私のPC机の上は汚くて、
本やらお菓子やらが積み重なっている。
それで普段だったらそういういらない情報が頭に入ってきて、
PCの画面を見つつも認知を無駄に消費して疲れてしまう。
倦み疲れるという表現が正しいかもしれない。
だから時間に余裕があっても認知に余裕がなくて、
創造的な処理をすることが難しい。
しかし、躁になると対象物しか見えなくなる。
掃除をしなくて良くなるので非常に便利と言えよう。
過度に集中すると似たような状態になるが、
躁になればそもそも集中すら必要ない。
物との親和性が増すのかもしれない。
現象の説明はどうでもいいけど。
そういう現象が起きてるということが大事なのだ。
簡単に言えば、
14型テレビで現実を認識するのか、
VRで現実を認識するのかというぐらい差がある。
だから過集中でも躁状態でもなんでもいい。
対象物との距離を縮め、膜を取り払い、世界と一体化したい。
世界と私との距離感が縮まるところに、
疲れのない、生き生きとした、要するに安楽の境地がある。
世界を変えることはできないので、
せめて自分の認知を変えるのだ。
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