ある動画を観て、泣いた。
久しぶりに聞こえてきた声があったから。
さて、どこから話を進めようか。
今、将来に向けてちゃんと生きなきゃいけないって思って、やり始めたことがある。
なかなか、やらない自分をどうにかやる自分に変えるには、結局、他者の言葉に耳を傾ける必要があって、今日、なんとか、その転機を迎えられた。
無意識に出る言葉が実は自分の今後を支配しているってこと、ちゃんと分かった。
思った時点でもうそうしたいって思いがあるってことは、もうそれはやりたくてしょうがないってことに繋がっていく。
だから、それをやる前に、それをやっちゃダメって言うことはできるけど、でも、そのストッパーもなくなれば、結局のところ、やってしまうんだ。
だったら、やっぱり、思うこと=実行することと同じことだってことになる。
人と口論して、殴り合いの喧嘩になったり、そして、人を殺害することがあるのなら、やっぱり、自分の中にある思いの力っていうのは侮れない。
思考と思考がぶつかるってことは、もうそれは、相手を完膚なきまでに殴っていることと同じになる。
だったら、どうしたら良いのか。
考えなきゃ良いし、気付かなきゃ良い。知らなきゃ良いし、知ってしまったなら忘れてしまえば良い。
なくしてしまうことも、大人になって生きる上で必要なことだったんだと、後々になって思う。
時間が経てば経つほど、それがどういう意味だったのか分かるようになってきた。
生きてみるもんだなって思う。やってみるもんだなって思う。
だって、それがなければ、全部、今の場所とは縁が出なかったから。
本当、分からない。人に会ってこそ、見つかることもあれば、見失うものもある。
その時、その感情だった私はどっかに行くし、何度繰り返しても、同じことがあるなんてことない。
だから、幸せなんだなって思う。
黒の黒さが黒ければ黒いほど、白が目立つし、白の白さが輝けば輝くほど、黒が目立つ。
ヤンキーが良いことをしたら、過大評価するけど、優等生が悪いことをしたら、過小評価になるような感じ。
だから、白の白さを保つのは大変なんだよな。
ほんのちょっとでも、汚れたら、泣き叫ぶし、被害者意識になる。
私はこんなにひどい境遇で、こんな目に遭って、本当に最悪だ!なんて、子供のように泣き叫ぶ。
でも、実際、考えてみれば、清廉潔白な人なんていない。
そう見えているようで、その中身は、汚いものなのかもしれない。でも、そうならないように必死で戦っているのかもしれない。そんなのは分からないけど、ただこれだけははっきり言える。
何かを得るためには何かを失うしかないってこと。
なくした人だけにしか与えられないものがあるように、何かをもらうには今持っている大切なものを手放さなきゃいけない。
だから、自分の選択がすべてなんだよな。
どうしたいか。何が得意か。どうしていきたいのか。
これがすべて。
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