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抽象化力 リーダーとはなんぞや?

丸々だから、きっと何々だ。

これを演繹法と言う。


A型だから、几帳面とかまさにその例。


っで、昔、本当に嫌なことを言い当てたことがあった。

その時の私の精神状態はよろしくなく、見たくないものを見る癖がついていたのか、毎日いっしょにいるせいか、ある事件の取り巻きグループを言い当てたことがある。

その現場にいた訳ではないのに。

ただ映像が脳裏に浮かんできたがために。


普段、そんなことはまずない。


ただ強く念じて思いをこねたら、急に映像が頭の中に流れて、新事実を発見してしまったことが三年に一回ある。


まあ、根拠がないから、こんな話してもしょうがない。


それで、今回、たまたま図書館に行って、たまたま悩み事のこと考えてて、たまたま見つけた本に、こういうものがある。

キャプテンはつらいぜ


この本、私が追い求めていたものが書かれているから、なかなか面白い。


どういうことか。


私には兄がいるが、妹も弟もいない。
だから、下の世代の気持ちが分からない。


理想とする教師像とか、理想とする先輩のあり方とか、理想とする親のあり方とかが分からない。

だから、リーダーと呼ばれる人たちの気持ちが分かって、サポートができても、中途半端。
自身がリーダーにならなければもっと寄り添うことなんかできやしないんじゃないか?って思う。


チーフの気持ちなんてチーフになってみないと分からないし、その恐怖や怒りなんてものは、その人自身じゃないと分からない。

いくら、想像したってやっぱり、分かんないんだよ。


だから、人として足りないって思う。


自分がどうにかなることにはなれていても、他人にそうさせるのは、気の毒だって思ってしまう。

例えば、私と同じようにやって!って言えるのか?


教員やってお金貯めて、一人暮らしして、その過程でママチャリを自力で80キロ押しても良いしなんでも良いから目的地まで運んで、そこから、がむしゃらになんでも仕事しろ!って言えるのか?

自分がどうにかなることにあまり抵抗はない。


でも、同じようにやってって言うと、死ぬんじゃないのか?殺したことになるんじゃないのか?って思う。


だったら、最初からその身を差し出して、人のために生きることの方が大切なことなんじゃないか?って思って、いろいろやっていると失敗した。


人っていうのは、自分は大したことないけど、こいつはすごいやつだから、こんなことくらい余裕でやってくれる。

こき使ってしまえ!


どっかで思っているんじゃないか?

んなの、ねーよ。


痛いもんは痛いし、しんどいもんはしんどい、やりたくないことはやりたくないし、傷つくことくらいある。

言われたくないことももちろんあるし、嫌いなやつだっていて当然。


だから、こき使って良いなんてないし、そんな道理あってたまるか!って思う。


てめぇ、やってみろよ。
ってなる。



すごい人っていうのは幻想でその人が今までやってきたことが明日に繋がっているだけなんだ。

だから、続けてこれたことだけは信じていけば良い。


っでだ。どんな人についていきたいのか?って考えたら、結局、痛みや苦しみ我慢して自分をないがしろにしている人についていきたいって思った。


うちのお母さんがまるでそういう生き方やったから。
っで、チーフも店長もずっと休みなしに熱出ても、ぎっくり腰しても、いつでも、店を守ってる。自分の時間なんかなしにして。

だから、そういう生き方をしている人、かっこいいって思う。


その人がそこにいるということ、それだけでなんか十分な気がする。

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手首と腰と坂道と

日常的に当たり前となっているのが、職場まで自転車で行くこと。

雨が降っても雪が降っても嵐が来ても、自転車で行く。


私イコール自転車なんじゃないか?と思うくらい、いつでもいっしょ。

そんな私が、ここ最近、ある実験をした。


それは、ある曲が流れている最中は壁倒立をするというもの。

脳に血液が行き、どんな効能があるのか試しに2日連続でやったら、いつも長いと感じる坂道があっという間に過ぎ去った。

集中するということは、無意識のゾーンにまで自分を追い込むということになるんだってことだけは分かった。

それから、手首が柔らかくなったり、バランスを体が勝手に取るため、今まで以上にパフォーマンスが良くなるということだけは分かった。

それと、壁倒立が今はできる状態になってないので、とりあえず、三点壁倒立だけは気が向いたらやっているという次第です。


習慣化できれば、おそらく、もう一回り大きくなれることだけは分かる。

以上。

荒々しさ

最近よく学園もののアニメを観る。


アニメだから、ありえないことの連続だけど、そこからヒントをもらうこともあって、自分に足りないものとは何か?と考えたとき、荒々しさが足りないって思った。


昔、大学生の頃、ボランティアで、障がい者の施設に行ったことがある。


そこで、見たくないものを見た。


中学生、いや、年齢的には高校生?くらいの子供が、蛇口の水を全開にしてた。

最初は、何か、水道の点検か?なんて思っていたんだが、どうやらそうじゃなかったらしい。


先生が飛んできて、声を荒げて、何してんだ!って叫んでた。

ああ、そうか。遊んでいたのかってその時、初めて、どんな状況か理解した。


それで、私には、そういう声を荒げて何かをするとか、言いたいことを言うだとかそういう他人に対する期待なんてものが薄いんだって思った。


どうせ、やんないんでしょ?どうせ、自分にとって不都合なことから逃げるんでしょ?どうせって言葉をよく頭の中で繰り返していたと思う。


それで、いざ、戦わないといけないときに逃げてた自分がいるって思った。



声を荒げて、ぼこぼこに殴られるくらいなら、自分が我慢して、抱え込んで、潰れれば良い。

それを他人が優しいって言うんなら、そうじゃない。


反面教師にしてたんだ。兄ちゃんもお父さんも。

こんな人間になってたまるか!って。


っで、結局、煮詰まって、焦げて、どうしようもないものになって、破綻する。


だったら、そうなる前に、言わなきゃいけないことを言えば良かったんだ。


でも、今までのことがあるから、どうしても考えてしまう。


これを言ったら、他人はきっとこう思うだろうな。とか、こう反論されたらどうする?とか。


倍になって、返されたら?怖さが出て、どうしても言えない。


腹が立っても、知らないふりをする。本当は殴り飛ばしてやりたい。土下座されても、許したくない。

それを言ってしまって、関係が崩れたら、どうする?修復不可能になったらどうする?



何度も何度も葛藤して、何度も何度も迷う。


本当、どうしようもない自分が残った。


だったら、荒々しくなっても良いんじゃないか?


子供のように純真無垢で何も知らなったあの頃に戻れば、良いんじゃないか?


気に入らなければ泣き、喚き、叫ぶ子供に。


でも、そういうことをするのは、恥ずかしいことだと教わっているから、やっぱりやれない。


そして、また迷い、葛藤する。



そして、何もやらない自分ができる。



そういうことを繰り返す。



何もやらない自分を繰り返す。

本当にそうなると思っていたら

そういう行動をするけど、本当にそうならないと思っていたら、そうなるための行動なんかしない。


だいぶ前に、ネットで、落語の話を読んでた。


その時、若者に師匠がこんなことを言ってた。

君は本当に自分がそうなるとは思っていない。だから、やらないんだ。って。



この言葉を聞いた時、ハッとした。


どうしてか?


私の周りを見てみると、みんな自分のやることからどんな状況であっても逃げない。

そうなろうとして、必死。


跳ね起きの練習を兄がしていた。

みんなできるのに、なんで俺だけ。

できるようになりたい。

頭打ちつけながら、座布団引いて必死にやってた。


私は兄のそういう無様で、下手くそな姿を見て、感銘を受けた。


無様でも良い。下手くそでも良い。


そうなろうとするその心が大切なんだって思った。

それから14年間、今の私は過去の私とは違う。

吹奏楽でチューバを吹く私じゃないし、大学受験で涙を流しながら勉強する私じゃない。

水泳をする私でもなければ、夜勤のライン工場でふらふらになるまで働く私じゃない。


数十年前の私とは比べものにならないくらい、成長してた。

成長している時って、その痛みのせいで嫌なことを思い出したり、もう終わったはずの記憶に襲われたりとなんと厄介な時期なんだろうって思う。


でも、嵐の中のコップから何かの拍子に外に出たら、極楽だなって思う。


もし例えば、もう一回、学校に行って、自転車こいで、授業受けて、部活動の練習して、家に帰って、ご飯作って宿題して、夜練で走って、お風呂に入って寝て、起きて、すぐにまた早朝練習してって考えるとかなりしんどい。


そういう時期があったり、一年間、予備校行って試験受けて、全然成績が伸びない時期があってって考えると、また泣き出したくなる。


そして、また何度も受かるまで試験を受けなければいけないのだとしたら、こんなに窮屈なことはない。


でも、これは、もうやってしまったから言えるのであって、頭ばっかり冴えて、やらないことを増やすと私は、おそらくもっと人を差別する人間になってたと思う。


自分の劣等感を棚に上げ、他人が悪い、他人のせいで、お前なんかのせいでっていう気持ちが大きくなればなるほど、醜くなる。


じゃあ、その相手をも、救おうとする自分をなぜ作らなかったんだ!

その責任は自分にある。


他人にも同じことが言える。

誰かのせいにするなら、自分の甘さに甘えた自分をどうにかしようとしなかったその人の責任だって思う。


だから、その二人ともが悪い。


自分の都合を押し通そうとして、相手の気持ちを考えなかったんだから。


どっかで歪みが出る。

なんとかしようとした。それで、うまくいったのと、なんとかしようとした。それで、うまくいかなかった。このことは同じことだって思うけど、何もしなかった。それで、うまくいかなかったのと何もしなかった。でも、うまくいった。はやっぱり違う。


今までやってきたことの貯金で今回なんとかいけたけど、その先は分からない。
今度同じようなことが起こったら、足りないかもしれない。

もしそうなったら、八方ふさがりになる。


だって、病気になって、医療費がいる。でもお金はありません。仕事はしています。でも、今まで通り、働けませんでは困るんだよ。

職場に行けば、あいつは仕事ができない。
って言われて、給料泥棒って言われる。

行きたくないって思う。でも、治療費を稼がないといけない。だったら、どんな状態に陥っても頑張るしかないんだよ。
だから、逃げられない。


命を自分で絶っても、死に切れなかったら?
周りの人の気持ちを考えないって言われる。

死んだ後も、気持ちは残る。

だったら、どうなるか分からないから、やってみれば良い。


どうせ下手くそでどうせ無様な自分と結局は向き合うことになる。


あの時、バカにした人の気持ちを、今度は自分の心で、なぞることになる。


だから、回り回って自分に返ってくる。


やらなかったのは自分なんだから。


逃げていても、渡されたバトンを次の人に渡さないと同じようになる。

だったら、全力で走って、次の人に渡せば良い。


どうも、こんにちは、新しい人って。

新成人に大人になることがどういうことが教えてあげれば良い。

体験してみなければ分からないことが山ほどあるんだから。


想像以上にしんどいことを、その身をもってやれば、他人をないがしろになんてできない。

それがその人の痛みを感じさせる感性となるものなんだから。


それが自分を育てる最高の栄養剤になるんだって思う。

1円見っけ

前回の日記で、1円が足りない話をした。


まあ、まとめて言うと、桜餅が急に食べたくなって、でも、コンビニにはなくて、近くの菓子屋さんに行って、たまたま、おいしそうな紅白饅頭とか買って、ポイントを全部使ったら、71円になって、財布の中見たら、170円しかなかったって言うお話。


それで、今日、銀行に行ったら、667円になってた。


ああ、あそこの足りない1円はここにあったのかなんて思った。笑



まあ、1円見っけの話はここまで。

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