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上原先生

上原先生は、私の大学時代の日本美術史の教授で、
私は、ゼミが違ったのでおそらく個人的に名前を覚えてもらえる程の
間柄ではなかったと思うが、私が属する文芸学部の教授であり、
必修科目の日本美術史の講義を受けていたし、
芸術学科クラスの研修旅行や行事で度々同行、会席していた。

先生の講義は、淡々と穏やかな口調で語られ、大変分かり易く、興味深いものであった。

研修旅行で大学教授に連れられていくと、通常は一般公開はされていないか、
又は公開時期がごく限られている神社仏閣名所の宝物庫等の中を、
特別に拝ませてもらえるという恩恵に与ることがしばしばある。

大学二年の秋、クラス研修旅行で奈良の史跡を巡った。
なんと今回、我々にだけ特別に法隆寺の夢殿をご開帳してくれることとなった。
国宝、夢殿秘仏・救世観音菩薩立像である。

文芸学部教授先生方とクラスの数十人で順に解放窓を覘き込む。
たまたま私の順番の時、かの日本美術史研究の重鎮、特に奈良時代に詳しい
上原先生と同時に数人で拝観することとなった。

数人が頭を付き合わせて上に下に覘き込む。
上原先生が食い入るように凝視している。
そう滅多に見られるものではない。
先生は何度目なのか、先生ほどの人でも、初めてだと仰っていたと記憶している。
皆唸ったり息を呑んだり、少しずつ顔を動かしながら観察するので、
私の顔と先生の頭が時々軽く当たるほどである。

それから二年後、卒業式のクラス謝恩会の壇上での各人のスピーチで、
私は、一緒に夢殿を覗き込んだ先生のその時の、
日本美術を愛して止まない無邪気な様子の思い出話をした。

上原先生はその数時間前、学生会主催の卒業謝恩会に出席されていた。
学生会主催というのは各学部の学生役員や体育会や文化部の役員卒業生の謝恩会で、
私も文化部連合副委員長だったので呼ばれていたが、クラス謝恩会の方を優先して
そちらは欠席していた。

後日聞いた話だが、その学生会謝恩会壇上で上原先生が挨拶していた折り、
出席者大勢が談笑して先生のお話しが遮られてしまった。
そこで、滅多に怒らない先生がマイクを通して怒りを露にしたそうだ。

機嫌が悪いまま中座して、我々のクラス謝恩会場へいらっしゃったのだ。

クラスみんなのスピーチが終わり、皆グラスを片手に立ち上がり、
入り交じって談笑となった。



上原先生、わざわざ私の前にいらしてくだすって、

「乾杯!」とワイングラスをチン!と当てて、

含羞むようにニッコリ微笑まれた。



先日、2月9日、上原先生は天地へ旅立たれた。御歳92歳。

ご冥福を祈る。



<訃報>上原和さん92歳=成城大名誉教授
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170210-00000065-mai-peo

戦争、震災、占領……etc. 日本の食文化を変えた「アノ日」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=1&from=diary&id=4437661
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