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アイデンティティクライシス

自己喪失。


自分は何なのか。


果たして自分は社会に適応できる能力があるのか。



など、自己を確立できていない状態。




なんとか今日までを繋いでこれたけど、本当にこれで大丈夫か?って未だに思うときがある。


様々な仕事を総決算のように、任せてもらって、なんとか経済的に自立はしてきたが、本当に、この先もちゃんと生きていられるのか?と考えてみたら、何もないような気がしてしょうがない。



それで、さて、どうしたものか。と考え出したら、大人たちのマネをすれば良いんだってことだけは分かった。



今、達人と呼ばれる人たちの言葉を聞いて、何をどう考え、どう行動し、どう生きてきたのか、その声を通して、学ぶ時期に入っている。



そして、自分よりもすごい人たちの声に耳を傾けることによって、今までできなかったことが可能になるんじゃないか?なんて思い始めた。




この世を生きるのは、初めてだが、自分が生まれる前に生きた人たちの軌跡がある。



本という媒体を通して、情報を得る。


過酷な状況下で生きた人たちの生々しい声がそこにある。



何かあったときは、戦争のことを思い出して自分を鼓舞している。




行くところまで行ったら、きっと感謝になるんだろう。



大人たちが苦しみながら生きた先に自分たちが生きて、そして、その先にまた次世代を担う若者たちが生きる。



その若者たちもどう生きたら良いのかなんて分からないと思うけど、大人たちを見て、学び、自己改革していくのだろう。



ああだ、こうだと真剣に悩んで取り組んだことが結局は、未来の自分にとって、かけがえのないものになっていくんだろう。




だから、今、転んでない人は、どの道、後で、そうなる。逃げても、追いかけてくるから。



最近、よく思う。



歴代の頭の良い人たちも、そうでない庶民の人たちもみんな時間が経てば、いなくなる。


おじいちゃんも、おばあちゃんも、ひいじいちゃんも、ひいばあちゃんも、その前の世代も、みんないなくなる。


だったら、私も同じ。


絶対的に強いと思っていた人ですら、病気になるし、体も弱る。



どうせ、一度しかない人生なら、やりたいようにやれば良いんじゃないか?



死んだ後のことは、次世代に任せて、今、生きているこの場所で、何をどうするのかが問題で、それを組み立てていくのも、自分だ。


やらないのも自分だし、やるのも自分なんだ。




そう思うと、やっぱり、どうせおばあちゃんになるなら、かっこいいって思われる存在になりたいって思う。




喪失と確立



何かがなくなれば、何かができる。



なくしたからこそ、生まれる何かがあるんだろうな。


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