悩み事の大半って誰かに何かを言われたことから始まるのかもしれない。
でも、実際、本人かそうなんじゃないかって思っている時点で、それが一番の始まりなのかもしれない。
例えば、美人がおまえ、ブサイクだよなって言われても、そっか、ブサイクかって思うだけで、それ以上は何も起こらない。
でも、美人でも、自分のことを、バカにしたり、ブサイクだと思っていて、他人にそれを指摘されたら、すごく悩むし、苦しむし、考え込んでしまう。
それで、結局、自分の足りないところを探しては、自分はこんなことができていない。
自分なんて。自分は、、、、ってなっちゃう。
だったら、足りないことを知ったってことをプラスには考えられないのだろうか。
今まではずっと知らなかった。
でも、こんな新しい自分を知ることができた。
新しい自分は、惨めな自分でもあるし、かわいそうな自分でもある。
それを、自分の一部として迎え入れては、ダメなのだろうか。
そうしたら、自分の今までの価値はなくなるのだろうか。
不都合な事実にyesと言ったら、自分の立場が危うくなっても、自分の価値に響くのだろうか。
もう一度よく考えてほしいと思うんだ。
言い訳ばかりを考えて、逃げ道作って、逃げてきた道の果てに何があるのかは、自分がよく分かっていると思うから。
誰かに決められてやったことと自分がこうしたいと思ってやったことは違う。
どこかで誰かのせいにして、あいつが悪いって言ったりするのは、そのあいつが自分だったら、逃げ出したくなる。
だから、本当は、そのあいつになれなかった自分を悔しがるべきなんだ。
右向け右って言われてそうしたら、責任はないもん。
全部、指示を出した人間が悪いってなるんだ。
自分の頭で考えて、ダメだったときも考えて、その先を作るのは自分であって、他人ではない。
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