72歳になったから、そういうのを病院で受けて、検査するんやって。それで引っかかったら、車の運転できひんって言ってはった。
長く生きてみないと分からんこともあるんやなって思った。
そんな話を1時間して、そのあと、私は、体重減らしたいから、ジムにまた行って、水泳して、風呂入ってあがったんやけど、そこで良いことを教えてもらった。
プールに温暖室みたいなんがあって、おばちゃんが入ってきて、一つ教えてもらったことがある。マットレスを使ってて、乾かさないとあかんから立てかけようと思ったら、汗がついてるから、シャワーで流すんやで!っていきなり言われたから、びっくりしたけど、気付けて良かったなって思ったから、ありがとうって素直に返せた。
大人になったら、何がマナーなんかよく分からんし、郷に入っては郷に従えって言うから、また一つ賢くなったなって思った。
そんで、風呂入って、あがって、ドライヤーしたら、ちょっとぽっちゃりのおばあちゃんが話してはってんけど、名言が出た。「やっぱりボケた」って言ったらあかんわ。
物忘れって自分で認識しとかないとダメになるなあ、ホンマに。
って言ってた。
なんか、自分の老後のことを考えたら、そんな風に思うっていうのは、すごくこわいことやなって思う。
今、本読んだり、ニュース観たりして、勉強しているけど、ものを考えられなくなるようになることが一番こわいって思う。
ボケて、誰かに危害を加えるような人生は送りたくないし、迷惑だってかけたくない。
今までできてたことができなくなるっていうのは、ホンマにこわいことやと思う。
歩けなくなったり、話せなくなったり、走れなくなったり、泳げなくなったり、指が、手が、思うように動けなくなることがホンマにこわいって思う。
大人のくせにとか、子供のくせにとか、って言うひともおるけど、自分は、自分が不自由にならない程度に生きたいって思う。
せめて、自分が目指す自由は手に入れたいと思う。
っで、自由ってなんだろう?って考えてたことがあって、それは、できるってことなんだと思う。
不自由はその反対だからできないってことなんだと思う。
能力がある分、自由だし、能力がない分、不自由なんだ。
できないってことは悪いことではない。でも、できるだけ自由になって、可能性を高めたいって思う。
選択肢を増やしたいなら、できることを増やす必要がある。
できなくて良いことももちろんあるだろうし、できた方が良いことももちろんある。
できることが多すぎれば多すぎるほど、誰かのできないを補っていることにもなるけど、誰かのできることでさえも奪っているような気もするんだ。
本当はできるのに、できないって思いこんでいることなのか、できるために何もしていないのできないなのか考える必要がある。
そのバランスが崩れれば、大きなマイナスがくるけど、そうならないためにはやっぱり自分の足を鍛えておく必要があるってことは分かった。
どうしようもないときだってあるけど。
っで、ジムからの帰り道、スーパーによったら、昔の仕事場のおばちゃん登場。
まさか自分に声をかけてくれるとは思っていなかったから、最初は気付けんかった。
手をあげて、親しそうにしてくれた。
外で声をかけられるって正直めっちゃ恥ずかしい。
友達少ない方で十分だって思うし、できる限り、関わりたくないなって思うタイプなんだ。
傷つきやすいし、メンタルなんてすぐボロボロになっちゃうから。
もちろん、安心して接することのできる人はいるけど、いつも、いつも甘えてられないのが事実。
一人暮らしのしんどいところは、なんでも自分で抱え込んで、それを処理して、なんとか自分で消化しないとやっていられないところ。
オーナーになるってきっとこういう感じだと思う。
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