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七つの大罪、マギ、幽遊白書、ドラゴンボール、北斗の拳、ブラックジャック、忍空


ヒーローが活躍するアニメをたくさん観てきた。


これら人気が出る作品には、ある一つの共通点があって、それはタイトルにも示したように「旅」だと思う。


私は、中学の頃、自分の生き方に戸惑いを覚え、みんながすぐにできることも、なかなかできないようなグズだった。


情けないとか、ザコだとか、クズだとか、そういう言葉を耳にするたび、悔しい思いが自分の中を通り過ぎていったように思う。



何を知っている。何も知らないくせに。何も分からないくせに。分かってたまるか。って他人に対して思っていた時期も確かにある。




でも、それを通過して、ある一定のところまで来ると、相手の気持ちも分からなくはない。


って思える自分がいる。



まだ知らないんだよな。だから、そんなことを言えるんだよな。それってもう仕方のないことだよな。


転んで、起き上がって、また転んで、弾き飛ばされ、ぶつかって、謝って、自分の居場所を見失う。



そういうことを繰り返して行くうちに、だんだんと、自分の中の本心がどういったものか分かる。



なんだ。人に認めてほしかったのか。なんだ。慰められたかったのか。ってだんだんと分かってくるものがある。




染み込んでいく感じ。




自分が何者かに染められていく。





そして、ついに、決めなきゃいけない時期が出てきて、自分にしかできないことだから、迷って、考えて、でも、今、決断しなきゃいけないことで、それを逃したら、きっともうチャンスは来ない。そんなことが起こる。



その瞬間を逃したら、もう二度と起こり得ない感動が確かにあるということ。


それだけは、分かる。




だから、もうどうなっても良いと思って、やる。




そしたら、うまくいかないことも、うまくいったことも、全部、自分の責任だからって思える。




面白いのは、主人公がヘタレで、情けなくて、どうしようもなくて、グズで、ノロマで、でも、確かに変わりたいって思いがあって、その思いが強くなればなるほど、仲間が集まって、一つのことが起こる。

そして、どんどんできなかったことができるようになって、無理だと思われていたことが可能になる。


その姿、姿勢に、人の心は動く。




ということは、やっぱり、熱伝導の原理



中心が熱くなればなるほど、周りにそういった人たちが集まる。自分にそういう勢いを作れば作るほど、環境が変わり、人も変わり、心も変っていく。


だから、やっぱり、大切なのは、火傷しても、暑苦しくても、焦がされるくらい強い思いがないと集まるものも集まらない。


ということはだ。人生の鍵は自分が握っている。


どう考えても、ここにしか行き当らないんだよな。


すべての行動、思考がその人を作っている。それが人格とやがてなる。


こわいのは、気付けずにずっとそういう風に誰かのせいにし続けていること。

自分で招いたことの後始末はいずれ、自分が刈り取るしかないということ。

自己責任。本当に、誰かが何かをカバーしてくれるなんてない。助けた分だけ助けられる。やってもらった分だけ、やってあげなきゃいけない。もらった分だけ、返すようにやっぱりできている。


だったら、愛された分だけ、その愛に報いるだけの自分であらなきゃいけない。




そういう風なバランスでできているんだから、それをよく理解して、いきたいと思う。



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仕事を通して得た自分自身の実力について

世間は三連休だが、その三連休を支える人たちがいることを知っていてほしい。

さて、この三連勤、何を学んだのかというと、体はしんどいが、心はそこまでと言って、しんどくはなかった。


私は、本当に、ダメな人間で、未だにあまり触れたくない人間がいる。


どうも、昔から、根に持つタイプで、心の奥底で、じんわりと怒っていることが多い。

表面的には、別に。大したことない。ああ、もううるさいな。って思う瞬間もあるけど、あくまで低姿勢を貫く。


はい。私が悪かったです。今すぐに変えます。なんて心にも思っていないことをすらすら言う。


八方美人も甚だしい。



兄も同じような性格で、思い悩んでいた時期があったみたい。


でも、大学の就職相談室の職員に、こんなことを言われたことがあった。


昔、この話をしてくれたのに、私はすっかり忘れていた。



っで、何を言われたのかと言うとこんな名言だった。



正直に言うのと洗いざらい言うのは違う。




腑に落ちたと思った。



相手が不愉快になる言葉なんていくらでも言えるし、反論なんていくらでも、言える。

でも、それをやるのと実際できるけど、やらないのは、相手の言葉の裏側にあるものを見ようとする心がけがあるからだって思う。



昔、自分が失敗した原因を考えてみると、自分からやらなかったことがあげられる。


何かやる!って思ったとき、どうしても、他人の知恵を借りて、楽をしようとしていた自分がいた。



どういうことかって言ったら、こうすればうまくいく!とかいう本に何度も騙されてきたってこと。


作者はそういうつもりで書いていないにせよ、自分にとってこれだと思えなかった。


でも、書いてあるから、とりあえず、やってみっか!ってことでやったら、自分の生活に合わなかった。


例えば、最寄り駅から一駅歩いて、目的地に向かうってことが昔、書かれていたけど、でも、実際やってみると、1回成功しても、次の日、またその次の日なんて続けられなかった。


仕事でくたくたになって帰って来て、またご飯を作る。自分の面倒を見るだけで、他人のことなんて構ってられない。


すぐに体力がアップするなんてありえないし、繰り返すうちに故障だってするし、それで、仕事ができなくなって、生活力ゼロになるのなら、仕事を一生懸命やることの方が重要だって思った。



みんなの家にはお母さんがいて、何か困ればお父さんが出てきてくれるっていう形態だと思うけど、うちの家には、お母さんいないし、三食食べられないなんて日常茶飯事だった。


しかも、父は低収入で、その1ヵ月を乗り越えるのもやっとだった。


病気になれば、治療代もいる。何かするってことは、そういう覚悟を持ってやらなきゃいけない。


自分から動くしかなかった。



誰かに頼れるなんてこと、本当、ない。

むしろ、自分で何かを仕掛けなければ、おいしい話なんかない。



だから、厳しい。全部、自分で、成功するように持って行かないといけないんだから。



そういう状況の中、生きてみて思うのは、甘く生きている人たちのこと。


人に文句を言ったり、もっとこうしてほしい、ああしてほしいと言うわりに、自分からは何もしない。


手っ取り早く成功するには?とかそういうことばかりを考えている。


そんなのない。

人を元気にする人の共通点

最近、元気を分けてもらってる。

まあ、その具体的な方法論だけを先に言ってしまえば、歩くことだった。


生まれていない頃の話。

父が毎日会社まで歩いて行ってた。

片道何キロか忘れた。でも、そういう練習を繰り返して、10キロマラソンをして、50分で帰って来れたと言ってた。

知らないし、記録にも残っていない。

でも、父は、お正月にマラソンを観る。

短調で何も変わらないものを見て何が面白いの?って思ってた。

でも、興味があったんだって思った。


っで、私は、昔から動きのあるものが好きで、アニメもよく動くものを見ていた。

バトルアスリーテスの主人公のマネをバカみたいにしたり、カレイドスターの影響を受けて、柔軟体操とかやってた。

全然できないのに。


でも、その練習が功を奏したのか一回だけ訳も分からずに、逆立ちの練習してたら、壁倒立じゃなくて、できたことがあって、兄が驚愕してた。


まあ、遊んでいた。


そのくらいの運動神経。


それで、なぜか、また小学校六年生の時、水泳が誰にも教わっていないのに異常に速かった。
しかも、体力があって、下の世代の子供に、なんでそんなに速いの?って聞かれたけど、よく分からないって思ってた。


よくよく考えると、おそらく、高野山に行ったのが能力開花のきっかけだろう。

そこに行かないと得られないものが確かにある。

今まで土砂となって積み重なってきたものが、徐々に解放されていったように思う。

小学校も遠かったし。



バカみたいなことを真に受けて、必死だった。


それだけは記憶としてある。


それから、10年経った今、何を思うのかって言ったら、今まであった思いや行動の集積が現実を作ったということだけは分かる。


悲しくなったり、人に当たってしまったり、怒ってしまったりしたこと、そういうもの全部自分を作る上で大切な出来事だったんだと思う。


それで、死にそうになりながらも、練習に打ち込んでも、全然死ななかった。痛みが蓄積されて、動けなくなった時期も確かにあるが、それも修行だったんだと思う。


勘が鋭くなったり、偶然の一致が多くなったりと、やってみないと分からないことだらけ。


自転車の長距離で、山が青々として綺麗なものを見た時、号泣した。

こんなに綺麗なものがあるのに、生きていれば見れるのに、なんでいなくなっちゃうんだよ!って、死んだ人のことを思って泣いた。


風の匂いとか川のせせらぎ、山の木漏れ日、そこにいたはずの人々。

そういうのを考えると、いたたまれなくなった。


それで、そういうことを経験したら、自分の中にある汚いものが浄化されたように思う。



だから、引きこもって、しんどいってなってたら、歩いてみて欲しい。自然に触れてみて欲しい。そこに芽吹く命が確かにあるということ。

そこから始めても良いと思う。

確認作業

少し前に、誰かの幸せについて書いたことがある。

それは、誰かが産まれれば、誰かがなくなるという法則。


昔、大学の教授が妊娠し、出産する日に主人の父が亡くなったと聞いたことがある。

そして、知り合いの娘さんが今度出産するんだけど、その旦那さんの母が亡くなったと聞いた。
さらに、別の例で、チーフの子供が昔、流産して、それから、今の長男を産んだ時、旦那さんのおばあちゃんが亡くなったって聞いた。


なんか、ああそうかって腑に落ちた。


何かがなくなれば、何かが手に入る。


そんな風にバランスを人は取っているんだって思った。

それはもうどうしようもなくて、生まれてきたということはつまり、死ぬことと同じことなんだって思った。


そして、亡くなった人の代わりに誰かがその肩代わりをする。

そういう風に社会ってできてる。


だから、誰かがやる仕事をバカにしちゃいけないってことだけは分かった。


時期にその仕事も自分でやらなきゃいけないようになるから。


それで、今日、そんなような話をまた人とした。


よく、嫁になるまで家事はやらなくて良いっていう親がいるけど、あれは間違いねって。

毎日やっているからできるんであって、急にやれって言われてもできないように、繰り返すからこそ、そのうち、無意識にできるようになっていくんだからって。


私もそう思う。


母が亡くなって自分でやってきたから、なんとか自炊で食べていけてる。

でも、もし母が生きてたら、私はニートになっていたと思うし、誰かのせいにして、ずっと逃げていたままだって思う。

どんどんデブになって、身なりもちゃんとしなくて、性格までブサイクになって、あんたのせいで!って言うような心のない人間になってたかもしれないって本気で思う。


今はまだ、人の痛みとか苦しみとか悲しみを経験してきているから、まだマシ。あの頃に比べたら。


だから、もし、母が亡くならなかったら、出会えない縁があったと思う。


もし誰かがいなくなって得たものがあるとすれば、私の場合、仕事だったと思う。

ご飯を食べるとか普通のことすらままならなかったから、それを堪えたこととか、尋常じゃない仕打ちを受けたことすらも、意味のあったことだと思う。


人の重さを本当によく感じられる人生だった。


生きていることを実感するっておそらくこういうことなんだろうな。


理想像

だいぶ前にこれだ!って思った言葉がある。

腑に落ちたから、私の中に入ってきて、腑に落ちたからこそ、残っているもの。

それは、父親を越えるという難題。


昔調べたことがある。

大嫌いな父親についてのことを。

そしたら、私と同じ思考だった。だから、ぶつかり合ったんだって、ノートを見たときは泣いた。

なんでぶつかっちゃうんだろう。なんであんなに憎いんだろう。って書かれてた。

どうにか歩み寄りたかったけど、時間が元には戻らないように、二人の間にはもう取り返しのつかないくらいの溝みたいなものができていた。

同じ場所にいても、選択し続けた行動が違えば、結果は違う。


大切なのは自身の行動であり、思考である。

それに気付いたら、もう言い訳なんてできないって思った。


その結果を招いたのは自分であり、他の誰のせいでもない。


だから、甘やかし続ければどっかで歪みが出て、それが土砂崩れのように、崩れる。


人間関係も同じ。


バランスが大事。


自分でできるところまでやって、できなくて、仲間外れにされたら、やっぱり自分のやり方が悪かったんだって思うしかない。


誰かのせいにして、変わるなら、誰かのせいにしまくるけど、そんなの、本物じゃない。


なりたい自分の姿じゃない。

もう気付いてしまってんだ。

自分が何をすべきかどうありたいのか。



それが今できなくて、もどかしくて、苦しくて、それでも手を伸ばすから、得られる感動があるってことだけは分かる。



だから、やっぱり、我慢すればするほど、自分の中を空っぽにすればするほど、悟れることがある。

分かるものがある。



諦めないでいてほしいんだ。


そんな自分を。


だって、置いてけぼりにした気持ちを信じたいって思った自分の心を裏切るようなことだけはしたくない。


こうなりたいって思ったその気持ちが本当のものなら、そういう風に行動するはず。

それをしないのは、自分の中にこうありたいっていう強烈な願望がないから。


理想と現実の間を行き来する。その間がゼロになり、そして、そのボーダーラインを越えれば、自然と望んでいた世界が自分の物になる。

大切なのは、無意識レベルでそうなるように自分をあるべき姿にする行動にとことん自分をその型にはめ込むこと。

それがあって普通。


空気を吸うくらいに当たり前。


それができないとやっぱり、まだまだ赤ん坊のままなんだろうな。


大人になるには、時間がかかるし、経験も体験も必要になってくるから、一筋縄ではいかないんだろう。


でも、諦めちゃいけないことがあるように、そうなるように、そうありたいと望んだ自分を本当に大切にしてあげて欲しいって思う。



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