ねこ好きはねこに好かれようとするだけでは飽き足らず、 
一度嫌われてからまた好かれようとする貪欲な精神の持ち主でもある。 
ねこから少し嫌われることを肴に、ねことさらに深く戯れるためである。 
あるいは、ねこが一番好きなものと一番嫌いなもの、 
どちらの座にも君臨したいという支配欲の現われとも言えよう。 
ねこ好きの欲望は留まることを知らない。 
ところで、少し話を戻すが、露出狂についてだ。 
露出狂が本当の変態達に軽く見られるのは、 
犯罪であることよりもその安易さだ。 
自らの局部を出すというなんともありきたりでわかりやすい行動には、 
知性が感じられない。創意工夫がないのだ。 
自分だけの答えを探そうとする変態精神にそぐわない。 
せめて白塗りをし、おかっぱのズラをかぶり、 
スクール水着を身に着けて、 
「NTT東日本の者ですが・・・」ぐらいは言ってほしい。 
意味はなくていい。 
意味を模索するところからすべては始まる。 
己自身を超えていく。これが変態の極北だ。 
ニュースで報じられる変態を見るたび、まだまだ甘いなと思う。 
もちろん私もまだまだだ。 
環境のせいにせず、己の可能性を汲み尽くす方向に努力せねばなるまい。 
本当の変態達が一気に世の中に出れば常識は瓦解し、 
拠り所のない不安定な社会に変貌するだろう。 
そこでは常に己自身と向き合って、 
己の価値観のみを拠り所とする変態達が先頭に立つ。 
混迷する時代の暗闇を照らす光となる。 
そのときまで今しばらく、変態道を究めんと精進することとしよう!