復帰するまでに、実はいろんな事があった。
結婚離婚、これはまた別に今度話そうと思う。
さらには父親の精神病。それからの裁判があった。
この世から、両親は死んだのだと思うことにしている。
目を瞑れば、思い出す。
幼いときに、海に連れて行ってくれた。
小学校のときに、町内会で沢すべり。
海で地引網。
天皇賞の日、京都競馬につれていかれて、迷子になり
自分で親を呼び出した。
はじめて会社を作ったとき、親父は金はだせん。応援はする。と言ってくれた。
親父は、自分でエリートから落ちたと思っている。
過去の栄光をいつも話す。
糖尿病なのに、片手に酒をもちながら、
いつも壊れたテープのように、繰り返す。
「兄貴が悪い。うらんでいる。あのとき、オイルショックのとき、
会社をやめて、鉄工所を助けてくれと言わなければ!」
結局、その鉄工所はつぶれ失業する。
40代から30年間ひものような生活。
ガレージに縄がなぜかあり、日記にあの縄で首をくくりたい。
母親がいないときに首をくくりたい。そうかいてあった。
裁判は日記が決定打となり、おいらが勝訴した。
兄、いとこ、親戚一同、おいらを悪者扱い。
なぜならば、両親二人してそういう情報を地域一帯に振りまいた。
そして、敗訴
和解金をおいらは得て、周りの反対を押し切り、
帰京した。
痴呆症は違うのかもしれない。去年死んでしまったおいらのおばあちゃん。
93歳だった。
痴呆症は裁判を起こさない。
ただ人間が変わってしまうのは同じだ。
自分以外は他人だとおもう病気の人間を
天命を待つまで生きながらえさせる意味は果たしてあるのだろうか。
答えはまだ出ない。
いままで逃げ続けた兄は、
おいらがいなくなったこのとき、
どうあの生物たちと向き合うのだろうか。
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