最近、体重が増えてきたので、体を絞るためにジムに行った。 
そしたら、子供が大泣きして、母親に対してこう言った。 
「知らん、知らん、もう知らーん!!!!」 
「ほっといてーよー、もう!!!!」 
「もうええやんかー!うあーーー!!」 
みたいな感じ。 
そんで、エレベーターが来たから、乗ったんやけど、その親子の会話から、色々想像してみた。 
あの子、なんであんなに泣いてたんやろう? 
もしかして、お友達の何かを盗ったんかな? 
それが母親にばれて大泣きしていたんかな? 
尋常じゃなかったし、この世の終わりのような泣き方やったしなあと思いつつ、プールに行った。 
そんで、しばらく泳いだり、歩いたりして、トレーニングしてたんやけど、ふと、思った。 
私があんなに大泣きしたの、いつかな?って。 
確か、中学生の頃、見ず知らずの誰かに何か気に障るようなことを言われて、家に入った瞬間ブ千切れたことがあったなって思った。 
その気に障るようなことがいったいなんだったのかは忘れたけど、あまりに理不尽で、感情任せに壁に蹴りを入れたら、穴があいてしもうて、お父さんにむちゃくちゃ怒られたのを覚えている。 
なんで、穴あけたんや!!!いや、転んで。頭から入ったんや。みたいなウソをついてたような気がする。 
今は、木の板をはめて、なんとか穴は隠してる。 
私は、格闘家でもないし、空手とかテコンドーとか習ったことはないのだけど、見よう見まねでやっていたら、兄ちゃんがお前のパンチは痛すぎるからやめておけって言われたことがあるから、今も実は自重している。 
そんで、そんなことを考えていたら、体が冷えたので、暖房部屋へ。 
そしたら、おっさんが、ストレッチしてて、お腹がぽよんぽよんしてた。 
そんなものを横目で見つつ、新たなおっさんが入ってきて、こう話してはった。 
最近、調子どうですか?結構、長い時間プールに入ってますけど。 
お正月にな、5キロくらい太ってしもうてん。だから、もう少し、トレーニングせなあかんねん。 
5キロですか?!それ落とすの至難の業ですなあ、でも、酒とか甘いもの食べんようになると、結構すぐに落ちますよ!!! 
って話してはった。 
やっぱり、歳いくとあかんって言うのは、ホンマみたい。 
私は、まだまだ自分が20代やからって調子乗っているけど、ごはん食べて、運動して、家事して、また次の日を迎えて、そいで、本を読んだり、テレビ観たりしているのが、何よりも楽しいから、今の生活が一番好きやなって思う。 
運動した後のご飯はおいしいし、ちょっとトレーニングで痛めた体も湿布とか張ったりして、回復を早めたり、ジムのお風呂でのんびりしたり、サウナ入ったりするのが、やっぱり一番幸せやなって思う。 
誰かに干渉されたり、こうした方が良いよって言われて何かするよりも、自分が一番納得したやり方でやりたいって思う。 
そうじゃないと、お前がそうアドバイスしたせいで、こうなったやん!!!って言いたくなるやろうから。 
それやったら、最初から自分で選べば良かったって思う。 
っで、そんなジムの帰りに本屋さん寄ってたら、長友選手の上昇志向って本があって、ちょっと開いてみた。 
そしたら、こんなようなことが書かれてた。 
夢があったとして、普通に何も苦しまず、のんびり歩いて行って、つかめる夢は小さくて、 
崖を上るイメージで、ロープから手を放したら、落ちてしまう。けど、上りきったときに出会った夢は大きい。 
だから、苦しくても、しんどくても、やるって書かれてた。 
そのページを開いてみて、なんかピンときた。 
昔、今の自分では到底不可能な目標を掲げてて、絶対できひん、何があってもできひんって思うようなことがあったんやけど、そのためだけの練習を何か月かやって、その部分が吹けるようになった。 
自転車こいでるときもずっと指練やってたし、口ずさむこともやってた。たまに唇を震わしたり、休み時間は本当にずっとそれだけをやってた。 
そしたら、なんとなくやけど、リズムもとらえることができて、自分が表現したい音を出せたと思う。 
そんで、それをただの暇つぶしで吹いていたら、同じパートの子が、それ吹くのやめて!私できひんかってん。って言ってた。 
ちなみに同じ学校の子ではないから、余計になんか嬉しかった。 
分かる人には分かるんやみたいな感じで。 
しんどい思いをして、もうダメだって思って、でも、今やらないと次はないっていう状態で何かをしたとき、思いもいっしょに引きつれているわけやから、やっぱりできたときの喜びは計り知れないんだなって思う。 
例えば、簡単にできたことって、あっそ。で終わるけど、できないやろうなー、どうせやっても無駄やろうなーって思ってでも、やったことってその人にとって価値があるものでしかないと思う。 
できない、できない、できない。をたくさん積み重ねて、でも、そんな自分が嫌やから、やるんだ、やるんだってやったことって言うのは、ずっと体の中に残ると思う。 
正直、その譜面をぱっとみて、簡単にやれる人なんて、世界で探せば、いくらでもいると思う。 
けど、そんなことはどうでも良くて、自分ができないって思いこんでたこと、どうせやっても無駄だと思ったことに対して、自分がこうしたら良いって思って、何度も何度もやったことって絶対後からついてくると思う。 
できなくて、泣いた日もあったし、もうダメだって思ったことも何度もある。 
だからこそ、分かる喜びもあるんだろうって思う。