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多少チューニングが合っていれば見て取れる

TVアンテナが設置され、また一歩、人間的な生活に近づいたこの春。けれども、TVの無い生活に余りに慣れすぎていたため、未だつけたことはありませんでした。
そんなままでずるずるとGWが過ぎ、6月がやって来ようとしているのですが、そんな昨日、単なるPS画面出力装置に成り下がっていた(それにしてもここ1年は点灯される機会がなかった)TVに、やっと本来の役割を与えてやる時が訪れました。
「日本VSパラグアイ」
ベランダ的な踊り場から窓に穴をこじ開けて通された配線を引っ張って、TV後方のアンテナジャックに繋ぐ。そして、隣室の電気使用量をそれとなく調べ、ブレーカーが飛ばないことを確認し、コンセントにプラグをを突っ込む。
スイッチオン。「ポチッとな~」とか陽気に呟いたりして。

「アンテナさえつけば」とタカを括っていたのが良くなかったのだと思います。なんでもかんでもアンテナのせいにしていたのが悪かったのだと思います。
「が~が~が~」
しか鳴らないテレビ。多少チューニングが合っていれば見て取れる、写っているモノの塊すら見当たらない。
どおやら調整が必要なのですが、画面下のパカパカしている蓋を開け、調整をする所的なボタンを押したが無反応。試しにシバいたりもしてみたのですが、一瞬画像が揺らぐだけで効果なし。期待していたぶん、結構ハードにゲンナリしました。
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おいおいもしかしてコイツは・・

「おいおいもしかしてコイツは・・」オレのこと好きなんじゃねえのか?
少なくとも女子に対しては生まれてこの方抱いたことのない際どい憶測。そんなシャレにならない、いやシャレであって欲しい訝りを禁じえない誘われ方=寸前に突然にメールで会いたいとの申し入れ。幾分変わったところが随分あるヤツですが、人間やめることはあっても野郎をやめることはないだろう、なにしろエロいから。ということで調整しました。
今回は、ソコを超えると空気のよどみのヘクトパスカルが違うといわれる江戸川(通称エロ川)を渡り、華麗なアンモニア臭と場末のサパーのエンジ色のソファーからムンムンしてくる湿気がよく似合う、千葉県某所へ。そんなところにご足労いただきました。そのうえお土産までいただきました。フライングブイを携えたモヒカンの熊のぬいぐるみ(羽織った皮ジャンにはLOVEと書かれバラの花があしらってある)。ありがとうございました。



駅前で劇的に、というより腐れ縁的に再開。手を差し出されたので握り返すと、ニュルニュルしてました。とにかく生かしとくために淡水の水槽に入れられブヨブヨになった生イカみたいでした。思わず、唸りそうになったのですが、今思えば半分自分の汗汁だったんですな。
ちょっと訳ありで「元祖高木ブー伝説」を練習しなければならず、とりあえずカラオケに行きました。が、高木伝説は無く、しかも、梅雨に片足つっこんだジメジメとした季節。35前後の野郎が2人でカラオケ。そのしみったれ具合と胡散臭さを吹っ飛ばすように飲みまくり、歌を歌っているようなことをしたりしました。

内部の変化より

去年からの三年間は、こんなことが人生に起こるのか?というくらいに不幸なことの連続だった。生きれないと散々悩んで、挙句の果て、もう煮詰まって、黒焦げになった後、歩き出すしかないという一つの指針が見つかって、歩き出したら、なんとか軌道に乗ることができた。


そのために、たくさんの努力をした。ダメージもすごい。逆境もあった。


ただでも、変わりたいって新しい自分になりたいってずっと思っていたら、自然とそういう風に道が開けて行った。


最後に物を言うのは、「人」だなと改めて思った。


そこを守り続けてくれた人。本当に、彼らがいなかったら、今の私はいなかったと思う。


知らないことだらけで、手に入らないものだらけで、誰かのせいにして、また逃げても、同じことの繰り返し。自分なんかいらない。自分なんかって思いを何度も繰り返していたと思う。


体があまりに痛くて、泣いた。これでも、死なないんだって思うくらいふらふらになるまで働いた。


戦時中の話を昔聞いたけど、私はまだまだだって思った。


1週間飲まず食わず、ただ行き先はあそこだって決めて、歩いて行った人たち。


3歳の子供に何度も何度も道を説明する祖母や祖父。何十キロもある道のりをただ歩く子供の話を読んだときは、泣いた。


お父さんやお母さんの死を知らせる場所に行くためだけに、切符を買って、大人に紛れ込んで歩く子供の気持ちを想像したら、計り知れない悲しみが流れ込んできた。



死んだことを伝える女性も、その子供の表情をじっと見てた。


泣くのを我慢してたあの女の子の顔が今でも忘れられないってネット上で書かれていた。


その涙を、その悲しみを、繰り返さないようにするために、大人がいるんだってこと、やっぱり、誰かの言葉で思い出す。


本当に、調子が悪くて、誰にも相談できなくて、抱え込んだときは、そういう昔の人たちの苦難の話を自分に取り込んで、乗り切ってた。痛いし、頭は働かないし、ぼーっとするし、関節は痛いしで、本当に、厄介だったけど。


でも、本当に、自分の体を動かしてみて、痛みを自分の中に飼ってみると、よく分かる。


弱さというものが。



強くなんかない。弱さばかりが目立つ。




何が成績だって思った。命を削りながら、我慢を武器にして、何をそんなに追い求めているんだって思った日がある。

唾を吐き捨てたくなるようなものにしがみついてたって思う。成果を出さないとって涙こらえて頑張ってた。欲しがりません、勝つまではっていう標語が頭の中に浮かんだときは、勝つということがどれほど、貴重で、どれだけ、難しいことか、自分の中でやれる範囲のことをしていて思った。



まだ足りない。まだ足りないって。


そしたら、自然とその時悩んでいた答えが欲しい言葉が本の中に現れたり、いつも見ているネットの中に現れたりした。


人が変わる時は、悩みまくってもがいて、知りたくて、悲しさとかないと思い込んでいるものを探している時だと思う。


自分が変わったら、同じものを見ていても、同じだとは思えない。


違ったものに見える。あのしょうもないものって決めつけた言葉が自分が変わることによって活きてくる。


そこになぜ、どうしての答えがあるから。


考え切った後のその答えは、本当に自分を支える灯りとなる。



だから、欲しくないと思った経験も、ない方が良いと思った経験も、それがなければ、気付けない何かがあったということだけは思う。

疑問に思わなかったことが、疑問に変わったとき、自分の内部で変化が起こり、今まで聞いていた何気ない言葉が、実は本当はすごいことだったんだと理由探しをし始めて、ようやく気付く。


本を読んで得た教えと言うものが実は、高次元のもので、今の自分では理解できなかったものでも、経験や体験を積むことによって、その分からなかったものが分かっていく。謎解きをまるでしているように、自分がいつの間にか成長してきたということを教えている。


昔、教えてくれた。

観音様だったかは忘れたけど、天国で百日の修行をするより、泥の中で一日修行する方が、修行になるって聞いたことがある。


安穏と暮らすより、波乱万丈で生きてみること。それが何よりの修行になるって聞いたときは、ああ、そうかって思った。



起こってほしくないことも、避けようがないことも、自分を育てるためにあったんだと、それが良かったことだったんだって後になって思う。


だから、ひどい目にあった人たちのことをちゃんと聞いておくべきだったんだ。

念の力

私には兄がいる。


昔から変な人だなと思っていた。


でも、本当に彼のことがこわいと思ったのは、小学校のときだと思う。


私の内部を言い当てられたときは、こいつ、やるな!なんてことを思った。

どんどん年が離れていき、だんだんとお互いの心が分からなくなっていった。

でも、あることを思い出す。


サイコロの目。


消しゴムに数字を書いた。そしたら、兄ちゃんが当てるんだよ。全部。マジで。それがこわかった。

しかも、勉強の成績もかなり上位で、それもこわかった。


お母さんの育て方がきつかったって兄は言ってたけど、私はお母さんに甘く育てられていたから、後で苦労するハメにはなった。


ただでも、欲しいものは何が何でも手に入れるし、テストで良い点を取ったら、絶対買ってもらうという約束をして、彼はメキメキと欲しいものを手に入れて行った。



それで、こわいのが、まだある。



兄に喧嘩を売って行った人、みんな消えているって兄が言ってた。


そろばんも辞めて行った人がいるって。


兄ちゃんのシャーペンを盗んだやつとか、カッターナイフで自転車のカバーを切ったやつとか。



それを考えると、ちょっとこわい。




それで、私にもどうやらそういうものがあるらしく、高校時代、私にたてついて来た人が結局、学校を辞めて行った。その後は不明。さらに、社会人になって、私の悪口とか言った人、ことごとく辞めて行った。


それがちょっとこわい。


それで、とどめは、うちの父親。虐待まがいのことをある意味でやってたから、結局、認知症になっていった。

私が良かれと思ってやったことも、決めつけて物事を観る癖があったから、悪態ついてた。


っで、私というはけ口がなくなって、結局、漢字の勉強もしなくなって、自滅した。


その話を兄にすると、もし、私らがお互いに憎しみ合ったら、おそらく、相打ちになるんだろうなって話をした。

持ちつ持たれつってやつだなあって常々思う。


母親が亡くなって以来、その悲しみのはけ口は私で、9年かかったんだんだよな。父親から離れるまで。


だから、後は兄ちゃんに全部任せる。

忘れたくないこと

小さいころの記憶がたまに蘇る。


今を封じ込められる。過去に支配される。

時間は思いと関係なく流れ行き、とどまることを知らない。


最近、考えてもどうしようもないことで泣く。

それは、忘れたくない記憶のこと。


お母さんに教えてもらったこととか、お父さんに教えてもらったこと。


忘れてしまった。どんな言葉で、どんな説明で、どんな状況で話してくれてたっけ?


ああ、自分を証明してくれる人がいない。


自分がいない。どこか溶けてしまっているような自分を想像すると、どうしようもなく悲しい。



そういう気持ちをお父さんもお母さんも感じていたんだと思う。



お父さんは、お母さんと結婚する前に、もうお父さんもお母さんも亡くしていた。


自分を証明する人がいない。いなくて、こわくて、どうしようもなくて、でも、そんな自分でも、結婚できた。子供ができた。でも、その途中でまた連れ添った妻が亡くなった。どんな思いだっただろうか?どんなに悲しかっただろうか。どんなに辛かっただろうか。

想像するに余りある。



そして、私も悟ってしまう。


みんながいなくなってしまった世界に生きる意味なんかあるのか?って。


私に辛く当たって来た人も、私に優しくしてくれた人も、いずれ、いなくなる。


どうしようもない。


何度も経験してきた。どこに行けば、誰に会えば、自分がちゃんと生きていることを実感できるんだろう。


どんどん忘れていく記憶とともに、どんどん形のないものを探して、ついに迷子になる。


でも、今の大人もみんなそうやって探し続けているんだ。自分が自分でいられる場所を。自分が自分として機能できる場所を。

どんなに嫌っていても、誰かがいなければ、そこで、終わってしまう。


嫌いだった誰かも、好きだった誰かも、いつかはいなくなる。


そういう風に考えると、怖くてたまらない。だったら、自分が先にいなくなれる方法をつい探してしまう。


誰かがいなくなる悲しみは、誰かをなくした人にしか分からない。


みんなその誰かを求めている。その心を愛と言うなら、自分一人だけで、作るなんてことはできない。


誰かとともに歩むために、あるものだから。


そう考えると、もっと優しくしておけば良かったとか。もっとごめんなさいって言っておけば良かったって思う。


散華で、感謝でしかない。

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