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ある意味試練

あなたが欲しい。
必ず迎えに行くからもう少し待っててね。


買い物の話です。

久し振りにとても欲しいものに出会った。
いくつかあって、それも残りわずかだとか、一点ものなのだが、さすがに今すぐは全てを買えない。
それらを、特に取り置きはせず、『思い』だけで押さえている。


昔は色々欲しいものがあった。服とか時計とかCDとか。
それがいつの頃からか、物でも何でも「ご縁があれば」という思考パターンになり、欲しいものが出てきても、それに対する熱が上がりにくくなった。
そもそも、どうしても欲しいというものではないなら執着はしないので、得られなかった時のショックも少ない訳だ。

いや・・・、世に物があふれていて、これじゃなくても別にいいという感じになってきたんだよな。
身の丈を思えば、そんなに多くを持たなくてもいいとかね。
あと、生活が変わって興味がなくなった(時計)とか、手許に置きたいほど好きなアーティストがいない(CD)とか。
欲しいものはつくるし!(ピアス等)という場合もある。

大袈裟だけど運命的な出会いだったり、これに代わるものがないと思った時のみ、強く望みます。
それでも普段は、手の届く範囲で満足(納得、妥協)してしまうことが多くて、良くも悪くもその結果が今の生活なのかなと思う。
これは前の日記とつながる部分があるけど。


物は、ひとりでに来ることがないから求めていくんだけど、人の縁については、引き合ったり反発したりするので、自分の思いだけではどうしようもないこともある。
人だって、この人に代わる存在はないと思えば、もっと強く望んでも良かったのかもしれない。
でも、相手にも意思がある。
そう思うと、追いかけることは出来ないのだった。
母からすれば「人付き合いがあっさりしている」ような私だが、去る者を追わないのは、実は色々気にし過ぎるからだろう。

本当に縁があるのなら、またどこかで会う。
そんな風にして再会した人たちもいるんだから。
但し、元気でいてくれないとね。


買い物の話だった。

本当に、必ず迎えに行くから待っててね。
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あなたの幸せは

【幸せ=充足感】
【ずっと幸せでいる方法は、『感謝すること』】

昨夜たまたま見ていたTVで美輪さんが語っていた。
これは本当に仰る通りで、今年は意識して暮らした。
ちょっと不調だったり不満がある時は、ありがたさを忘れている時だったかもしれない。

出来た人間でもないと、なかなかいつも感謝なんて難しそうだけどね。
でも、何も大きな感謝を続けることでなくて、小さい感謝でいいと思うけど、積み重ねが大事なのだろう。
今日は晴れて洗濯物がちゃんと乾きそうで、ありがたい。それぐらいのことです。


人の幸せを願う時、ではその人の幸せって何かなと考えることがある。
幸せの尺度は人によって違うから、自分と比べても仕方ない(だから「あいつより幸せになって見返してやる」は違うと思う)けど、みんなの幸せは何だろうか。

私自身は、周囲の人も自分も健康で、時々嬉しいことや楽しいことがあれば幸せだ。
でもいいじゃないか、何事もなくても、平穏に過ごせているなら。
失ってから「あの頃は良かった」というのは淋しい。後悔のないように。

みんなみんなバランスよく、その人なりの幸せが訪れるといい。

私がひとりで観たい訳

もう一週間経つのか。
『東京2/3』の後、母飲み会に行った。今回は集合が早かったので、二次会からの参加。
話の流れでお芝居のパンフを見せたりしていたが、ひとりで観てきたと言うとちょっと驚かれた。

そうですね、美術展でもコンサートでも、誘われて行くのは別として、自分が行きたいのものはひとりがいいかな。
好きな作品は自分の好きなだけ、心ゆくまで立ち止まって観たいもの。連れがいると気を遣う。
コンサートやライブも、その興味の度合いが私と同程度の人であれば、一緒に行って楽しいかもしれないけど、過去にがっかりしたことが何度もあってさ。
まあ、そこまでは言わなかったけど。

連れが寝ていたとかは、まあいい気はしないがよくあることだ。
(吹奏楽のコンサートでも寝られるってすごいね)
昔むかし、うっかり好きなバンドのライブに行く話をしたら自分も行きたいと言うから、嫌な予感がしつつも一緒に行ったが、ライブ自体はとても楽しかったのに、帰りの食事中にムスッとして演者のことをああだこうだ、挙げ句自分はああいうのは嫌いとまで言われたことがある。
自分から行きたいって言ったのに…。
たぶんその人の人間性の問題なんだけど(自分の守備範囲外のものに私が心を寄せていることが許せなかったようだ)、それ以来、何か観るのに人を誘うことはほとんどない。好みもあるだろうし。

好きなものを批判されるのは、自分の一部を否定されているようなもの。何より表現者に失礼だ。
そういうのに触れるくらいなら、ひとりで観た方が絶対いい。
周囲に同好の士がいないからの話なので、いたら、また違うんだろうな。


そんな感じだけど、今度娘と一緒にバベルの塔展に行くつもり。
新聞で絵を見た娘が興味を示したからで、そういうのは大歓迎だ。タラ夫にも会いたい。


ちなみにその飲み会の時、リアルで初めて長谷川朝晴のことに言及したら、「好きそうな感じ」と言われた。私の好みわかってくれるかい?
幼稚園の母だとちょっと下なので、ジョビジョバと言っても知らない人もいるだろうなあ。

どう見えてるの

「私こう見えて若いんです」

何年も前、倅が小1の時の保護者会で、担任の先生が雑談パートでそう切り出した。
その続きはよく覚えていないのだが、子供たちとは関係ない話題だったかと思う。
先生は私より10歳はお姉さんだったように見えたが、ほっそりとしてきれいな人だった。

じゃあ、実際はそれより年下ってことだったのかな?
またはもっと年上に見られてると思ったのかな?
差し支えなければ、正解を教えてほしかったです。


自称「こう見えて」は、他者から見られている自分の姿を正しく認識した上で成立するものだから、よく聞く言い回しなんだけど、実は難しいよ。
だから私はそうそう使えない。
どう見られているか気になる年頃も過ごしたが、それは自分に自信がなかった時。
(もっと自信がないと、見てくれどころではなくなってマズイ)
今はその辺り、悪い意味でなく、どうでも良くなった。年も取ったけどね。


そう見られてたの?意外だなあ・・・と思ったこととしては、最近だと、
「おっとりして見えるのに踊りがキレッキレ」

言われて面白かったので書いてみた(笑)
んー、ちゃかちゃかはしてないけど、おっとり系でもないと思うんだけどな。
踊りも、キレのことまではわからないけど(自分の動きでいっぱいいっぱい)、お手本動画のコピーを目標にやっている。


あと、知り合って何年も経つのに私の下の名前をついこないだ知ったという人から、
「『さとみ』とか『みさと』とか、『み』のつく名前だと思い込んでた」

別の時には、名前を教えたら「そういう感じだよね」と言われたことがあった。
名前に合う顔ってあるのか。

後悔夢枕に立つ

毎度、考えていたこと・気にしていたことが夢に出てくる。
15日の朝方は2本立てだった。


①『ガラピコぷ~』のキャラクター交代。チョロミーの代わりにおとなしい動物が出て来て、ホッとして見ている。


朝、Eテレをつけていると娘が一切の支度をしなくなる恐れがあるので、『おかあさんといっしょ』は夕方のみにしている。
倅がガラピコタイプだなあと思いながら見ているが、チョロミーが元気良すぎて、ちょっと耳につらい時がある(平たく言えば、うるさい)。


②倅と同級生の子のママと、鯖の塩焼きを食べながら子供のことを語らう。


前の晩に鯖の味噌煮を作って食べた。鯖そのものが美味しかったので、次は塩焼きがいいなと思ったのだった。

その同級生の子は幼稚園の途中で転入してきて、小学校は別だが、倅とはSSTや通級で一緒だった。
在籍校を転校して、その後の様子は人伝に聞くぐらいになってしまったが、一昨年ご主人を亡くされ、遠方のご実家に戻られたということだった。
ある程度わかる大変さと、理解しきれぬ大変さがあったと思う。
ウチもウチで心配事はあったが、何か出来ることがあったのではないか。
私があまり踏み込めない性格のため、時にこういった後悔をする。

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